李未央・馮心児のモデル文成文明皇后は北魏の女帝?

2018年7月5日

中国ドラマ「王女未央」に登場する李未央(りびおう)・馮心児(ふうしんじ)は北魏の文成文明皇后をモデルにしています。

馮太后(ふうたいごう)とよばれることもあります。

文成文明皇后は皇太后として大きな力を持ち事実上の女帝だったといわれています。

史実の文成文明皇后どんな人物だったのか紹介します。

 

文成文明皇后の史実

生年月日:442年
没年月日:490年9月

姓:馮(ふう)
称号:文成文明皇后
父:馮朗(ふう・ろう)雍州刺史
母:王氏
夫:文成帝

子供:なし

彼女は北魏の第4代皇帝・文成帝の妃です。

いつの時代?

北魏は古代中国の五胡十六国時代から南北朝時代に存在した国。

三国志で有名な魏(曹魏)と区別するために北魏または元魏と呼びます。

漢や三国志時代の後、隋・唐の前の時代です。このころの中国大陸は統一された強い国がなく、いくつかの国に分かれて争っていた時代でした。

日本では古墳時代。正確な年代はわかりませんが、大和朝廷の勢力範囲を拡大した仁徳~雄略天皇の世代に近いようです。河内(大阪府)で大きな古墳が作られていた時代です。

朝鮮半島では高句麗・新羅・百済が争っていた時代でした。

おいたち

父・ 馮朗(ふう ろう)は北燕の昭成帝の次男でした。相続争いに破れ馮朗は北魏に亡命しています。その後、北燕は滅亡しました。

馮朗は秦州・雍州の刺史になりました。刺史は中央から派遣されて地方を治める役人です。役目としては現代の県知事みたいなものです。

しかし馮朗は事件に巻き込まれ死刑になります。

親を亡くし幼かった馮太后は叔母で北魏の太武帝の左昭儀(皇后の次に偉い側室)の馮氏のもとに身を寄せました。叔母の助けで宮廷入りしたのです。

14歳の時。太武帝の孫・文成帝の貴人(側室)になりました。文成帝が即位したのち、馮太后は皇后になります。

ところが文成帝は若くして死亡してしまいます。悲しんだ馮皇后は文成帝の遺体を火葬している火に飛び込みました。すぐに救出されて助かりました。

皇太后になる

文成帝のあとは李貴人の産んだ献文帝が即位しました。献文帝を補佐して政治を行っていたのは丞相の乙渾でした。

馮太后は乙渾に不満をもっていたようです。馮太后は乙渾を殺害。実権を握りました。

文成帝を産んだ李貴人は、文成帝が即位する、自殺していました。北魏では皇帝の生母の実家が力を持つのを防ぐため。皇帝の生母は息子が即位すると自殺することになっていたのです。

馮太后は献文帝の義理の母として政治を行います。ところが、しだいに馮太后と献文帝は意見が対立するようになりました。そこで馮太后は献文帝を脅迫して譲位させます。

あとをついだのは献文帝の息子・孝文帝でした。

献文帝は馮太后に恨みをもち、馮太后の家臣・李奕を殺害しました。そのため献文帝は馮太后によって毒殺されます。

馮太后は北魏の権力を握り政治を行いました。

同姓不婚(同姓同士は結婚できない)・俸禄制・均田制・三長制・租調制など改革を行いました。

晩年には寵愛する家臣たちだけを側においたということです。

490年死亡。享年49歳。

馮太后は事実上の女帝といってもいいほどの権力をもちました。彼女自身、権力欲の強い女性だったといわれます。丞相の乙渾を処刑したように反抗的な者がいれば容赦なく処刑しました。

しかし馮太后も単に欲が強いだけでなく、政治家としての能力も高い人でした。彼女の死後、孝文帝は馮太后の意思を受け継ぎ、北魏の全盛期がやってくるのです。

ドラマの王女未央は史実の文成文明皇后をもとにアレンジされたドラマ

ドラマ「王女未央」では、馮心児は北涼の王女となってます。歴史上は北燕の皇族の流れをくんでいます。

北涼も北燕も北魏に滅ぼされました。

ドラマでは馮心児は一族や国を滅ぼされた恨みを晴らすため。北魏に入る設定になっています。

しかし実在の馮太后の父は北燕が滅ぼされる前に北魏に亡命していました。馮太后自身は北燕が滅んだ時には産まれてなかったのですね。

馮太后は産まれたときから北魏の人間という意識があったと思われます。

しかし父が事件に巻き込まれ処刑されため、その恨みはあったかもしれません。

親戚が皇帝の側室だったため宮中に入ることが出来ました。そこで権力を手に入れようとしたのかもしれません。

ドラマでは馮心児は「炎に焼かれても生まれ変わる宿命」をもっている設定になってます。

これは、馮太后が文成帝を火葬する火に飛び込んだにもかかわらず命が助かったことにヒントを得て作られた設定のようです。

ドラマの馮心児と実在の馮太后は出自や皇后になるいきさつが違います。馮太后の記録をもとに、ドラマチックにアレンジしたようですね。

しかし、古代中国に女帝といっていいくらいの権力を手にした女性がいたことは確かなようです。


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