首露王(キム・スロ)卵から産まれた鉄の王

2018年6月8日

金首露(キム・スロ)は金官加羅国の初代国王。首露王(スロ王)と呼ばれることが多いです。

伽耶の王と呼ばれることはありますが、金首露は正式には伽耶の王ではありません。加羅諸国の盟主だった金官国の初代国王です。金官国は加羅諸国の中でも最も力を持っていて、中心になりました。事実上の加羅諸国の代表といえますね。金首露が加羅諸国全体を支配するほどの強力な王だったかはわかりません。

歴史上の文献に書かれた金首露はどのような人物だったのか紹介します。

首露王・金首露の史実

いつの時代の人?

生年月日:42年
没年月日:199年

名前:金首露(キム・スロ)
別名:首陵(スルン)、悩室靑裔(ヌェジルチョンイェ)
父:夷毗訶
母:正見母主
妻:許黃玉(ホ・ファンオク)

子供:
居登王
妙見公主
他:息子が9人

金首露は加羅諸国の中心になった金官国の初代国王です。加羅の呼び方は加羅と伽耶などがあります。古代中国の歴史書や高句麗が作った広開土王碑では「加羅」と書かれることが多かったようです。清の時代に伽耶と呼ぶのが広まったようです。現代の韓国では伽耶と呼ばれています。そのためドラマ「鉄の王キム・スロ」や関連サイト・書籍では伽耶の言葉が使われています。

金首露がいたとされる時期は日本では弥生時代後期になります。金官加羅そのものは古墳時代まで存在しました。 古代の日本人にとってもよく知られた国でした。

2世紀から3世紀頃。朝鮮半島の南部は馬韓、弁韓、辰韓に分かれていました。まとめて三韓といいます。馬韓、弁韓、辰韓は国の名前ではなく地域の呼び方です。たくさんの部族に分かれて暮らしていました。

弁韓の中心になったのは金官(金官加羅ともいいます)です。弁韓は3世紀以降、加羅諸国とよばれます。いくつかの国がまとまってできた国家連合です。

三韓のなかで最初に統一されたのは馬韓です。馬韓は百済が統一しました。辰韓は斯盧(後の新羅)によって統一されました。弁韓はのちに加羅とよばれますが、統一されることはなく小さな国のあつまりでした。

首露王の誕生にはいくつかのパターンがあります。

卵から産まれた王様 

いちばん有名なのが卵から産まれたという説。三国遺事という高麗時代に作られた書物に載っています。

金官加羅の人々は村ごとに分かれて生活していました。金官加羅の族長たちに「あなたたちの王が降りてくる」という神のお告げがありました。族長たちは村人を連れて金海にある亀旨峰に行き、空に向かって祭祀を行いました。すると空から光がさして赤い風呂敷に包まれた金色の箱が降りてきました。箱の中には6つの卵が輪を描いて並んでいました。12日後、卵から最初の子供が産まれました。それが首露王です。他の卵からも男の子が産まれました。

族長たちは最初に産まれた男の子を自分たちの王にしました。それが金首露です。

また他の卵から産まれた男の子も他の加羅諸国の王になりました。大伽耶の初代国王になる伊珍阿豉(イジンアシ)もこのとき産まれた6人の子供のひとりです。

加羅諸国は6つの国があつまった連合国家でした。それぞれが卵から産まれた子供が初代国王という逸話をもっていたことになります。

高句麗の初代国王・朱蒙(チュモン)や、新羅の初代国王・赫居世(ヒョッコセ)、4代国王・脱解(タルヘ)は卵から産まれました。古代朝鮮では王様は卵から産まれるという話が多いです。 卵は神聖なもの、神の力を受けた特別な存在。という考えがあったからです。

金姓の始まり

金首露は金の卵から産まれたので「金」の姓を名乗ったといわれます。

金の名前の由来としては他に前漢の武帝の時代。匈奴(ユーラシア大陸の遊牧民)を攻め、日磾王子を捕虜にしました。日磾は武帝の家臣になりました。このとき、匈奴の王族が祭祀として使っていた金の像(祭天金人)にちなんで「金」という姓をもらったのが「金」の姓の始まりといわれます。

ドラマ「鉄の王キム・スロ」ではその故事も取り入れています。キム・スロは匈奴の一部族・祭天金人族の族長キム・ユンの息子。という設定になっています。

女神の子供

金首露の誕生物語にはもうひとつあります。

新増東国輿地勝覧という李氏朝鮮時代に作られた書物にその物語が載っています。

加耶山の女神・正見母主(チョンギョン)の2番めの息子が悩室靑裔と書かれています。悩室靑裔が首露王です。

1番めの息子が内珍朱智。内珍朱智は大伽耶の初代国王・伊珍阿豉(イジンアシ)です。

金首露は母親に似て顔は白く細長かったといいます。伊珍阿豉は顔が丸く太陽のように赤かったといいます。

この話では金官加羅の首露王が大加羅の伊珍阿豉王の弟になってます。大伽耶が伽耶連合の盟主だった6世紀頃に作られた話ではないかといわれています。

王になった金首露

金首露は金官国の王になりました。金官国はばらばらになっていた加羅諸国をまとめました。加羅諸国の中心になったのが金官なのです。

金官が初期の加羅諸国の中心だったのは間違いないようですが、1世紀から2世紀の間に生きたと思われる金首露の時代に連合が進んだかはよくわかっていません。韓国では金首露がまとめたと考えているようです。

でも、高句麗や新羅、百済のように強力な王が全体を治めるのではありません。緩やかな集まりでした。

鉄の産地

弁辰と呼ばれていた時代から加羅は鉄の産地でした。三国志などでは金官加羅のもとになった狗邪国は鉄の産地と書かれています。加羅のもとになった弁辰では他の朝鮮半島の地域の人々や倭から鉄を求める人々がやって来て交易が行われていました。狗邪国は海に面しているので交易にも有利でした。

昔脱解(ソク・タレ)との戦い

あるとき、龍城國の昔脱解(ソク・タルヘあるいはソク・タレ)がやってきました。昔脱解は海からやってきたといいます。昔脱解は首露王と王位を争いました。首露王は昔脱解との戦いに勝って王位を守りました。

昔脱解は斯盧国(後の新羅)の4代国王になりました。

昔脱解がドラマ「鉄の王キム・スロ」のソク・タレのモデルです。

斯盧国(新羅)との関係

102年。斯盧国5代国王・婆娑尼師今(パサ・イサグム)の要請を受けて、音汁伐国と悉直谷国の争いの仲裁をしました。婆娑尼師今は首露王を歓待しようと首長たちに命じて宴会をおこないました。ところが漢祇部の首長が無礼をはたらいたために首露王は怒って奴僕の耽下里(タムハリ)に命じて漢祇部の首長を殺して帰国しました。奴僕は音汁伐国に逃げ込みました。

婆娑尼師今は音汁伐国王に奴僕の引き渡しを求めましたが拒否したため音汁伐国を攻撃。音汁伐国王は降伏しました。

このころの斯盧国は周辺国の争いを自力で解決することができず、斯盧国に所属する部族の長が金官に殺されても報復することができなかったようです。

このころの斯盧国は金官よりも力が弱ようです。首露王はそれなりに力があり周辺国からも一目置かれていたということなのでしょう。

インドの姫が后?

首露王の妻は許黃玉(ホ・ファンオク)。三国遺事によると阿踰陁国(アユダ国)の姫だといわれます。阿踰陁国とは古代インドにあった都市アヨーディヤーです。

許黃玉が海を渡って南方から来たのは間違いないようですが、インドから来たというのは仏教伝来後に作られた話のようです。インドから来た姫という話は東南アジアにもよくある話です。朝鮮半島と東南アジアの交流によって産まれた伝説なのかもしれません。

許黃玉は首露王との間に9人の子供を生みました。その中には次の王様・居登王もいます。

日本と加羅の関係

三国志・魏書東夷伝倭人条(いわゆる魏志倭人伝)には狗邪国は倭国の北限と書かれています。狗邪国は金官国の元になった国です。

弥生時代初期には北九州との交易が始まり、弥生時代中期ごろには丹後など日本海側の地域とも交易が行われました。紀元前の日本では鉄が採れなかったので弁辰で購入するしかなかったからです。

日本からはヒスイなどが持ち込まれました。ヒスイは朝鮮半島では採れない貴重な石だったので鉄との取引に使われたのでしょう。

倭人の住んでいた地域が任那と呼ばれる場所だといわれます。古代中国や高句麗の記録では加羅と任那の両方の名前が出てきます。加羅と任那は区別されていたようです。

百済、新羅との戦いが激しくなると加羅諸国は倭と同盟して百済、新羅に抵抗します。

高句麗の好太王碑には400年と404年に倭が高句麗と戦ったことが書かれています。このとき加羅諸国の中にも倭と同盟して高句麗や新羅と戦った国もあったようです。

歴史から姿を消した金官加羅

古代には鉄の産地として栄えた加羅諸国。しかし最後まで統一された強い国ができませんでした。領土拡大を狙う周辺の国々に脅かされることになります。倭(日本)、百済、新羅が入り乱れ。獲得合戦が行われました。

5世紀以降、倭国は加羅よりも百済との関係を重視するようになります。倭国の影響力が低下した加羅諸国は次々に新羅や百済に吸収されました。

532年金官国は新羅に降伏。大伽耶が562年に新羅に滅ぼされ、他の国は百済に吸収されました。こうして加羅諸国は歴史から姿を消します。

金官国滅亡後、金官国の王族・金一族は新羅に仕えます。新羅の将軍・金庾信(キム・ユシン)は金首露の末裔と名乗っていました。現在でも金海金氏は金首露の末裔だといわれています。

テレビドラマ

鉄の王キム・スロ MBC 2010年 演:チ・ソン

古代

Posted by Fumiya


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