タルタル(トクト)は元の崩壊を止めようとしたが皇帝に裏切られた

ドラマ「奇皇后」に登場するタルタルは元の重臣。モデルになったのは元の宰相・トクトです。

トクトは幼い頃より、バヤン(ドラマ奇皇后ではペガン)の養子となりました。漢民族の教師から学問を習い漢民族の文化に馴染んでいました。

ペガンが元の権力を手にしますが、横暴がすぎたのでトクトは皇帝トゴン・テムル(ドラマ奇皇后ではタファン)とともにペガンを追放します。

その後トクトは実権を握ります。

元の王室では内乱が続き、国内が乱れていました。実権を握ったトクトは元を立て直そうとします。しかしトゴン・テムルによって追放・処刑されます。トクトを失った元はそのご一気に崩壊に向かいます。

史実のトクトはどんな人物だったのか紹介します。

タルタル(トクト)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1314年
没年月日:1355年

名前:托克托(トクト)、脱脱と書くこともあります。
字:大用
父:馬札兒臺(マジャルダイ)
伯父:伯顏(バヤン)

日本ではトクト(托克托)と呼ばれています。モンゴル語の発音では「toytaya」となるようです。
トクト・テムルと呼ばれることもあります。

彼が約約したのは大元帝国12代皇帝トク・テムル~15代皇帝トゴン・テムルの時代です。
高麗王朝の末期。

日本では鎌倉~室町時代の人になります。

おいたち

メルキト族の出身。

幼いころバヤン(ドラマ奇皇后ではペガン)の養子になり育てられました。漢民族の吳直方などから学問を教わりました。

15歳のころ、皇太子時代のアリギバ(11代皇帝)に仕えました。

1331年。都指揮使を務めました。
1334年。同知枢密院事を務めました。トクト(ドラマ奇皇后ではタルタル)は軍の中で出世を重ねました。

1333年にキプチャク族のエル・テムル(ドラマ奇皇后ではヨンチョル)が死亡し、15代皇帝トゴン・テムル(ドラマ奇皇后ではタファン)が即位すると、キプチャク族の力が弱まりました。力をつけたのはメルキト族のバヤンでした。

1335年。エル・テムルの息子・タンキシ(ドラマ奇皇后ではタンキセ)はバヤンから政治の主導権を奪い返そうと反乱を起しましたが、バヤンが鎮圧しました。朝廷からキプチャク族は一層され、メルキト族が力をもちました。

1338年。御史大夫になりました。

しかしバヤンが力をもちすぎたため、トゴン・テムルはバヤンを恐れました。バヤンは科挙を廃止したり漢民族を虐殺したりと漢民族に対しては厳しい政策をとりました。しかしトクトは漢民族の文化に親しんでいました。

1340年。トクトは、バヤンの横暴に嫌気がしているトゴン・テムルに接近。バヤンの追放をもちかけました。トクトはトゴン・テムルや政策に反発する者やと協力して挙兵。バヤンが狩りに出ている間にバヤンに従うものを粛清しました。バヤンを地方に流刑にしました。バヤンは地方に向かう途中で病死しています。

トクトによるバヤンの追放は、遊牧民の伝統を重視する高原派と、漢民族の文化を取り入れようとする漢地派の対立だと言われています。

1340年12月。バヤンが廃止した科挙が復活しました。

1341年。トクトの父・マジャルタイが宰相になりました。しかし形だけの宰相で、実際の権力はトクトが持っていました。10月にマジャルタイは辞職。トクトが中書右丞相になりました。

トクトの時代に歴代帝国の歴史書の編纂にとりかかります。
1343年に「金史」、1344年に「遼史」、1345年に「宋史」が完成しました。

1344年5月。父・マジャルタイがトゴン・テムルによって罪を着せられ甘粛に追放されました。トクトは辞職して父ともに甘粛に向かいました。マジャルタイは甘粛で死亡します。

その後、黄河が反乱。トゴン・テムルは有効な対策ができませんでした。

1349年。マジャルタイは冤罪だったとしらせがあり、トクトに都に戻るように命令が出ました。
再び中書右丞相になったトクトはまず黄河の堤防を修理を命じました。
新しい紙幣「至正交鈔」の発行も行いました。

ところが、黄河の修理のため行った大規模な工事は民衆の不満を高めました。

白蓮教の韓山童が民衆の不満を煽って紅巾の乱のきっかけを作りました。韓山童は処刑されましたが、反乱は続きました。

1351年。芝麻李たちが反乱を起こし、徐州が奪われました。
1352年。トクトは10万の兵で徐州の反乱を鎮圧しました。
1354年。ふたたび紅巾の乱の鎮圧に向かいます。ところが遠征中に、ハマの讒言を信じたトゴン・テムルによって追放されてしまいます。トゴン・テムルはトクトが大きな力を持ちペガンのようになるのを恐れたのです。

トクトは捕らえられ雲南に護送中に毒薬を飲まされ死亡しました。

トクトがいなくなった遠征軍は壊滅。元の朝廷も反乱を鎮圧する力を失いました。

やがて朱元璋によって、トゴン・テムルは大都(現在の北京)を追われ、北方に逃げます。

崩壊にむかいつつある大元帝国をなんとか支えようとしたのがトクトでした。しかし元では内乱が続き、力を持つ者がいなくなってしまいました。トクトの死後、中原の覇者としての大元帝国は終りを迎えます。

1362年。トクトの名誉は回復されました。しかしその後、朱元璋の反乱で大元帝国は崩壊します。

テレビドラマ

奇皇后 MBC 2013年 演:ジン・イハン


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