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胤礽:2度も皇太子を廃位された悲運の皇子

4.7 清・金

愛新覚羅 胤礽(あいしんかくら いんじょう)は清の皇太子です。

康熙帝の息子で早くから期待されていました。

しかし後継者をめぐる争いが激しくなり、皇太子を廃位されてしまいます。

清王朝では皇太子が廃位されることは珍しいです。胤礽は清王朝で唯一廃位された皇太子なのです。

しかも一度配されたあと皇太子に復帰しました。

でも再び廃位されました。

史実の胤礽はどんな人物だったのか紹介します。

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胤礽の史実

いつの時代の人?

生年月日:1674年6月6日 
没年月日:1725年1月20日

姓:愛新覚羅(あいしんかくら、アイシンギョロ)
名:胤礽(いんじょう、)→允礽
父:康熙帝
母:孝誠仁皇后
皇太子妃:瓜爾佳氏
側室多数

日本では江戸時代になります。

若くして康熙帝の期待を集める

1674年。康熙帝と孝誠仁皇后の間に生まれます。しかし難産だったので孝誠仁皇后は出産後に死亡しました。

康熙15年(1676年)。2歳のとき、皇太子になりました。

胤礽は早世した子を除けば康熙帝の息子の中では次男です。長男は庶子でした。胤礽は長男ではありません。でも皇后から生まれたので嫡子になりました。

母方の大叔父・索額図(ソンゴトゥ)が朝廷内で権力を持っていました。早くから次の皇帝として期待され、英才教育をうけました。

康熙帝も胤礽を可愛がりました。一緒に狩りにでかけたり、遠征中に直筆の手紙を出させたりしました。

胤礽は頭がよく、儒教の経典を覚え、満州語、中国語、モンゴル語に堪能でした。

胤礽は成人しても爵位を与えられず王室で暮しました。これは皇帝の跡継ぎなので、家臣のようには扱わないという康熙帝の意思です。

康熙帝は胤礽に大きな期待をよせ様々な課題を与えました。胤礽は心身ともに疲れましたが父から与えられた課題をこなしました。

兄弟たちの不満が高まる

ところがガルダン・ハーン討伐で他の兄弟たちは戦で功績をあげ爵位や領地を得ました。すると皇子たちに不満が高まります。

もともと満州族には「皇太子」という考えがありません。王は部族長が話しあって決めるのが習慣でした。だから皇帝が跡継ぎと決めても納得しなかったのです。そのため王室内では様々な陰謀が行われました。

胤礽には2歳年上の兄・胤禔(いんし)がいました。胤禔の母・恵妃納喇氏は側室です。胤禔は戦に出て手柄を立て周囲の期待も高かったのです。文よりも武を尊ぶ満州族の重臣たちは胤禔を支持しました。

側近が失脚

康熙42年(1703年)。胤礽の後ろ盾だった索額図(ソンゴトゥ)は汚職や康熙帝を暗殺しようとしたという容疑をかけられます。「皇室を混乱させた」という罪を着せられ失脚、死亡しました。

ガルダン・ハーンとの戦いではは索額図(ソンゴトゥ)が撤退を主張して康熙帝の怒りをうけるのも影響したかもしれません。

皇太子を廃位される

康熙帝は胤礽に対する愛情を徐々に失っていきます。

孤立した胤礽は自暴自棄になりました。

康熙47年(1708年)。康熙帝は胤礽を内蒙古への狩猟旅行に同行させます。しかし胤礽が謀反を企んでいるのではないかと不安になりました。

康熙帝は遠征先で胤礽を跪かせ、不道徳、様々な非難の言葉を浴びせたあと胤礽を逮捕させました。

首都・北京に戻る途中、正式に廃位になりました。

胤礽は兄の胤禔(いんし)の監視下におかれました。

皇子たちの争い

胤礽が廃位されたあと、皇子たちの争いが激しくなります。

長男の胤禔(いんし)は自分が皇帝になれないと思っていたので母の家で育てられた第8皇子・胤禩を皇太子に推薦しました。

ところが胤禩は他の皇子たちを仲間にして影響力を強めていきます。それを知った康熙帝は胤禩を警戒します。胤禩は自宅軟禁になりました。

さらに胤禔がチベット僧を雇って胤礽を呪詛した。と第3皇子・胤祉が訴えました。

康熙帝は胤禔から爵位をとりあげ監禁しました。

再び皇太子になる

朝廷内は後継者を誰に決めるかで争いになり、政治が滞りました。皇子たちの後継者争いにうんざりしていた康熙帝は「胤礽は以前は問題があったが今は治った」と言い訳をして再び皇太子にしようと決意しました。

康熙48年(1709年)。胤礽は再び皇太子になりました。

しかし一度父に裏切られている胤礽と康熙帝の間には修復し難い溝がありました。

胤礽は大臣たちと親しくなり自分の派閥を作りました。

康熙51年(1712年)。康熙帝は大臣のトホチ達を処刑。

再び廃位される

胤礽を「精神疾患が治っていない」として廃位して幽閉しました。

康熙61年(1722年)。康熙帝が死亡。第4皇子の胤禛(雍正帝)が即位しました。

雍正2年(1723年)。胤礽は獄中で死亡しました。享年50.

4.7 清・金
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