2017-12

1 高句麗

広開土太王(好太王)談徳(タムドク)は高句麗の全盛期を築いた王様

好太王(広開土王あるいは広開土太王)は高句麗の全盛期を築いた王様です。 ドラマ「太王四神記」でペ・ヨンジュンが演じた談徳(タムドク)の王としての呼び方です。 広開土王の名のとおり、領地を広げた王様として高句麗の人々に記録されていたようです。...
1 李氏朝鮮の国王

朝鮮 高宗(コジョン)は朝鮮を終わらせ大韓帝国と名を変えた

高宗は李氏朝鮮26代国王。朝鮮最後の国王です。 大韓帝国最初の皇帝です。  高宗はあまり良い評価がされないことも多く。亡国の王としてのイメージがつきまといます。 12歳で王になった高宗は大妃や大院君の摂政をうけていました。 大人になり親政を...
1 李氏朝鮮の国王

朝鮮 高宗 (コジョン) 李氏朝鮮王朝 最後の国王

高宗 (コジョン)は李氏朝鮮26代国王、最後の国王です。李氏の王朝は27代純宗の時代まで続きますが、高宗の時代に大韓帝国と名前を変えます。 王になるまでの名前は、李載晃(イ・ジェファン)。 王位後継者に決まった後、李熙(イ・ヒ)と名を変えま...
1 高麗の国王と王族

高麗 ウ王 は李成桂に殺害され高麗の滅亡を早めた国王

禑王(ウ王)は高麗の33代国王です。父・恭愍王の死後、若くして王になりました。 当時の高麗王朝は混乱の時期でした。元が倒れ明が新しくできたことで、高麗国内も元派と明派に分裂していました。古くから力を持っていた重臣たちと新しく台頭した士大夫(...
5 李氏朝鮮の重臣

李爾瞻(イ・イチョム)は光海君を凌ぐ力を持った大北派の重臣

李爾瞻(イ・イチョム)は李氏朝鮮の光海君時代の重臣。華政などのドラマでは権力欲の強い人物として描かれます。 歴史上の評価も、悪の重臣の代表といった評価になってしまいます。 確かに、多くの人々を陥れて殺害しました。イ・イチョムの影響力は国王を...
5 李氏朝鮮の重臣

李徳馨(イ・ドッキョン、ハヌム)、宣祖・光海君時代の数少ない良心派重臣

李徳響(イ・ドッキョン)、雅号は漢陰(ハヌム)。 韓国時代劇「華政」では光海君の数少ない味方として登場するハヌム。 宣祖、光海君時代の朝鮮の政治家です。東人派に所属していました。東人が北人と南人に分裂後は南人派になりました。 日本との戦争時...
9 その他の国や民族

大仲象(乞乞仲象)は渤海を建国した大祚栄の父

大仲象は正式には乞乞仲象と書きます。 渤海を建国した大祚栄の父と言われる人物です。 高句麗滅亡後、唐に移住させられました。 しかし高句麗の遺民を引き連れ唐に反乱を起こし、独立運動を初めます。志半ばで倒れましたが、その志は息子の大祚栄が引き継...
3 李氏朝鮮の王子

定遠君(ジョンオングン)は息子・仁祖のおかげで王の名を与えられた

定遠君(ジョンオングン)は仁祖の父。 死後に「元宗」の諡を与えられました。 朝鮮史上初の庶子で死後に王の名を与えられた人物です。 史実の定遠君はどんな人物だったのか紹介します。 定遠君(ジョンオングン)の史実 いつの時代の人? 生年月日:1...
3 李氏朝鮮の王子

永昌大君(ヨンチャンテグン)は光海君を支持する大北派に殺害された

永昌大君(ヨンチャンテグン)は宣祖の息子。 宣祖の晩年になって初めて正室から産まれた男子です。 そのため、産まれたときから後継者争いの元になってしまいました。 重臣たちは永昌大君を支持する者と、光海君を支持する者にわかれてあらそいます。 そ...
6 李氏朝鮮の人々

南師古(ナム・サゴ)は朝鮮の預言者?

南師古(ナム・サゴ)は華政などで名前が出てくる預言者です。 伝説的な預言者となっていますがそのような人はいたのでしょうか? 実はナムサゴは実在する人物なのです。 明宗時代の役人でした。占いにも凝っていたようです。 史実の南師古(ナム・サゴ)...
5 李氏朝鮮の重臣

金昌集(キム・チャンチプ)延礽君を王にしようとした老論派の重臣

金昌集(キム・チャンチプ)は李氏朝鮮の粛宗から景宗の時代の政治家。延礽君(ヨニングン)を王世弟にするなど、老論派(西人派)の重要人物として政治に関わりました。 昭顕世子と嬪宮姜氏の名誉回復にも勤めています。 若い頃は父が政争で命を落としまし...
1 高麗の国王と王族

明徳太后(ミョンドクテフ)元出身の妃と対立した高麗の王妃

明徳太后は高麗の27代忠粛王の妃です。諡から恭元王后ともいいます。忠恵王、恭愍王の母親でもあります。 元出身の王妃との不仲や、王位を継いだ子どもたちとの考えの違いもあってトラブルの多い王妃でした。それでも当時としては珍しく83歳まで生き、多...