南師古(ナム・サゴ)は朝鮮の預言者?

2018年4月8日

南師古(ナム・サゴ)は華政などで名前が出てくる預言者です。

伝説的な預言者となっていますがそのような人はいたのでしょうか?

実はナムサゴは実在する人物なのです。明宗時代の役人でした。占いにも凝っていたようです。

史実の南師古(ナム・サゴ)はどんな人物だったのか紹介します。

 

南師古(ナム・サゴ)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1509年
没年月日:1571年

名前:南師古(ナム・サゴ)
号:格庵(ギョアム)
父:南希伯(ナム・ヒバク)

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の11代中宗~13代明宗の時代です。

日本では室町時代になります。

おいたち

 

1509年(中宗4年)、吏曹佐郞(正6品)の南希伯(ナム・ヒバク)の息子として産まれました。

若い頃は儒教を学びましたが、後に易学、天文学、地理、観相、卜占を学びました。

幼い頃から読書が好きで、控えめな性格だったといいます。

1564年(明宗19)、役人になり、参奉をつとめました。晩年は天文学の教授(従六品)をつとめました。

南師古秘訣(預言書)、南格庵十勝地論などの本を書き残しています。

十勝之地は災害が起きたとき安全とされる十の場所です。地理的な根拠はなく、朝鮮初期に広まった伝説です。でも朝鮮戦争でも十勝之地を求めて放浪した人がいるくらい朝鮮では信じられていました。

ナム・サゴは役人としてはそれほど身分は高くなないのですが、ナム・サゴを有名にしたのは予言でした。

明宗時代に士林派が分裂することを予想しました。歴史上は士林派が分裂したのは14代宣宗の時代。東人派と西人派に分かれて対立しました。明宗時代にはその兆候があったのかもしれません。

壬辰年(1592年)に白馬に乗った者が南から攻めてくることを予想。これは1592年に起きた壬辰倭乱(朝鮮出兵)のことだといわれています。朝鮮側のいいつたえでは加藤清正が白馬に乗っていたとされます。

朝鮮では日本最強部武将=加藤清正だと考えていました。強い武将が白馬に乗っていれば加藤清正という感覚だったのでしょう。

宣祖の即位も予測したといいます。

これらの予想が当たったことから、ナム・サゴは預言者として有名になりました。

ナム・サゴの死後、次々と伝説が作られていきます。道術(道教の呪術)や神通力を使ったという伝説も産まれました。

ナム・サゴが書いたとされる預言書も発行されました。もちろん、後世の人が書いた偽物です。

なぜ予言が人気があるの?

朝鮮は古代より外国の攻撃に悩まされ、国内では権力争いが絶えませんでした。抑圧された民衆の間にはユートピア思想、救世主思想が流行っていました。どこかに理想の場所があるに違いない、誰かが助けてくれるに違いないという思想です。

儒教では迷信や占いを禁止していました。でも、庶民の間では占い、予言、呪術は盛んでした。裏では王族や重臣も信じている人もいました。風水が盛んなのもそのような理由からです。風水も迷信の類ですが、学問の体裁をとってるので儒教を学んだ両班層にも抵抗なく広まっていました。

そうした事情もあり予言や占いは需要があったのです。韓国時代劇で予言がよく出てくるのは、人々の間に「苦しい世界から逃れるために何かにすがりたい」という願望があったからなんですね。

ナム・サゴ自身は占いだけでなく天文学や地理など幅広い知識をもつ人だったようです。占いにも凝っていたようなので様々な予言をしたのでしょう。その中の幾つかが当たって評判が上がったのでしょうね。

いちど有名になるとナム・サゴの名を利用した出版物や宗教がはやり、更にナム・サゴの名前が広まりました。

ナム・サゴは物語では伝説的な預言者になってます。でも、実際のナム・サゴは占いに凝っていた知識豊富な中級役人だったようです。

ドラマの南師古(ナム・サゴ)

華政 2015年 MBC 演:ジョン・ムソン

 


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