イ・サンに登場するパク・テスは実在したの?モデルになったのは誰?

2018年4月17日

韓国時代劇「イ・サン」にはパク・テス(朴大壽)が登場します。

幼いころのサンやソンヨンの友達でした。成人したパク・テスはやがてイ・サンを護衛する武官になります。

パク・テスは架空の人物です。でもモチーフになった人物がいます。

それが白東脩(ペク・ドンス)です。

ペク・ドンスは聞いたことある。と思った人もいるのではないでしょうか。ペク・ドンスはドラマが作られるくらい知られた人物。

でも韓国時代劇の「ペク・ドンス」はまったくの作り話。

武官の地位が低かった李氏朝鮮は珍しく、現代でも名前が伝わっている人物。ペク・ドンスは朝鮮の武人の代名詞ともいえる存在なんです。

その実在の武官がパク・テスのモデルになっています。

パク・テスのモデルになった白東脩(ペク・ドンス)はどんな人物だったのか紹介します。

白東脩(ペク・ドンス)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1743年
没年月日:1816年

名前:白東脩(ペク・ドンス)
称号:
父:白師宏
母:
妻:晋州柳氏

子供:白心鎭

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に22代正祖~23代純祖に仕えました。

日本では江戸時代の人になります。

おいたち

 1743年(英祖19年)に誕生。

祖先は両班で戸曹判書を勤めたこともある白時耉。20代景宗のとき政変で処刑されました。

白東脩の父・白師宏は庶子だったので、白東脩は両班ではありません。低い身分です。

「剣仙」といわれた金体乾(キム・チェゴン)の息子・金光澤(キム・グァンテク)に剣を習いました。

金体乾(キム・チェゴン)はドラマ「テバク」に登場して、主人公のペク・デギルに剣術を教えた人物。

金光澤(キム・グァンテク)はドラマ「ペク・ドンス」に登場してペク・ドンスに剣術を教えた人物です。

1771年(英祖47年)。科挙の武科に合格しました。しかし、庶子だったことと、空いた役職がなかったことから役職につくことができません。農業や牧畜をして暮らしていました。

1776年。正祖が即位。正祖は王宮を守る荘勇営を創設しました。白東脩は武官として採用されました。

1789年(正祖13年)。新しい武芸書を作成するように命令を受け、李徳懋や朴斉家とともに武家遺書「武芸図譜通志」を完成させました。

その後も武官を勤め、1792年には忠清道の県監を勤めました。県監は地方の役人です。現代の市長のようなものです。

1795年(正祖19年)。恵慶宮洪氏の生誕60年祭の年に荘勇営哨官に復帰。

1802年(純祖2年)。平安道博川の役人となります。

1806年(純祖6年)。領議政の李秉模が汚職があったと主張し、白東脩は流罪になって監視下におかれましたが、1810年(純祖10年)に許されて軍器副正に任命されました。

1816年(純祖16年)。死去。享年74歳。

武官にとってはつらい時代

白東脩が本当に汚職をしたのかはわかりません。手柄をたてて有名になる武官がいると、たいていは濡れ衣を着せられて失脚させられます。李氏朝鮮では武官の地位は低いので、あまり目立つような活躍をすると重臣たちから疎まれました。

現代の日本みたいに文民統制が効きすぎて有能な武官が活躍しずらかったのが朝鮮だったのです。

また、純祖時代は正祖時代の政策をことごとく壊していった時代。正祖が育てた人材も潰されていきました。白東脩も濡れ衣の可能性が高いですね。

パク・テスとペク・ドンスには直接は関係ありませんが。若い頃は貧しい生活をして、正祖が即位すると新しく作った軍の一員になるのは似ています。ペク・ドンスが参考になったのでしょうね。

ドラマ「イサン」後半には ペク・ドンス という名前の武官も登場しています。

ペク・ドンスを参考に作られたパク・テスとペク・ドンス自身が登場するとは面白いですね。

ペク・ドンスとして登場するテレビドラマ

イ・サン  2007年 MBC 演:キム・ソンシル
ペク・ドンス 2011年 SBS 演:チ・チャンウク


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