イ・サンの側室 ソン・ソンヨンのモデル「宜嬪成氏」とは

2018年4月17日

韓国時代劇「イ・サン」のヒロイン ソン・ソンヨン(成松淵)には、モデルになった人がいます。正祖の側室・宜嬪成氏です。

宜嬪成氏は正祖に最も愛された女性でした。

正祖には何人もの側室がいましたが、ほとんど名家から選ばれて側室になった人でした。宜嬪成氏だけが宮女の中から正祖が直接選んだ人です。

イ・サンのドラマに登場するソン・ソンヨンはかなり脚色された人物ですが、実在の宜嬪成氏も魅力的な人物だったようです。

史実の宜嬪成氏はどんな人物だったのか紹介します。

宜嬪成氏(ウイビンソン氏)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1753年 8月6日
没年月日:1786年 11月4日

名前:成徳任(ソン・ドクイム)
称号:宜嬪(ウィビン)
父:成胤祐(ソン・ユンウ)
母:林氏
妻:

子供
李㬀(イ・スン)
翁主(早世)
死去(妊娠中に死去)

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に22代正祖の側室。文孝世子(病没)の母親です。

日本では江戸時代の人になります。

おいたち

父の成徳任(ソン・ユンウ)は洪鳳漢(ホン・ホンバン)の使用人。洪鳳漢は正祖の外祖父(母の父)でした。

1762年。正祖の母・恵慶宮洪氏の伝手で恵慶宮に仕える女官になりました。

1766年ごろから、当時世子だった正祖の寵愛を受けるようにいいましたが、成氏は泣きながら「嬪宮(後の孝懿王后)がまだ子供を産んでいないのにご寵愛をうけることはできません」と辞退しました。当時、宮女が拒むことは死を意味しましたが、それでも断りました。正祖は成氏の気持ちを理解してそれ以上催促しませんでした。

正祖の母・恵慶宮は正祖の言うとおり寵愛をうけるように言いましたが、成氏は従いませんでした。

1773年(英祖49年)。21歳のとき、正祖の妹・淸衍公主(20歳)、淸璿公主(18歳)、宮女ヨンヒ、キョンヒと共に小説「郭張兩門録」を書きました。

正祖は成氏の筆文字は素晴らしいと褒めたといいます。

1780年(正祖4年)。再び正祖が寵愛をうけるように言いました。この時も成氏は断りました。

しかしこんどは正祖は引き下がりません。正祖は成氏に付き従う使用人を呼び出して叱りつけました。成氏はやむなく寵愛をうけることにしました。このとき尚宮(正5品)になったと考えられます。

また成氏が暮らすための讌華堂が与えられました。まだ尚宮ですがすでに側室と同等の扱いを受けています。

讌華堂は王が日常業務をしていた宣政殿の東にあり、王の寝所として使われた熙政堂の近くにあったといいます。世宗に気に入られていたことがわかります。

1782年(正祖6年)。成氏は解任しました。

恵慶宮洪氏は成氏が出産するときは実家から連れてきた乳母や使用人を送って助けました。

当時、正祖には男子がなく後継ぎが望まれていました。成氏の懐妊が分かると、まだ尚宮の身分だった成氏のために正祖は異例の速さで出産時に設置される臨時の部署を設置しました。正祖の期待の大きさがわかります。

成氏は、住まいの讌華堂で李㬀(イ・スン、後の文孝世子)を出産しました。

子供を産んだことにより、側室・昭容になりました。

1783年(正祖7年)2月。李㬀(イ・スン)は元子(事実上の後継ぎ)となり、母の成氏は宜嬪になりました。

1784年(正祖8年)。李㬀(イ・スン)が世子(文孝世子)になりました。

1786年(正祖10年)。旧暦5月。文孝世子がはしかで亡くなります。

旧暦9月。宜嬪は出産時に亡くなりました。心臓の病があったといいますが、世子の死でさらによわっていたと言われます。正祖は彼女の死を悲しみ号泣したといいいます。正祖の悲しみ方があまりにもひどいために恵慶宮も心配するほどでした。

正祖は亡くなった宜嬪のために祭文(祭祀のときに読み上げる文章)た墓碑に刻む文を書きました。

宜嬪は息子の文孝世子とともに孝昌墓(現在の孝昌公園)に埋葬されました。

後の時代に墓が整理され孝昌園に埋葬されました。

毒殺疑惑

宜嬪の死因は病気だとされていますが、一部では毒殺疑惑もあります。

宜嬪の死から数ヶ月たった1786年(正祖10年)12月1日に貞純大妃が「宮嬪ひとつが死んでも心を痛めることはない」と書いた文が残っています。

当時、貞純大妃と正祖の母・恵慶宮は仲がよくありませんでした。宜嬪と恵慶宮は親しくしていたので、宜嬪が貞純大妃から快く思われていなかったことは想像できます。

当時の記録にも「宜嬪の病気は尋常ではないので、人々は何かあるのではないかと疑った」と書かれています。医学の知識があった正祖は宜嬪の死を変に思っていました。

そして宜嬪が内官のイ・ユンムクによって毒殺されたのではないかという疑いがかけられました。正祖は怒ってイ・ユンムクの首をはねて極刑にしようとしましたが、周囲の反対で島流しにとどめました。

しかし正祖は、薬は自ら調合して宜嬪に与えていたので毒が入るはずはないと思い直しました。考えを改めた正祖はイ・ユンムクを釈放しました。かわりに、この件に関わったソン・ヨンドゥクを自ら尋問してソン・ヨンドゥクを島流しにしました。

貞純大妃は正祖の政敵ですから、宜嬪の死を聞いても悲しくないというのは本音でしょう。でも貞純大妃にしても、息子を失った宜嬪を殺しても意味はありません。

結局のところ毒殺はうわさに過ぎなかったということです。

テレビドラマ

イ・サン 2001 演:ハン・ジミン(ソン・ソンヨンとして登場)


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