バヤンフト:史実の正皇后は控えめな皇后だった

2018年3月5日

韓国時代劇「奇皇后」でペガンの姪となっているバヤンフト皇后は実在の人物。

モンゴル帝国・順帝トゴン・テムルの正皇后です。

実際にはペガンの親戚ではありません。ドラマでは表の顔と裏の顔を使い分ける人物として描かれます。あまりいい描かれ方はされていません。記録に残るバヤンフトは慎み深い女性だったと言われています。宮中で力を持っていた奇皇后には逆らわないように大人しく生きている人でした。

史実のバヤンフトとを紹介します。

バヤンフトの史実

いつの時代の人?

生年月日:1324年
没年月日:1365年

名前:伯顔忽都(バヤンフト)
父:毓德王
夫:順帝トゴン・テムル

子供:
眞金皇子
雪山皇子

モンゴル帝国の順帝トゴン・テムルの2番めに第一王妃になった女性。

日本では室町時代の人になります。

おいたち

バヤンフトはモンゴル帝国7代目(大元帝国になってからは3代目)皇帝・武宗カイシャンの妃・宣慈恵聖皇后チェンガの姪。毓徳王ベイルテムルの娘です。

1335年。トゴン・テムルの妃・ダナシュリ(タナシルリ)が廃妃になりました。ダナシュリの兄弟が謀反をおこしたためです。

1337年。バヤンフトは皇后になりました。皇帝トゴン・テムルは寵愛する奇皇后を第一皇后にしようと思いましたが、丞相バヤンが反対したためしかたなくバヤンフトを皇后にしました。

バヤンフトはコンキラト族出身。コンギラト族はモンゴルでは名門の一族で多くの皇后をだしてきました。

トゴン・テムルの時代には一族の力は衰えていましたがそれでも名門には違いありません。

バヤンフトは控えめな性格で、倹約家でした。皇后になったあともあまり人前に出ることはありませんでした。嫉妬を見せることもなかったといいます。

トゴン・テムルが財産を与えようとしても断ったといいます。

むしろ宮中ではトゴン・テムルの寵愛を受ける第二皇后の奇皇后の方が力がありました。

バヤンフトはできるだけ奇皇后とは問題を起こさないようにおとなしく暮らしたといいます。

トゴン・テムルとの間には眞金皇子が生まれました。

奇皇后には既にアユシリダラを産んでいたために皇位継承問題が起こりました。

しかし眞金皇子が2歳で亡くなったために、王位継承問題はなくなりました。

1365年。バヤンフト自身も42歳で亡くなりました。

バヤンフトの死後、皇后の部屋を訪れた奇皇后は質素な衣装を見て「正皇后がこんな服を着ていたのか」と大笑いしたといいます。 

ドラマ「奇皇后」では悪役的な位置づけのバヤンフト。奇皇后をヒロインにした韓国のドラマでは、モンゴル出身のバヤンフトは、良い描かれ方をしないのは仕方ないのかもしれません。

実際には権力欲が強くて宮中で力を持っていたのは奇皇后。バヤンフトは名家出身とはいえあまり力はなく、ひっそり生きていたようです。

テレビドラマ

奇皇后 MBC 2013年 演:イム・ジュウン


PAGE TOP