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[驪妃]謝韞之(しゃうんし) 謝顥(しゃこう) 謝仲(しゃちゅう)のモデルとは?

2 ドラマ人物

中国ドラマ[驪妃]には名門貴族として謝家が登場します。

彭城王の正室・謝韞之(しゃうんし)
謝韞之の兄・謝顥(しゃこう)
謝韞之と謝顥の祖父・謝仲(しゃちゅう)

です。

謝韞之(しゃうんし)・謝顥(しゃこう)・謝仲(しゃちゅう)の3人は架空の人物ですが。モデルになった人がいます。

謝家の人々日とのモデルになったのはどんな人物なのか?

謝韞之と謝顥には祖父がいるのになぜ父がいないのか?

謝家の人々について紹介します。

 

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謝家は宋の名門貴族

陳郡謝氏(ちんぐんしゃし)は名門貴族。

陳郡(現在の中国河南省周口市)を本拠地にしたので陳郡謝氏といいます。

普から南朝・梁の時代にかけて栄えました。当時の朝廷内で大きな力を持っていた一族で。同じように大きな力を持っていた琅邪王氏(おうやろうし)とともに「王謝」とよばれました。

歴史上有名な人物に。

東晋の謝安(しゃ・あん)がいます。

東晋を守った謝安

382年に北朝・前秦が東晋に攻めてきました。謝安は征討大都督に任命され全軍の指揮を任されます。謝安は弟の謝石、甥の謝玄に軍の指揮を任せ。淝水の戦い(ひすいのたたかい)では、前秦軍を撃破。東晋を守り切っただけでなく国境を北側に移動させ、東晋の領土を広げました。

この功績で陳郡謝氏は琅邪王氏と同格になり。以後、晋(東晋)・宋(劉宋)・斉(南斉)・梁(蕭梁)と続く名門貴族になります。

他に有名な人物は。

クーデターで文帝を即位させた謝晦

宋(劉宋)時代の重臣。謝晦(しゃ・かい)がいます。
謝晦は劉宋の建国者・劉裕に仕えた武将で。劉宋建国に貢献。武帝になった劉裕のもとで徐羨之たちとともに権力をもちました。武帝 劉裕の死後。後を継いだ少帝 劉義符ができが悪く、遊んでばかりで政治をしなかったので謝晦は徐羨之たちと反乱を起こして少帝を殺害。劉義隆を即位させました。

でも、文帝 劉義隆は反乱を起こして兄を殺した謝晦、徐羨之たちを信用しておらず。逆に将軍の檀道済に命じて謝晦、徐羨之を殺害させました。

ドラマ驪妃の謝家の人々のモデル

謝仲(しゃ・ちゅう)のモデル・謝重(しゃ・じゅう)

[驪妃]謝韞之(しゃ・うんし)と謝顥(しゃ・こう)の祖父・謝仲がどうつながるのかというと。

謝仲のモデルになった謝重(しゃ・じゅう)は晋(東晋)末期の人物。

謝重は上で紹介した謝安の兄・謝據の孫です。

驃騎長史という地位にいました。

謝重が仕えたのが司馬 道子(しば・どうし)という皇族。司馬 道子も問題の多い人。司馬 道子のエピソードの中に何度か登場します。問題の多い皇族に仕えてそれなりに苦労はあったみたいです。

才能は優れていたといいますが。謝重本人はとくに野心もなく平凡な役人人生(それでも皇族の側近ですから地位は高いです)を終えました。

謝重には何人か息子がいました。謝重の次男が謝晦(しゃ・かい)です。謝晦は野心のある人物。

宋(劉宋)でクーデターを起こして文帝 劉義隆を即位させた人物ですね。結局、文帝の信用を得られず文帝が派遣した討伐軍と戦って戦死してしまいます。

謝晦には息子と娘が二人ました。

謝顥(しゃ・こう)のモデル?

謝晦の息子は謝世休(しゃ・せいきゅう)。

謝重の孫です。

謝世休は宋(劉宋)で秘書郎(図書の管理をする役人)をしていた人物。文帝が謝晦を討った後、逮捕され処刑されました。謝晦のクーデターに加担していたということなのでしょう。

謝仲のモデルになった謝重の孫なら。

謝顥(しゃ・こう)のモデルは謝世休になりますね。

ドラマ「驪妃」では謝顥(しゃ・こう)は中書令(皇帝の秘書)の地位にいて政治にも関わっています。文帝の代わりに政治をしている彭城王と対立。反乱を起こしたりするなど、悪役として描かれています。

謝世休が彭城王と対立したという記録はありませんが。文帝の命令で処刑されたので謀反人あつかいにはなりますね。

謝韞之(しゃうんし)のモデル彭城王妃

ドラマ「驪妃」では彭城王・劉義康の正妻は謝韞之(しゃうんし)。

歴史上も彭城王・劉義康の正妻は謝氏です。
名前は記録が残っていません。

彭城王妃は謝重の孫。謝世休の妹。

謝晦は宋文帝 劉裕に仕えて宋の建国にも貢献しました。その功績でしょうか。劉裕の息子・彭城王 劉義康と新野侯 劉義賓に娘を嫁がせています。

彭城王 劉義康の正妻になった彭城王妃 謝氏が謝韞之のモデルです。

彭城王妃の父と兄は文帝に討たれ。その後、夫の彭城王が文帝に呼び出されて文帝の代わりに政治を行いました。彭城王妃としては複雑な心境だったでしょう。

残念ながら彭城王妃 がどのような人生をおくったのか記録はありません。彭城王自身も文帝から嫌われて左遷、処刑されてしまいます。

そのせいか彭城王妃の記録はほとんどないのです。

でも「彭城王の正妻は謝晦の娘」しか情報はありません。

逆に言うとドラマ化するときは自由に作れるというわけです。

ドラマの謝韞之は「いい人」に描かれていて、夫の側室になる驪歌を気に入って理解してくれます。兄の悪事を止めようとしたりと。常に彭城王の味方。普通なら驪歌のライバルになりそうな立場ですけれど。後宮で立場の弱いヒロインに味方してくれる「寛容な王妃」のポジションにある人。

謝韞之と謝顥の父がいない理由

謝韞之と謝顥には祖父はいるのに父は出てきません。

その理由はもうおわかりでしょう。

父は皇帝を即位させるためにクーデターを起こしたけど。自分が即位させた皇帝に殺害されてしまったのです。だからドラマには出て来ない。

そして謝顥も謀反人になって消える運命です。

いちおう歴史上の謝家の人々の人生をなぞりつつ、ドラマむけにアレンジしているのです。

 

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