アルチョン(閼川)は善徳女王や武烈王(金春秋)を支えた重臣

閼川(アルチョン)はドラマ「善徳女王」でトンマンと最初は対立しながらもやがて仲間になる花郎です。

アルチョンは実在した新羅の貴族でした。花郎出身で数々の手柄をたてています。

史実の閼川(アルチョン)はどんな人物だったのか紹介します。

閼川(アルチョン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明(577年?)
没年月日:654年

名前:閼川(アルチョン)

主に活躍したのは新羅の27代善徳女王の時代です。

日本では飛鳥時代になります。

おいたち

両親や生年は不明です。

普州蘇氏の家系図には真智王2年(577年)に。閼川(アルチョン)が生まれたと書かれています。晉州蘇氏は閼川を祖先だと名乗っています。654年に死去したのは分かっているので、普州蘇氏の家系図が正しいとすると77歳まで生きたことになります。

金庾信(595年生まれ)よりも先に貴族会議の首長になっており、金庾信よりは年長者だと思われます。

一説には徐羅我(ソラボル:新羅の都)の突山高墟村の村長で伝説的な人物の蘇伐道理の子孫だといわれます。新羅の初代国王・朴赫居世を見つけて育てた人物だといわれます。長男は崔氏を名乗り、それ以外は蘇氏を名乗ったともいわれます。伝説上の人物なのではっきりとはしません。

閼川(アルチョン)は花郎出身の政治家でした。伝説にあるような名門の家柄だったのでしょう。

善徳女王5年(636年)。百済の将軍・于召が兵士500人をつれて徐羅我(ソラボル)近くの女根谷に侵入しました。善徳女王の命令で出陣して百済の兵を撃退しました。

この功績で大将軍になりました。

638年。七重城に高句麗軍が責めてきました。このときも撃退しました。

ピダムが失脚した後は貴族会議の首長(上大等)になりました。

647年。善徳女王の死後、真徳女王が即位。上大等と務め、金庾信らとともに真徳女王を支えます。

政治家としてのキャリアが長いアルチョンですが豪快なエピソードも残っています。

貴族会議のメンバーと南山の亏知巖で会議をしていたところ、虎が現れました。貴族たちは驚きましたが、アルチョンは驚かずに虎を退治したという話があります。

654年。真徳女王の死去、金春秋(武烈王)が即位しました。アルチョンは貴族会議から摂政に推薦されました。しかし「私は年老いてこれといった徳もありません。春秋王は人望が高く世界を治められる人物です」と摂政を断りました。そして金春秋の親政(王が自ら政治をおこなうこと)がはじまりました。

金庾信らとともに若き日の武烈王を支えました。

テレビドラマ

ヨンゲソムン SBS 2006年 演:キム・ジョンハク
善徳女王 MBC 2009年 演:イ・スンヒョ
階伯 MBC 2011年 演:チョン・ジンギ
大王の夢 KBS 2012年 演:イム・ヒョク

新羅

Posted by Fumiya


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