4 宋

4.3 宋の臣下と人々

王欽若・皇帝に取り入り南北格差の壁を破った宰相

王欽若(おう きんじゃく)は10世紀末から11世紀初期の北宋の大臣。 2代 太宗、3代 真宗、4代 仁宗に仕えました。 寇準とは対立。見栄っ張りで宗教に凝っていた真宗のために封禅や道教の儀式を行いました。そのため莫大な予算を浪費したと批判さ...
4.1 宋の皇帝・男性皇族

趙元份・北宋 真宗 趙恒の弟は穏やかな皇子

趙元份(ちょう げんふん)は10世紀の北宋の皇族で政治家。 第2代皇帝 太宗 趙炅の四男。 第3代皇帝 真宗 趙恒の異母弟です。 穏やかで、言葉使いも丁寧な人物だったと言われます。 真宗が契丹との戦いのため遠征したときには都の留守を任されま...
4 宋

王継忠(耶律宗信)中国史上最も名誉な裏切り者

王継忠(おう・けいちゅう)は北宋の武将。 耶律宗信(やりつ・そうしん)の名前ももっています。 宋の第3代皇帝 真宗に使えました。 ところが王継忠が国境を守っていたとき、契丹との戦争が起こり、捕虜になっていしまいました。 王継忠を気に入った蕭...
4.2 宋の皇后・側室・公主

宋真宗 趙恒(元侃)の正室と側室一覧

宋真宗 趙恒(ちょう・こう)は北宋の第3代皇帝。 皇太子になる前は元侃(げんかん)と名乗っていました。 真宗 趙恒は契丹(遼)と「澶淵の盟」を結んだときの皇帝です。 また真宗 趙恒の正室には中国三大女国主の章献明粛皇后 劉氏(俗説では 劉娥...
4.3 宋の臣下と人々

王継恩・宋の太祖や太宗に信頼され、皇帝の即位に影響を与えた?宦官

王継恩(おう・けいおん)は10世紀の北宋の宦官。 後漢、唐、明の時代には、宦官の独占権の問題がより深刻でしたが、北宋時代には宦官も比較的大きな権力を持っていました。彼らは宮中や後宮で仕えるだけでなく、政治に干渉したり、軍を指揮したりしました...
4.1 宋の皇帝・男性皇族

趙普・趙匡胤兄弟を助けて宋王朝を作った男

趙普(ちょう・ふ)は10世紀の北宋時代の政治家。 北宋の建国者 太祖・趙匡胤に信頼され。趙匡胤の即位を助けました。 北宋の建国後は唐末期の混乱と五代十国の国が不安定だった原因を分析。軍閥を弱体化し、皇帝の手足になる文官を多く採用して君主や朝...
4.1 宋の皇帝・男性皇族

山猫に取り替えられた皇子(宋仁宗)「狸猫換太子」

「狸猫換太子」は中国の民間伝承。 狸猫=山猫の意味です。皇子が山猫と取り替えられたのでこの名前があります。 舞台になっているのは北宋の3代皇帝・真宗~4代仁宗の時代。 仁宗皇帝は真宗の側室・李氏(李宸妃)の子供です。 でも仁宗皇帝は劉皇后(...
4.3 宋の臣下と人々

寇準(こう・じゅん)契丹から宋を守った強行派の重臣

寇準(こう・じゅん)は10世紀末から11世紀初期の北宋の政治家。 2代太宗、3代真宗に仕えました。 かなり怖い人物だったらしく、寇準が段の上に立つと部下たちは震え上がったといいます。 契丹(遼)との戦いでも最も強硬に戦いを主張した人物。 蕭...
4.2 宋の皇后・側室・公主

李宸妃・宋仁宗の生母は生涯皇帝の生母と認められなかった

李宸妃(りしんひ)は、北宋の第4代皇帝 仁宗の生母です。 劉皇后(当時は側室)の侍女でしたが、真宗の側室になりました。死後、章懿皇后(しょういこうごう)の諡号が贈られました。 ドラマの 「大宋宮詞」では 李婉児(り えんじ)(侍女~宸妃) ...
4.2 宋の皇后・側室・公主

大宋宮詞:潘玉姝のモデル。章懷皇后・北宋 真宋 趙恒の最初の妻は短命だった

章懷皇后(しょうかいこうごう)は10世紀の北宋の女性。 北宋第3代皇帝 真宗 趙恒が皇帝に即位する前、韓王時代の正室でした。 しかし 趙恒が即位する前に若くして亡くなってしまいます。 なので生前は皇后にはなっていません。 藩氏の死後、章懷皇...
4.2 宋の皇后・側室・公主

明徳皇后 李氏 (宋太宗)はなぜ真宗 趙恒の即位に反対したの?

明徳皇后 李氏(李皇后)は10世紀の北宋時代の人物。 北宋 第2代皇帝 太宗 趙炅の3番めの正室です。 最初の二人の正室は太宗が皇帝になったときにはすでにこの世にいないので太宗時代の唯一の皇后です。 明徳皇后 李氏は太宗の死後。皇太子 趙恒...
4.1 宋の皇帝・男性皇族

趙元佐・精神病で皇帝の座を逃した皇子は宗太宗の野望の犠牲者?

趙元佐は北宋の第2代皇帝 太宗の長男。 母は元徳皇后 李氏。 若いころは頭がよく体格も立派で父からも可愛がられていました。朝廷の誰もが太宗の後継者になると思っていました。 ところが趙元佐は叔父の粛清をきっかけにおかしくなってしまい。後継者の...