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金尚宮(キム・カヒ、キム・ゲシ)光海君のためなら邪魔者を排除

朝鮮の人々 6 李氏朝鮮の人々

光海君を扱ったドラマでは必ずといっていいほど登場する金尚宮。キム・ゲシやキム・カヒという名前で呼ばれることが多いです。

光海君と親しい関係になったとか、王妃を凌ぐ権力を持っていたとか様々な噂が残っています。

ドラマでは光海君を慕う女性として描かれることの多い金尚宮。

史実の金尚宮はどんな人物だったのか紹介します。

 

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金尚宮(キム・カヒ、キム・ゲシ)の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:1645年5月21日

名前:金介屎(キム・カヒ あるいは キム・ゲヒ)
父:不明
母:不明

彼女は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の14代宣祖の~15代光海君の時代です。

日本では戦国時代~江戸時代の人になります。

名前

金尚宮の名前は朝鮮王朝実録には金介屎(キム・ゲシ)と書かれています。意味は朝鮮語の犬の糞を意味する”ケトン”を漢字風に書いた”介屎”からきていると説明されることが多いです。

実際には金尚宮の名前は”カヒ”あるいは”ケヒ”という発音だったといわれます。

朝鮮では女性の名前に”◯◯ヒ”と付けられることがよくありました。金尚宮の場合も”カヒ”あるいは”ケヒ”だったようです。

金尚宮は別の資料では”介姬”と書かれていることもあり。親が名前をつけたときは”屎”は使ってなかった可能性があります。

当時は”屎”と書いて”ヒ”と発音するのが一般的だったようです。そこで宮中では身分が低いので同じ発音の「”屎”にしろ」なんて言われたかもしれません。

光海君を追放した西人派が朝鮮王朝実録を書いたとき。悪く言うために同じ発音の”屎”に置き換えて”犬の糞”という説明を加えたのかもしれません。

日本では”屎”という言葉には汚れたイメージがありますが、朝鮮ではあまり抵抗はなかったみたいです。人を意味する名詞として使うのは朝鮮の習慣のようです。だからケトンという人名が多いのですね。

宮廷で力を持った尚宮時代

金尚宮の生年や出身、親はわかりません。野史(宮中以外で書かれた記録)では1600年ごろに宮中に入ったといわれます。賤民の身分だったともいわれ幼いころに宮中に入りようやく尚宮まで出世しました。

外見も当時の平均以下の容姿だったようです。しかし光海君は見た目だけがきれいな女性は必要ではありませんでした。うわべを取り繕う女性も好きではありません。信頼できる者、役に立つ者が必要だったのです。

金尚宮は最初は東宮殿の侍女でした。東宮殿といえば光海君のいる場所です。容姿はともかく仕事のよくできる女官だったようです。

その評判を聞きつけて宣祖の目にとまり、宣祖付きの尚宮になりました。承恩を受けたともいいます。承恩を受けても子供を産まなかった場合は側室になりません。特別尚宮のままです。そんな尚宮の中には王の側近となり至密尚宮や提調尚宮として取り立てられる者もいました。

後に光海君が即位した後も尚宮の最高位・提調尚宮をつとめました。提調尚宮は王に直接言葉を伝える重要な役目です。

大北派と共謀

光海君を王位につかせるために大北派勢力と手を組み、敵対する人々を陥れたり粛清するのに協力しました。

光海君が即位した後は永昌大君を死に追いやり、仁穆大妃の幽閉のため働きました。

大北派の重臣・李爾瞻(イ・イチョム)と共に当時の宮廷で影響力を持った人物と言われます。官位や・役職を与える代わりに賄賂をもらっていました。南人派の尹善道、李洄からも批判されましたが、逆に彼らを流刑にしました。

光海君の妃・柳氏を凌ぐ影響力があり、光海君がどの後宮で寝るかまで金尚宮が決めていたといいます。

仁穆王后は光海君とは仲が悪かったといいます。仁穆王后に仕える女官の視点で仁穆王后の生活を描いた「西宮録」では仁穆王后が妊娠した時(貞明公主のとき)。金尚宮が王妃を流産させるように仕組んだと書かれています。ただし、西宮録は仁穆王后を支持する人が書いた小説ともいわれます。

仁祖反正で致命的なミス?

綾陽君(ヌンヤングン)が反乱を起こそうと計画していた時、イ・グィが怪しい動きをしているというので捕らえられました。しかしキム・ジャジョムがあらかじめ金尚宮に賄賂を送っていたのでイ・グィは釈放されました。

キム・ジャジョムの弟の妻はイ・グィの娘でした。キム・ジャジョムの弟は若くして亡くなったので、イ・グィの娘は若くして未亡人となり宮中の侍女として働いていました。イ・グィの娘は金尚宮の目に止まり、娘を通してキム・ジャジョムとの縁ができたといわれます。

親しい者の親ということで助けたのかもしれませんが。このとき、イ・グィを追求していれば光海君へのクーデターは防げたのかもしれません。

また、反乱の直前になってもう助からないと判断した金尚宮は反乱の情報があってももみ消すかわりに反乱後に命を助けてもらうという約束をしていたとも言われます。

そのせいなのか反乱が起きた時、光海君は最初はイ・イチョムが反乱を起こしたのかと疑ったといいます。

しかし綾陽君の反乱が成功すると金尚宮は命を助ける約束は反故にされ、処刑されてしまいました。

本当に光海君を裏切ったの?

しかし、永昌大君を死に追いやり仁穆王后を陥れたのが本当なら金尚宮は真っ先に処刑の対象になるはず。寝返ったからといって許されるわけがありません。例えキム・ジャジョムが助けると言っても仁穆大妃が許しません。尚宮の地位なら容赦なく処刑されます。

金尚宮が他の者から賄賂を受け取っていたのと同じように、官位を上げるかわりにジャジョムから賄賂を受け取ったことはあったのでしょう。しかし命を助ける約束があったかどうかはなんともいえません。

ジャジョムがかつて送った賄賂を誇張して伝えた可能性もあります。というのも、決起の当日。反乱の情報が漏れたと思ったキム・ジャジョムたちはなかなか決起しませんでした。武将のイ・グァルが強行したため結果的に反乱は成功したのです。キム・ジャジョムは武将たちに手柄を独り占めされたくなかったのと、情報が漏れたのにもかかわらず反乱が成功したのは自分の手柄だと言いたかったのではないでしょうか。それで金尚宮への賄賂のお陰で成功したことにしたのかもしれません。

あるいは、金尚宮は大妃を陥れたり王子の命を奪う策略には加わってなかったのかもしれません。光海君の威光を利用して賄賂を受け取る程度の人物だったのかもしれません。賄賂は現代人の感覚では許されませんが当時はよくあることでした。だから寝返っても助かると判断した。とも考えられます。

光海君と金尚宮との間にはドラマで描かれるようなドラマチックな関係はなかったのかもしれませんね。

光海君は金尚宮をお気に入りだったかもしれませんが、金尚宮は立場を利用して私服を肥やし、危なくなったら寝返る。悪徳政治家のよくあるパターンなのかもしれません。

いずれにしろ反乱を起こした人たちの書いた記録をそのまま信じることはできませんね。

しかし、金尚宮にもどこかで選択のミスがあったようです。光海君は金尚宮を信じすぎたばかりに王位を奪われたのかもしれません。

実録では「容姿が悪く凶悪で人を陥れるのが得意」と書かれ。最後は裏切り者としての記録が残ります。本当の姿はわからない部分も多く、謎に満ちた女性です。

テレビドラマ

宮廷女官キム尚宮 KBS、1995年 演:イ・ヨンエ
雷鳴 KBS、2000年 演:イ・ジュファ
王の女 SBS 2003年 演:パク・ソニョン
王の顔 KBS 2014年 演:チョ・ユニ
華政 MBC 2015年 演:キム・ヨジン

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