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敬恵公主(キョンヘコンジュ)は弟と夫を世祖に殺害された

4 李氏朝鮮の王女

 

「王女の男」に登場する敬恵公主(キョンヘコンジュ)は実在の人物。

かなりドラマチックな人生を歩んだ女性なんです。

弟の端宗が王になったものの、伯父・首陽大君に王位を奪われ。弟や夫も殺されてしまいます。敬恵公主も奴婢にされかけそうになりました。

幸いにも奴婢にならずに晩年は尼として暮らしました。

史実の敬恵公主(キョンヘコンジュ)どんな人物だったのか紹介します。

 

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敬恵公主(キョンヘコンジュ)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1436年
没年月日:1473年

称号:敬恵公主(キョンヘコンジュ)
父:文宗
母:顕徳王后 権氏
姉:生後1年で他界
弟:6代王端宗(弘暐:ホンウイ)
夫:鄭悰(チョン・ジョン)
子供:鄭眉壽(チョン・ミス)

5代王・文宗の娘です。4代王・世宗の孫になります。敬恵公主が生きたのは1436年~1473年。朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に5文宗~7代世祖の時代です。

日本では室町時代の人になります。

おいたち

敬恵公主が産まれたとき、父の文宗はまだ即位前。母・権氏は世子嬪ではなく、下の位の「良媛」でした。敬恵公主はヒョンジュという身分でした。

世子嬪が問題を起こし追放され、権氏が3番目の世子嬪となりました。敬恵公主は幼いころ、母とともに世子嬪の住処・資善堂で暮らしました。

1441年(世宗23年)。敬恵公主が6歳のとき母・権氏が亡くなります。敬恵公主は親類の家で育てられました。敬恵公主は漢陽でも噂になるほどの美しい娘だったといわれます。

1450年(世宗32年)。15歳のときに鄭悰(チョン・ジョン)と婚約しました。当時は12、3歳で婚約するのが当たり前の時代でした。婚約が遅かったのは妻をなくして寂しい思いをしていた父のそばを離れたくなかったためだといわれています。

しかし、祖父・世宗が病に倒れます。もし祖父が亡くなると3年間は喪に服することになるので結婚できません。そうなると敬恵公主は18歳をこえてしまいます。当時の王族としては晩婚です。父・文宗は急いで敬恵公主を結婚させました。

結婚後、敬恵公主は平昌郡主と呼ばれました。父がまだ世子だったので公主とはよばれませんでした。

1450年。父が5代王・文宗に即位すると敬恵公主とよばれるようになりました。夫の鄭悰は王女の夫・府馬になりました。

父・文宗は一人娘とその夫のために豪華な家を建てました。

しかしもともと病弱だった文宗は若くして亡くなります。

1552年。弟の弘暐(ホンウィ)が6代王・端宗として即位しました。端宗はまだ12歳と若く、父も母も祖父母もいません。端宗にとって姉の敬恵公主が唯一の肉親でした。端宗は頻繁に敬恵公主の家を訪れていました。

1455年。伯父の首陽大君がクーデターを起こして端宗を追放してしまいます。癸酉靖難という事件です。

癸酉靖難当日の夜も端宗は敬恵公主の家で寝泊まりしていました。

 

世祖の迫害

伯父の首陽大君は7代王・世祖となりました。弟の端宗は14歳で上王となりました。

1455年。錦城大君事件(世宗の6男・錦城大君が首陽大君の反感をかって流刑になった事件)に関わったため夫の鄭悰が流刑になってしまいます。

敬恵公主が病気になると端宗は夫を呼び戻すように世祖に使いを送りました。世祖もその訴えを聞いて鄭悰を呼び戻しました。しかし敬恵公主が回復すると鄭悰は再び流刑になりました。

1456年。端宗の復位をもとめて家臣らが決起しようとしました。「死六臣事件」です。しかし事前にばれて関係者は処分されてしまいます。弟の端宗は上王の身分を剥奪されて世子になる前の魯山君の身分に落とされてしまいました。

1457年。端宗の伯父・錦城大君が端宗の復位を求めるため挙兵しようとしました。しかし事前にばれてしまい、錦城大君と端宗は処刑されてしまいました。

1461年。夫の鄭悰が謀反を企てて失敗、処刑されてしまいます。

世祖は敬恵公主の王族の身分を奪って官婢(役所に所属している奴婢)にしようとしました。それを聞いた敬恵公主は「私は王の娘である。どうして私に官婢をさせるのか」と座り込みをしました。

世祖の后・貞喜王妃が懇願したこともあり、官婢にする命令は撤回されました。

敬恵公主は奴婢にはなりませんでした。でも、敬恵公主は髪をおろして尼になり粗末な生活をおくるようになりました。

1462年。それを知った世祖は敬恵公主を哀れんで都の近くに呼び戻し家を建て没収した財産を戻しました。

晩年・世祖は多くの人々を殺めたことを後悔するようになったといわれます。敬恵公主の身分を回復して援助したのもそんな気持ちがあったからなのかもしれません。

9代王成宗の時代。家臣たちが敬恵公主の息子が生きていれば謀反を起こすかもしれないと訴えました。しかし貞喜王妃が家臣たちを叱り、再びその話題を出すことを禁じました。夫の世祖が敬恵公主の弟や夫を処刑したことを心苦しく思っていたのかもしれません。

1473年。敬恵公主は病気で亡くなりました。38歳の若さでした。

息子の鄭眉壽(チョン・ミス)は科挙に合格し、役人となります。重臣たちが燕山君に対して決起した中宗反正にも参加して功績をあげ海平府院君の称号を得ています。

 

テレビドラマ

ハンミョンフェ KBS、1994年 演:ソヒ
王と妃 KBS、1998年 演:ギムミジュ
王女の男 KBS、2011年 演:ホン・スヒョン

王女の男で敬恵公主(ドラマではキョンヘ王女)を演じるのはホン・スヒョン。「チャン・オクチョン~愛に生きる」で仁顯(イニョン)王后を演じた女優さんです。気丈な役が似合いますね。

 

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