6 南北朝

6.1 北朝・魏・周・斉

元嵩 :孝文帝・宣武帝からも信頼された北魏の皇族

元嵩(げん・すう)は5世紀末から6世紀はじめの北魏の皇族。 北魏は鮮卑の拓跋氏が作った国です。 元嵩も鮮卑人です。 鮮卑はかつてはモンゴル高原の東にいた騎馬遊牧民族ですが、中原にやってきて王国を作るようになりました。 7代 孝文帝、8代 宣...
6 南北朝

「驪妃」沈廷章のモデル?沈慶之 は皇帝を仕え続け悲劇的な最期をむかえた老臣

沈慶之(しん・けいし)は中国南北朝時代の武将。 南朝の劉宋を支えた重臣です。 劉宋で5代の皇帝に仕えました。北魏との戦いで功績をあげ皇帝からも信頼の厚い人物でした。 しかし劉宋は皇帝の座をめぐる争いが多く。沈慶之の仕える皇帝が何度か変わりま...
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宋 文帝・劉義隆|劉宋の全盛期を築き北魏から領土奪回に燃えた皇帝

宋 文帝・劉義隆は劉宋の第3代皇帝。文帝の治世は「元嘉の治」とよばれ劉宋の全盛期をとされます。 病気で彭城王 劉義康に政治を任せていた時期もあり。国内政治の混乱と戦争に明け暮れ。平和な時期が長く続いたわけではありません。 北魏に奪われた領土...
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南郡王(竟陵王)劉義宣(りゅう・ぎせん)最後は反乱を起こして処刑される

南郡王(なんぐんおう)・劉義宣(りゅう・ぎせん)は劉宋の皇族。竟陵王(きょうりょうおう)ともいいます。 初代皇帝 宋武帝・劉裕の第6皇子です。 文帝からは有能ではないと思われていましたが。 文帝が皇太子の劉劭に殺されると。 兄の武陵王 劉駿...
6 南北朝

彭城王・劉義康 謀反の疑いをかけられ掛け布団で窒息死

彭城王(ほうじょうおう)劉義康(りゅう・ぎこう)は中国南北朝時代の劉宋の皇子。 劉宋の初代皇帝 宋武帝・劉裕の第四皇子です。 国名は「宋」ですが、世界史で習う「日宋貿易」でおなじみの趙匡胤が建国した「宋」とは別の国。劉裕が建国した「宋」は日...
6.1 北朝・魏・周・斉

北周武帝・宇文邕(うぶん・よう)の正室と側室

北周武帝・宇文邕(うぶん・よう)は北周の第3代皇帝。 北周の皇帝になった後、独裁的な権力を持っていた宇文護を暗殺。 北斉を滅ぼして華北を統一しました。 北周の全盛期を築いた皇帝です。 日本でも「独孤伽羅」や「独孤皇后」「蘭陵王妃」など中国南...
6.1 北朝・魏・周・斉

李娥姿|武帝・宇文邕がお気に入りの側室は敵国の捕虜だった?

李娥姿(り・がし)は北周皇帝の3代皇帝 武帝・宇文邕の側室。 4代皇帝。宣帝・宇文贇の生母です。 西魏とは敵対していた梁の出身です。 史実の李娥姿はどんな人物だったのか紹介します。 李娥姿 の史実 いつの時代の人? 生年月日:536年 没年...
6.1 北朝・魏・周・斉

孝閔皇后・元胡摩(げん こま)二人の兄と夫が廃位死亡した悲劇の皇女

孝閔皇后・元胡摩(げん こま)は北周の初代天王(皇帝)孝閔帝宇文覚の王后(皇后)。 元皇后ともいいます。 西魏皇帝 文帝・元宝炬(げん ほうきょ)の娘です。 元皇后は元氏の皇后という意味なので、元皇后と呼ばれた人は他にもいます。紛らわしいの...
6.1 北朝・魏・周・斉

北周 孝閔帝・宇文覚(うぶん かく)は気の強さが災いして殺害された

孝閔帝・宇文覚は北周の初代・天王です。 北周は古代中国の南北朝時代。鮮卑系民族が建国した国です。 宇文覚は北魏・西魏の有力武将だった宇文泰の嫡子。宇文泰の後継者になりましたが。若かったので従兄弟の宇文護が実権を握っていました。 気の強い宇文...
5.1 隋唐の皇帝・皇子

楊 爽:隋文帝 楊堅の弟は死霊の祟りで死んだ?

楊 爽(よう そう)は北周~隋の時代の武将。 隋初代皇帝・楊堅の弟です。 末弟で20歳近くも歳が離れていました。そのため楊爽の活躍は隋の建国後に集中します。隋建国後の突厥との戦いでは指揮官をつとめました。ところが若くして病気で死亡してしまい...
6.1 北朝・魏・周・斉

宣帝・宇文贇(うぶん せん)は北周の滅亡を早めてしまった皇帝

宣帝・宇文贇(うぶん せん)は北周の第5代皇帝です。 歴史上は酒色に溺れ、暴力をふるう悪い皇帝として知られています。 宣帝の死後。1年で北周は滅びました。 宣帝時代に権力を握っていた楊堅が下剋上して隋を建国したからです。 史実の宇文贇ははど...
5.2 隋唐の皇后・側室

順陽公主 (宇文氏)北周武帝の妹は独孤伽羅と仲が悪い

順陽公主 (宇文氏)は北周武帝の妹。 楊堅(よう けん)の弟・楊瓚(よう さん)の妻です。 中国ドラマ「独孤皇后」では 宇文珠(うぶん じゅ)の名前で登場します。 「順陽公主」と呼ばれる皇女は歴史上何人かいます。 この記事で紹介するのは北周...