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大妃・王大妃・大王大妃は何が違うの?

2 李氏朝鮮の妃・側室

韓国歴史ドラマを見ていると大妃(テビ)という言葉がよく出てきます。”王の母”という意味で使われる事が多いですね。王大妃(ワンテビ)や大王大妃(テワンテビ)という言葉も出てくることがあります。大王大妃は王の祖母?王大妃は何?と混乱してしまいます。

そこで、大妃・王大妃・大王大妃の違いについて紹介します。

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大王大妃(テワンテビ)

先先代の王の妃。多くは今の王の祖母になります。

でも王の弟が王位を継いだ場合は新しい王の実の母が大王大妃になることもあります。大王大妃=祖母とは限りません。

もともとは中国の言葉から

古代中国の先先代の皇帝の妻を意味する太皇太后からとった言葉です。朝鮮は中国の支配下にありました。国の支配者が皇帝を名乗るのは中国だけです。他の属国は皇帝を名乗ってはいけません。王と名乗ります。皇帝の妻は皇后、王の妻は王妃になります。

”太”という字には、太上=これ以上はない=最高という意味があります。そこでワンランク低い、おおいな=普通よりも偉いという意味の”大”に変えました。

そこでこのようにランクを下げた言葉に置き換えて使ったのです。

太皇太后 → 大王大妃

年長者を尊敬する考えの強い朝鮮では大王大妃は王室でも最高の権威があるとされました。国王でも大王大妃の意見を蔑ろに扱うことは出来ません。

歴代の大王大妃

大王大妃は王の祖母にあたる人ですから3代の王の時代を生きなければいけません。27代続いた李氏朝鮮には10人の大王大妃がいました。先代王の妃が生きてることはよくありますが、大王大妃は少ないですね。それでも10人もいました。その理由はいくつかあります。

・長生きしたから
いつの時代も女性は長生き。しかも王の母は大事にされます。だから長生きする大妃はいました。李氏朝鮮王朝は日本でいうと室町時代から江戸時代。人生50年の時代です。李氏朝鮮でも事情は似たようなもので、朝鮮王朝の王の平均寿命は46.1歳。王妃の平均寿命は48.7歳でした。60まで生きれば長生きなのですね。大王大妃になった人は全員平均寿命より長く生きている人ばかりです。仁粹大妃などは長生きした方ですね。

・王の晩年に王妃になったから
王妃が王より先に亡くなると次の王妃が選ばれます。王の年齢に関係なく14~16歳の人が選ばれました。「王とおなじくらいの年齢でなければいけない」という考えは全くありません。だから親子ほど歳の離れた王妃が誕生することがあります。

王の晩年に王妃になった人はどうしても次の世代まで生きてることが多くなります。仁穆王后、莊烈王后、仁元王后、貞純王后など、この理由で大王大妃になる人が多いですね。幽閉生活の長かった仁穆王后以外は長生きです。大妃になると大事にされるし、王妃時代よりもストレスが少ないし、政争で命を落とすこともないので長生きできるのかもしれません。

・王の母なのに大王大妃になってしまった
王が兄から弟に引き継がれた場合、王の母でも大王大妃になります。その場合、兄嫁(義理の姉)が王大妃です。文定王后がこのパターンです。

・後継者が短命だった
王位を継いだ人が短命だった場合、前の王の妃が存命している確率が高くなります。そのパターンで大王大妃になったのが貞熹王后。李氏朝鮮初の大王大妃+垂簾政治を行った人です。

歴代の大王大妃

()カッコ内の数字は享年(数え年)

慈聖大王大妃(貞熹王后)(66)
7代世祖の妃
9代成宗の祖母
王女の男ヒロイン・セリョンの母
慈淑大王大妃(昭恵王后・仁粹大妃)(68)
懿敬世子の妃
10代燕山君の祖母
懿敬世子は死後、徳宗の称号を送られました。
燕山君の祖母・仁粹大妃(インステビ)として有名
明懿大王大妃(安順王后)(55)
8代睿宗の妃
10代燕山君の義理の祖母(祖父の弟の妻)
聖烈大王大妃(文定王后)(66)
11代中宗の妃
13代明宗の実の母。異母兄が王だったので、2つ前の王の妃ということで大王大妃になります。
オクニョに登場する大妃
明烈大王大妃(仁穆王后)(49)
14代宣祖の妃
16代仁祖の義理の祖母
華政の大妃、ジョンミョン公主の母
慈懿大王大妃(莊烈王后)(65)
16代仁祖の妃
18代顕宗の義理の祖母
19代顕宗の義理の曾祖母
宮廷残酷物語の莊烈王后の後の姿。張禧嬪が仕えた大妃
恵順大王大妃(仁元王后)(71)
19代粛宗の妃
21代英祖の義理の母
トンイの最後の方に登場する王妃
睿順大王大妃(貞純王后)(61)
21代英祖の妃
23代純祖の義理の祖母
イ・サンの大妃。イサン亡きあと問題に
明敬大王大妃(純元王后)(69)
23代純祖の妃
24代憲宗の祖母
25代哲宗の系譜上の母
孝裕大王大妃(神貞王后)(83)
孝明世子の妃
孝明世子は死後、文祖の称号を与えられました。
25代哲宗の系譜上の母
26代高宗の系譜上の母

歴代の大王大妃をリストにしてみました。 大妃は王妃時代とは別の名前で呼ばれることがあります。ドラマではわかりやすさを優先して王妃時代の呼び方をそのまま使ってることが多いです。

例えばオクニョに登場する文定大妃の場合。歴史の研究者は慈懿大王大妃と呼びます。でも一般には王妃時代の文定王后という呼び方から文定大妃と呼ばれることも多いです。

先先代なのに大王大妃にならなかった王大妃がいる

大王大妃は先先代の王妃。でも先先代の王妃なのに大王大妃にならなかった大妃がいます。

中宗の母・慈順大妃(貞顕王后)です。
王位が燕山君から弟の中宗に引き継がれました。中宗の母は先先代の王妃になります。でも、燕山君が廃位されたときに王妃も廃妃になったので王大妃がいません。中宗の母は王大妃になりました。チャングムに登場する大妃です。

王大妃(ワンテビ)

先代の王の妃です。

普通は今の王の母になります。でも王位が親から息子に継がれるとは限りません。兄から弟に継がれた場合は兄嫁が大妃、実の母が大王大妃になります。親戚が継いだ場合は血縁関係がうすいのに大妃になってしまうこともあります。

大妃=王の母とは限らないのです。

高麗時代は王の母は王太后と呼んでいました。高麗が元の属国になるとワンランク低い王大妃という呼び方になりました。李氏朝鮮になっても明、清の支配を受けていたので王大妃という言葉は使われ続けました。

ドラマに出てくる殆どの大妃は王大妃になりますね。でもドラマでは省略して大妃と呼ばれることが多いです。

現在の国家元首の母という意味では、日本で使う皇太后に近い意味があります。チャングムが日本で放送されたときは”王大妃”は”皇太后”に訳されました。しかし李氏朝鮮は明・清の従属国だったので実際には皇太后は使えませんでした。皇太后に変わる呼び方が王大妃なんですね。

大妃(テビ)

まとめた呼び方

大妃は特に決まった地位を意味する言葉ではありませんでした。大王大妃と王大妃をまとめた言い方です。ドラマではいちいち大王大妃、王大妃区別せずに単に大妃と呼ぶことが多いですね。

地位としての大妃

しかし、大妃には地位としても呼び方もあります。

24代憲宗が亡くなったとき。3世代の大妃がいました。大勢いて紛らわしいので区別する必要ができました。そこで王大妃よりワンランク低い呼び方として大妃という位を作りました。

ランクとしてはこのような順番になります。
大王大妃 > 王大妃 > 大妃

現在生きてる歴代の妃の中でも3番目に偉い人。という意味です。この場合、まとめた呼び方の大妃とは区別されます。

500年続いた李氏朝鮮でも、3番目の大妃として大妃の位が付いたのは明憲大妃(24代憲宗の継妃)、明純大妃(25代哲宗の妃)の二人しかいません。他の大妃は大王大妃か王大妃を省略した呼び方です。

 

困ったら大妃

なんだかややこしいですね。

王大妃は前の王様の妃。
大王大妃は前の前の大様の妃。

大妃はまとめた言い方。

とりあえず大妃と呼んでおけば間違いないです。

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