逸王子のモデル 春平侯 は人質になって堕落した?

春秋戦国6 春秋戦国

春平侯は古代中国・趙の国の王子。

伝わっているのは称号のみで生前の名前は分かっていません。

ドラマ「コウラン伝」では逸(いつ)王子の名前で登場します。

兄の死後、趙の太子になります。ところが秦に人質に出されている間に弟の偃が王になってしまい王にはなれませんでした。趙には戻ったものの、晩年は堕落した生活をおくるようになります。

史実の春平侯はどんな人物だったのか紹介します。

春平侯の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明
没年月日:不明

国:趙国

姓 :氏
名称:不明
称号:春平侯→春平君

父:趙孝成王
母:不明

彼は趙の国の王子で宰相です

日本では弥生時代になります。

おいたち

生年は分かっていません。

父は趙の孝成王。

春平侯には兄がいて太子になってました。

兄の名前は分かっていません。ドラマ「コウラン伝」では「蛟王子」とよばれています。

紀元前256年。太子だった一番上の兄が死亡しました。

孝成王はすぐには太子を決めませんでした。

でも決めないわけにはいかないのでやがて春平侯が太子になりました。いつ太子になったのかはわかりません。

紀元前249年。春平侯は趙国の相邦になりました。

相邦とは春秋戦国時代の国で使われた役職名。王を補佐する重臣の中で最も地位の高い人。宰相のことです。

秦の人質になる

紀元前248年。趙国は秦国に攻められ37の城を奪われます。さらに燕国まで攻めてきました。そこで趙は秦と和睦することにしました。お互いに人質を送ることにしました。

まずは、王子の春平侯が秦国に行き。春平侯が趙国に戻った後は趙の王族の平国君が秦に行くことになりました。

紀元前245年。趙の孝成王・趙丹 が死去。

本来ならここで春平侯が趙に帰って次の国王になるはずです。ところが、なぜか秦に帰ることができませんでした。

趙の王子の趙偃らが呂不韋に賄賂を渡して趙国に戻れないようにしたのかもしれません。

結局、春平侯は王になることができず、趙偃が即位して悼襄王になりました。

春平侯がいつどのようにして趙国に帰ってきたのはいくつか説があります。

「戦国策」の説

前漢の劉向がまとめた歴史書「戦国策」によると。

趙の悼襄王が即位したあと。秦と趙の関係は安定しました。

紀元前243年。趙と秦がお互いの人質を解放して、春平侯は趙に戻ったとあります。

「史記」の説

前漢の司馬遷 の書いた「史記」によると。

紀元前243年。秦の呂不韋は趙から春平侯を招いて人質にして、趙を脅迫しました。後に、呂不韋は臣下の泄鈞の説得をうけて春平侯を釈放しました。

こちらの説だと248年に秦に来たときには人質になっていないことになります。それなら春平侯が趙王になっていない理由がわかりません。

司馬遷 は儒教的な価値観でまとめようとするので脚色することがあります。戦国策の方が信憑性が高いようですね。

趙に戻った春平君の人生

どちらにしても春平侯は帰って来たわけです。

でも国を出るときは太子で宰相の地位にあり、将来は国王になるはずの人でした。

ところが趙に戻ってみると「春平候」から「春平君」に格下げになってました。王位後継者からいち王族になったのです。趙では「候」より「君」が格下なのです。

しかも悼襄王は戻ってきた春平君を暖かくは迎え入れませんでした。経緯はどうあれ王位を奪ったのですから気まずくなったのでしょう。

趙に戻った後の春平君は地位は王族でした。でも政治に関わることはできず、宮廷にも入れてもらえませんでした。

ところがその悼襄王の治世は短いものでした。

幽繆王の治世に宰相に復帰するが・・

紀元前236年(悼襄王9年)。悼襄王が死去。

悼襄王の息子・趙遷が即位しました。幽繆王の誕生です。

春平君は再び宮廷に呼び戻され政治に加わることになりました。

235年(幽繆王元年)から5年間、相邦(宰相)を務めました。春平君以上の人材は趙の宮廷にはいなかったのでしょう。

ところが春平君は税を増やし民を苦しめました。その一方で秦からは賄賂をもらっていました。

王位を継げなかった腹いせなのか、宮廷から遠ざけられている間に性格が歪んでしまったのか。

趙の人々を苦しめ秦が得するようなことをしていたのです。すっかり秦の内通者になっていました。

王の母と不倫

さらに幽繆王の母・悼倡后(とうしょうこう)と不倫関係になりました。不倫は公然の秘密になり宮廷の笑いものになりました。悼倡后も秦から賄賂をもらっていました。ふたりとも秦の内通者だったのです。

幽繆王は母の不倫を認めていたというのでしょうか。

ただし儒教が普及していないこの時代。配偶者のいない女性が愛人を持つのは道徳的には悪ではありません。幽繆王は母がよいのならそれでもいいと思っていたのでしょう。

しかし幽繆王は母と伯父(しかも母の愛人)が秦の内通者だとは見抜けなかったのです。

紀元前230年(幽繆王6年)以降は春平君は公職にはついてなかったようです。

その後の春平君がどうなったかは記録がないのでわかりません。

趙国は紀元前228年に秦に攻められ滅亡しました。

春平君がこのときまで生きていれば国の滅亡を目にしたでしょう。それまで生きていなかったのかもしれません。

ドラマ

コウラン伝 2019、中国 役名:逸 演:趙弈欽(ジャオ・イーチン) 声:金野潤

ドラマの逸王子も兄・蛟王子の死後に太子になります。

でもその後の展開は春平君とはかなり違います。秦に人質にはなりません。悼襄王の妃(弟の妻)との不倫もありません。最後は秦との戦争の最中に命を落としてしまいます。その後に偃王子が王になります。

モデルになったのは地位だけでエピソードはドラマオリジナルです。

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