魯勾践・荊軻の始皇帝暗殺失敗の悲報をうけて嘆いた人物

春秋戦国6 春秋戦国

魯勾践(ろ・こうせん)は古代中国の春秋戦国時代の人物。

歴史書の「史記」では秦王・嬴政(後の始皇帝)を暗殺しようとした荊軻(けい・か)の話に出てきます。

魯勾践(ろ・こうせん)と荊軻(けい・か)は一緒にスゴロクをした程度の仲としか描かれていませんが。

ドラマや小説では凄い剣客として描かれ、荊軻とももっと深く関わります。

歴史上の魯勾践とドラマの魯勾践はかなり違うので比べてみるのも面白いです。

魯勾践について紹介します。

史実の魯勾践(ろ・こうせい)

姓:魯(ろ)
名:勾践(こうせい)

春秋時代の越国の王・勾践(こうせん)(没年:紀元前496年)と同じ名前。

古代中国の春秋戦国時代。

越国の人。

魯勾践については詳しい記録はありません。「史記・刺客列伝・荊軻伝」という書物の中で荊軻(けい・か)が出会った人物として登場するだけです。

荊軻とスゴロクで喧嘩

衛国の人だった荊軻(けい・か)は秦に故郷を滅ぼされ放浪しました。荊軻が趙国の都・邯鄲に来ていた時、魯勾践と荊軻が出会いました。二人は六博(すごろく)で遊んでいましたが、駒の進む道を巡って口論になってしまいます。荊軻はそこで魯勾践から叱られて逃げてしまいます。

二人はその後、会うことはありませんでした。

これだけを見ると、どこが剣客なんだと思います。

荊軻の悲報を聞いた魯勾践が後悔する

その後、荊軻が刺客になって秦王を暗殺しようとした、そして失敗した。というニュースが魯勾践に伝わりました。

魯勾践は嘆きました。

「ああ、私になぜ剣の技を教えてくれと言わなかったのだ。
私は彼のことをよく知らなかったのだ。
私は腹を立てて怒鳴ってしまった。
彼は私を非道いやつだと思っているだろう」

記録に残る魯勾践はこれだけです。

後悔しても遅い

短い文章ですけれど、史記の内容からは魯勾践が凄い剣術を身に着けている人だとわかります。

少なくとも魯勾践は「自分が剣術を教えていれば荊軻は暗殺に成功したかも知れない」

と思っていたようです。

荊軻もただの旅人ではありません。それなりに剣術を身に着けています。それでも嬴政の暗殺には失敗しました。

でも魯勾践としては、そんなに重大な役目があるなら言ってくれれば私も協力したのに。という想いがあったのかも知れません。

荊軻は趙の邯鄲で魯勾践と会った後。燕で丹太子と会って具体的な秦王暗殺計画が動き出します。

魯勾践が知るはずはありませんが。荊軻が魯勾践と会ったときには、まだ秦王の暗殺計画はなかったのです。

でも荊軻は秦に復讐したいという想いはあったでしょうから。お互いの理解が深まれば剣術を学ぶとか、もっと有益な交流ができたかも知れません。

 

ドラマ「麗妃と始皇帝」の魯勾践

荊軻と交流した人物の一人ですから、小説やドラマでは様々に脚色されて出てきます。

ドラマ「驪姫と始皇帝」やドラマの原作になった小説「秦時明月」では、史実にかなり盛った姿で登場します。

魯勾践(ろ・こうせい)は凄い剣術家。

衛国の大将軍で公孫麗の祖父・公孫羽(こうそん・う)や天下第一の剣士と言われる盖聶(がい・じょう)と並ぶ名剣士。

でも名声を求めるタイプではなかったのでひっそりと生きていました。

原作小説では。

魯勾践が趙国の牛首村で隠遁生活をしていた時。秦王の刺客がやってきて魯勾践の命を狙いました。そこに公孫麗と荊軻がやってきて魯勾践を助けます。

ドラマの魯勾践は、魏の公子・信陵君の食客。信陵君は戦国四君の一人。各国の有力政治家と協力して秦の侵略を阻止していました。でも信陵君は既に今はなく、秦の侵略を止められる者はいません。

ドラマでは魯勾践は田光(でん・こう)の友人。田光は燕の太子丹の食客。田光は後に荊軻を太子丹に推薦する人物です。

放浪中の荊軻は魯勾践を訪ねていこうとします。ところが道中、剣術のの秘伝書を狙う丹頂門の一味に襲われているところを魯勾践に助けられます。

史実では全くの他人でほぼ、関わりなしの魯勾践と荊軻ですが。ドラマでは公孫羽を失った荊軻たちが頼るべき人物として描かれています。

その魯勾践の友人という設定の田光と知り合い。田光から推薦されて燕太子丹から秦王暗殺の依頼を受ける。

という流れになっています。

 

ドラマの魯勾践

麗妃と始皇帝 2017年、中国 演:魏志強

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