3 李氏朝鮮の王子

3 李氏朝鮮の王子

密豊君(イ・タン)は李麟佐の反乱で担がれ処刑された

密豊君(ミルプングン)李坦(イ・タン)は昭顕世子の子孫です。 密豊君(ミルプングン)は景宗の時代に外交使節になって朝廷のために働いていました。 でも英祖の時代になって少論派の李麟佐(イ・インジャ)が反乱を起こします。 密豊君は李麟佐たちに「...
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慶安君(石堅:ソッキョン)は唯一生き残った昭顕世子の息子

李石堅(イ・ソッキョン)は昭顕世子の息子です。慶安君ともいいます。 昭顕世子は謎の死をとげましたが、その後、正室の嬪宮姜氏が処刑されたり息子たちが流罪になりました。昭顕世子の息子の中で唯一生き残り成人したのが慶安君なのです。 史実の慶安君は...
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譲寧大君・問題行動が多く世子を廃された世宗の兄

譲寧大君(ヤンニョンテグン)は李氏朝鮮4代国王・世宗の兄です。 幼い頃に世子になり本来なら譲寧大君が次の王になるはずでした。 しかし問題行動が多いと重臣たちから訴えられ世子の地位を奪われてしまいます。 韓国時代劇「不滅の恋人」ではイ・フィ、...
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安平大君(アンピョンテグン)、首陽大君と争い破れた芸術家タイプの王族

安平大君は李氏朝鮮4代国王・世宗の三男。 兄は5代国王文宗、7代国王世祖(首陽大君)です。 韓国ドラマ「不滅の恋人、原題:大君(テグン)」の主人公イ・フィ(ウンソンテグン)のモチーフにもなりました。 歴史上の安平大君は、文宗の息子・端宗を補...
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普城大君(チンソンテグン)王になる前の中宗は燕山君と仲は悪くなかった?

普城大君は李氏朝鮮の王族。後に王になって「中宗」と呼ばれます。 普城大君は王妃から産まれた嫡流の血筋でしたが、普城大君が産まれたときには既に世子として燕山君がいたので王になるはずではありませんでした。 ところが燕山君がクーデターで失脚したた...
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延礽君(ヨニングン)派閥争いを生き残り王になる

延礽君(ヨニングン)は21代国王・英祖の即位する前の呼び方です。 延礽君(ヨニングン)は19代国王粛宗と淑嬪崔氏の息子。 ドラマで人気のトンイの息子、イ・サンの祖父となります。 粛宗から正祖の間はドラマが多いです。 延礽君(ヨニングン)や英...
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思悼世子(サドセジャ、イ・ソン)イ・サンの父はなぜ死んだの?

思悼世子(サドセジャ)は正祖(イ・サン)の父。 荘献世子(チャンホンセジャ)ともいいます。でも思悼世子(サドセジャ)の方が有名ですね。ドラマではイ・ソンの本名で登場することもあります。 思悼世子(サドセジャ)は死後に英祖が哀れんで付けた呼び...
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イ・ヨン(孝明世子)雲が描いた月明りの王子とは

雲が描いた月明かりに登場するイ・ヨンは実在の人物。孝明世子(ヒョンミョンセジャ)といいます。 孝明世子は聡明な人物で王になれば名君になっただろうと言われる人です。 「雲が描いた月明かり」はすべて作り話でドラマにあるようなエピソードはなかった...
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定遠君(ジョンオングン)は息子・仁祖のおかげで王の名を与えられた

定遠君(ジョンオングン)は仁祖の父。 死後に「元宗」の諡を与えられました。 朝鮮史上初の庶子で死後に王の名を与えられた人物です。 史実の定遠君はどんな人物だったのか紹介します。 定遠君(ジョンオングン)の史実 いつの時代の人? 生年月日:1...
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永昌大君(ヨンチャンテグン)は光海君を支持する大北派に殺害された

永昌大君(ヨンチャンテグン)は宣祖の息子。 宣祖の晩年になって初めて正室から産まれた男子です。 そのため、産まれたときから後継者争いの元になってしまいました。 重臣たちは永昌大君を支持する者と、光海君を支持する者にわかれてあらそいます。 そ...
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延齢君(ヨンリョングン、イ・フォン)粛宗にもっとも愛された王子

延齢君(ヨンリョングン)李昍(イ・フォン)は粛宗の6男、末息子です。 生存した三人の息子(景宗・英祖・延齢君)の中で、粛宗がもっとも愛した息子だといいます。 若くして亡くなりましたが、長生きしていれば後継者争いに加わっていたかもしれません。...
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徳興君(トクフングン)14代国王宣宗の父

徳興君(トクフングン)は、14代国王・宣宗の父です。 徳興大院君(トグンデウォングン)ともいいます。 13代国王・明宗の兄ですが、側室の息子だったため王にはなれませんでした。ところが、明宗には息子がいなかったことから徳興君の息子が次の王に選...