2 李氏朝鮮の妃・側室

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昭媛文氏(淑儀文氏)思悼世子の死に関わった英祖の側室

昭媛文氏(ソウォン・ムン氏)は淑儀文氏ともよばれます。 李氏朝鮮21代国王・英祖の側室。英祖の寵愛をうけた側室です。 思悼世子の死に関わっている人物だともいわれます。 事実、思悼世子の息子・正祖は即位直後に文氏を処刑しました。正祖にとっては...
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宜嬪成氏:ソン・ソンヨン、ソン・ドギムのモデルはイ・サンの寵愛を断った側室

韓国時代劇「イ・サン」のヒロイン ソン・ソンヨン(成松淵) 「赤い袖先」のソン・ドギム(成徳任)にはモデルになった人がいます。 第22代朝鮮国王 正祖の側室・宜嬪 成氏(ウィビンソンシ)です。 本名は 成徳任(ソン・ドギム)。 宜嬪成氏は正...
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神徳王后 康氏(カン氏)朝鮮最初の王妃は太宗によって降格になった

神徳王后康氏は李氏朝鮮最初の王妃です。  李成桂(イ・ソンゲ)には二人の妻がいました。2番の妻が康氏です。李氏朝鮮を建国したときには1番目の妻・韓氏は亡くなっていたからです。 自分の息子を王にしようとしました。韓氏の息子、李芳遠たちによって...
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光海君とともに島流しになった廃妃柳氏(文城郡夫人)

廃妃柳氏(文城郡夫人)は光海君の妻です。 王妃になりましたが、仁祖の起こしたクーデターで王妃の座を終われ島流しになりました。 史実の廃妃柳氏(文城郡夫人)はどんな人物だったのか紹介します。 廃妃柳氏(ユ氏)の史実 いつの時代の人? 生年月日...
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廃妃尹氏(ペビ・ユン氏)・斉献王后が暴君の母になったいきさつ

廃妃尹氏(ペビ・ユン氏)は李氏朝鮮史上初めて生前に廃妃になった王妃です。 嫉妬深い女性と伝わっています。 成宗が女好きだったこともあり、気苦労はたえなかったようです。 でも朝鮮では王妃は嫉妬を見せてはいけませんでした。尹氏は廃妃になり、毒薬...
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仁穆王后(インモク王妃)息子と父を光海君と大北派に殺され復讐を願いつつ生きた

仁穆王后(インモク王妃)は李氏朝鮮 第14代国王・宣祖の2番めの妃。 宣祖との間に息子が生まれました。 しかしそれが不幸の始まりでした。息子と父は光海君と大北派によって廃され、殺害されてしまいました。自身も大妃の身分を奪われ幽閉されてしまい...
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懿仁王后(ウィイン王妃)宣祖に冷たい扱いを受けた不遇の王妃

懿仁王后(ウィイン王妃)は李氏朝鮮14代宣祖の王妃。 宣祖の王妃というと2人めの仁穆王后(インモク王妃)が有名です。 一人目の懿仁王后は子供がなかったため。宣祖からは冷たくされていました。 史実の懿仁王后(ウィイン王妃)はどんな人物だったの...
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仁嬪金氏(インビン・キム氏)宣祖の寵愛を集め光海君親子と対立した

仁嬪金氏(インビン・キム氏)は李氏朝鮮14代国王・宣祖の側室です。 ドラマでは貴人金氏(クィイン・キム氏)と呼ぶこともあります。 キム氏の息子を王の後継者にしようと活発に活動していた時期が貴人のころだったからです。 宣祖の寵愛を最も受けた側...
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貴人張氏・淑儀朴氏・尚宮李氏、貴人趙氏以外の仁祖の後宮たち

李氏朝鮮16代国王・仁祖の後宮(側室)といえば、貴人趙氏が有名です。 しかし仁祖には他にも側室がいました。貴人張氏、淑儀朴氏、尚宮李氏などです。貴人趙氏が仁祖の寵愛を集めたことと、行いが派手だったことから仁祖の側室というと貴人趙氏ばかりが注...
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仁元王后(イヌォン王妃)は英祖のもう一人の母

仁元王后(イヌォン王妃)は粛宗の3人目の妃です。 16歳で王妃になりました。厳格な性格で強い意志の女性だったといいます。 淑嬪崔氏とも親しくし、延礽君(ヨニングン・後の英祖)の保護者となりました。 仁元王后がいなければ、延礽君は派閥争いに巻...
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荘烈王后(チャンリョル王妃)4代の王の時代を生きた王妃

荘烈王后(チャンリョルワンフ)は仁祖の妃。 でも仁祖の寵愛を集めていた貴人趙氏のかげにかくれてあまり目立たない存在です。仁祖とはあまり仲はよくありませんでした。若くして未亡人になります。その後も粛宗の時代まで生きました。 慈懿大妃の呼び方の...
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恵嬪楊氏(ヘビンヤン氏)は端宗の育て親

恵嬪楊氏(ヘビンヤン氏)は朝鮮4代国王・世宗の側室。 6代国王・端宗の乳母となり育てた人物です。 首陽大君が権力を持つと端宗を守ろうとしましたが、首陽大君派によって処刑されてしまいます。 史実の恵嬪楊氏(ヘビンヤン氏)はどんな人物だったのか...