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静慈仙師(胡善祥)は「病弱で男子が産めない」を理由に廃位出家させられた皇后

明 4.6 明

中国ドラマ「女医明妃伝~雪の日の誓い~」に登場する静慈師太にはモデルがいます。

歴史上は静慈仙師(じょうじせんじ)と呼ばれた人物です。

本名は胡善祥(こぜんしょう)

もとは宣徳帝(せんとくてい)の正室(皇后)でした。

ところがあまり愛さませんでした。宣徳帝は側室の孫貴妃を寵愛しました。しかも孫貴妃に王子・朱祁鎮しゅ きちんが生まれたため、胡善祥は廃妃になって出家させられてしまいます。出家と言っても実際には仏教ではなく道教です。

ドラマでは仏教の尼という設定になり静慈師太と呼ばれています。

史実の静慈仙師はどんな人物だったのか紹介します。

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静慈仙師の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:1443年

名称:胡善祥(こぜんしょう)
称号:恭譲皇后(きょうじょうこうごう)
法名:静慈仙師(じょうじせんじ)
父: 胡栄
母:劉氏
夫:宣徳帝(第5代皇帝)

子供:順徳長公主(じゅんとくちょうこうしゅ)、永清公主(えいせいこうしゅ) 

彼女は皇后でしたが、廃妃され出家しました。

日本では室町時代になります。

おいたち

明時代の役人・胡栄の三女。本名は胡善祥(こ・ぜんしょう)

初代・洪武帝(朱元璋、在位:1368~1398年)の時代。

姉の胡善圍が尚宮(随から明の時代まで続いた中国の女官の位、正五品)になりました。

父・胡栄は正六品錦衣衛百戸になりました。秘密警察の隊長です。

2代・建文帝(1398~1402年)の時代、胡栄は免職されます。

1417年。3代・永楽帝(1402~1424年)の時代。胡善祥こ ぜんしょうは皇太孫の朱瞻基(しゅ・せんき、後の宣徳帝)の正室になりました。

ところが朱瞻基しゅ せんきは側室の孫氏を寵愛して、胡善圍はあまり愛されませんでした。

1420年。娘の順徳長公主じゅんとくちょうこうしゅが生まれます。

その後、いつかはわかりまえんが、次女の永清公主えいせいこうしゅが生まれます。

1424年。4代・洪熙帝(こうきてい)が即位すると朱瞻基しゅ せんきは皇太子になりました。胡善祥こ ぜんしょうは皇太子妃になりました。

皇后になる

1425年。朱瞻基しゅ せんきが即位。第5代皇帝・宣徳帝せんとくていです。

胡善祥こ ぜんしょうは皇后になりました。父の胡栄は正二品錦衣衛指揮僉事になりました。秘密警察の幹部です。

廃妃になり道士になる

1428年。貴妃孫氏が男子・朱祁鎮しゅ きちん(後の正統帝・英宗)を出産。

すると、宣徳帝は胡善祥を「病気のうえに男子がいない」という理由で廃妃にしてしまいます。

胡善祥は清寧宮に移りました。さらに道士(道教の聖職者)に出家させられてしまいます。このとき「静慈仙師じょうじせんじ」とう法名が与えられました。

道士とは中国で普及している「道教」の聖職者です。キョンシー映画の影響で怪しげな術を使う呪術師のイメージがあるかもしれませんが。あれは正しい道士の姿ではありません。道教の儀式を行うのが仕事です。仏教の僧侶に相当します。

胡善祥のかわりに皇后になったのは孫氏でした。

姑の張太后は胡善祥を気の毒に思って、清寧宮の自分の部屋にいつも招いていました。張太后のはからいで皇后と同じ待遇で暮らすことはできました。

1433年。娘の永清公主が死去。このとき、未婚で10歳以上だったといわれます。

正統帝の時代

1435年。宣徳帝が死去。朱祁鎮しゅ きちんが即位しました。

1437年。娘の順徳長公主が石璟と結婚しました。

1441年4月。張太后が死去。胡善祥は他の妃嬪とともに葬儀に参列しました。胡善祥は最大の味方を失ってしまいます。

1443年。娘の順徳長公主も死去。公主にも子供はありませんでした。

同じ年。胡善祥が死去しました。

死後、嬪の待遇で葬られました。

8代・天順帝(英宗・正統帝の2度めの即位)の時代(1457~1464年)。皇后の地位が回復。恭譲誠順康穆静慈章皇后の諱が与えられました。

省略して恭譲皇后きょうじょうこうごうと呼ばれます。

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