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美室(ミシル)は実在の人物なの?どうしてたくさん夫がいるの?

3 新羅

韓国ドラマ「善徳女王」に登場するミシル(美室)は、朝鮮半島の歴史を書いた「三国史記」などの文献には登場しません。「花郞世記」という本にのみ登場する人物です。

「花郎世記」によると新羅時代に存在した女性だと言われます。3人の王と関係をもち、多くの愛人を作りました。権力への執着の強い女性として描かれます。

韓国の歴史学会では「花郞世記」は作り話とされます。美室は「花郞世記」にしか登場しないため架空の人物だといわれています。

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ミシル(美室)の登場する花郎世記とは

もともと「花郎世記」は新羅時代に書かれた「花郎」の記録といわれます。歴代の花郎や風月主(花郎のリーダー)、関係者が書かれた記録でした。「花郎世記」は高麗時代の初期までは残っていたようですが、その後失われました。

ところが1989年、韓国の金海で「花郎世記」が”発見”されました。”発見”された「花郎世記」は、日本の宮内庁に残されていたものを書き写したことになっています。もしそうであれば日本に原本があるはずです。でも「花郎世記」は見つかっていません。

「花郎世記」は歴史学会では偽物あつかいされました。作り話なのです。

でも韓国では人気が高くドラマのネタとしてよく使われます。「善徳女王」、「ファラン(花郎)」も「花郎世記」の内容をもとにつくられています。

ドラマのもとになった「花郎世記」にかかれているミシル(美室)について紹介します。  

ミシル(美室)の史実?

いつの時代の人?

生年月日:546または548年
没年月日:612年?

名前:美室(ミシル)
父:未珍夫(第2代風月主)
母:妙道夫人 朴氏

弟:美生(第10代風月主)
夫:弩里夫(第6代風月主、世宗ともいいます)
子供:夏宗(第11代風月主)、玉宗

情夫:
斯多含(第5代風月主)
薛原(第7代風月主)
美生(第10代風月主、実の弟)
真興王(第24代国王)
真智王(第25代国王)
真平王(第26代国王)

美室がいたとされるのは新羅の第24代真興王~第26代真平王の時代。

日本では推古天皇、聖徳太子とほぼ同じ時代になります。

家系は不明ですが、歴代王妃を排出した一族の生まれだとされます。一説には、新羅の王族・朴氏だといわれます。

美室(ミシル)は第2代風月主・未珍夫の娘。第2代風月主・ミセン(美生)の姉です。

美室(ミシル)は第5代風月主・斯多含と恋仲でした。真興王の母・只召太后によって世宗(第6代風月主・弩里夫)と結婚させられます。世宗が美室を気に入っていたからです。弩里夫や世宗(李氏朝鮮の王とは別人)は実在の人物ですが、花郎世紀の内容とは違っています。

真興王の時代

美室は24代真興王の命によって仕えるようになりました。美室は既に結婚しているのですが、殿主(王の愛人)となって王妃と同等な待遇をうけるようになりました。

「花郎世紀」によると、この時代の新羅では既婚の女性でも高い身分の男と関係を持つことで保護をうけることができたといわれます。美室と世宗の子供は王子や王女ではありませんがそれに近い待遇を受けることができるのです。

しかし歴史的にそのような事実があったのかは確認されていません。

美室は夫の世宗を出世させるために戦に出陣させました。

真興王の息子で太子の金銅輪とも情を通じていました。

弟の美生(ミセン)とも情を通じました。

真興王の側近・薛原(ソルォン)とも情を通じました。美室を寵愛していた真興王はそれを知りません。

美室を寵愛していた真興王は源花制度を復活させて美室を花郎の統率者(源花)にしました。

しかし金銅輪との関係が真興王にばれて王宮を追放されます。思道王后(真興王の妃)が美室を許すように真興王を説得したのと、美室が泣いて懇願したので真興王は許しました。

真興王が病気になると、美室は政治に関わるようになりました。

真興王の息子・金金輪(後の真智王)と情を通じて王妃になろうとします。

真興王が死去すると思道王后(太后)とともに金金輪を王にしました。

真智王の時代

ところが真智王が即位すると王妃は知道夫人になりました。
さらに真智王は好色で遊んでいたので思道太后も困ります。美室は思道太后と手を組み、夫の世宗を使って真智王を廃位させました。

銅輪の息子・伯淨が王(真平王)になりました。

真平王の時代

真平王は13歳で即位したので最初は思道太后が摂政になりました。美室は璽主になりました。

第7代風月主・薛原(ソルォン)とも情を通じ、寶宗が生まれます。寶宗はのちに第16代風月主になりました。

585年(真平王7年)。弟の美生が第10代風月主になりました。息子の夏宗を副官にします。

588年(真平王10年)。夏宗が第11代風月主になりました。

真平王の時代の中頃には、夫の世宗、愛人の薛原(ソルォン)とともに出家して永興寺で暮らしました。

美室は多くの男と情を交わしましたが、薛原(ソルォン)をもっとも深く愛していたともいいます。

606年。美室が病気になると薛原(ソルォン)は看病を続け自分が代りに病気になると願いました。その後、薛原(ソルォン)は美室と同じ病気′になって死亡しました。

美室が死亡した年はよくわかりませんが612年までは生きていたことになってます。

以上が「花郎世紀」に書かれた美室です。

ドラマ「善徳女王」でもミシルは権力欲の強い女性として描かれています。徳曼(トンマン)と争うことになるのですが、これはドラマの演出です。

花郎世紀には美室と徳曼が争ったとは書かれていません。真平王の時代にひっそりといなくなっているのです。常識的に考えれば真平王と対立して追い出されたことになるのでしょう。それではドラマが面白くないのでトンマンと争うことになったのでしょうね。

いずれにしろ花郎世紀は現代になって発表された文献ですし、美室は実在の人物ではないと考えられます。

テレビドラマ

ヨンゲソムン SBS 2006年 演:ソ・ガプスク
善徳女王 MBC 2009年 演:コ・ヒョンジョン

 

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