南后・鄭袖 楚懷王の妃たち

春秋戦国1.1 春秋戦国

 鄭袖(てい・しゅう)は古代中国の春秋戦国時代。楚国の懐王の側室。

南后は楚国の妃です。

南后は鄭袖の称号とされることもありますし、別人とされることもあります。

鄭袖の詳しい生涯はわかっていませんが、古代中国の歴史書に何度か名前が出てきます。悪知恵が働き他の側室を陥れたり。ときには政治に口を出して、国の衰退を早めてしまうこともありました。

史実の鄭袖と南后はどんな人物だったのか紹介します。

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鄭袖の史実

いつの時代の人?

生年月日:不明 紀元前4世紀頃
没年月日:不明

姓 :鄭(てい)氏
名 :袖(しゅう)

称号:(南后?)

国:楚

父:不明
母:不明
夫:懐王

子供:頃襄王(けいじょうおう)、息子、娘

彼女は春秋戦国時代。楚国の懐王の側室。

日本では弥生時代になります。

古い時代の人物なので詳しいことはわかっていません。

でも春秋戦国時代から漢の時代に書かれた書物には何度か鄭袖が登場します。

鄭袖の逸話を紹介しましょう。

楚王お気に入りの側室を陥れる

「韓非子」という書物には次のような逸話が載っています。

あるとき。楚王のもとに新しい美女がやってきました。

鄭袖(てい・しゅう)は美人を呼び出すと「王様は口を覆って従われるのが好きだから、王様に近寄るときには口を覆わなくてはいけません」と言いました。

それ以来、美女は楚王が見えるところでは口を覆うようになりました。

楚王は不思議に思って鄭袖に訪ねました。すると鄭袖は「彼女は王様の匂いが嫌いだと言ってます」と答えました。

ある日。楚王、鄭袖、美人の三人でいるとき。鄭袖は美人にこう言いました「王様が何か言ったらすぐに従いなさい」

美人は楚王に何か言われるたびに前に進み出て口元を覆いました。すると楚王は激怒「こやつを鼻削ぎにしろ!」と部下に命令。美人は鼻削ぎの刑になりました。

別の説ではもう少し詳しく説明されています。

魏王が楚王に美人を贈りました。楚王は魏美人の美しさにとても喜びました。

鄭袖は楚王が魏美人を寵愛しているのを知ると、魏美人に贈り物をしました。魏美人が好きなだけ衣服や装飾品を与えました。楚王は鄭袖が魏美人を大切にしているのを知り鄭袖を褒め称えました。

鄭袖は楚王が嫉妬していないと思っていると知り。魏美人を呼び出してこう言いました。「王様はとてもあなたを寵愛しています。でもあなたの鼻を嫌っています。王がみえるときは鼻を覆えばますますあなたは寵愛を受けるでしょう」

それ以来、魏美人は王が見える場所では鼻を覆うようになりました。

楚王は不思議に思って鄭袖に訪ねました。鄭袖は最初は「知りません」と言いましたが、楚王がまた聞くので「以前から王様の臭いが嫌いなのだそうです」と言いました。楚王は怒って「あの者の鼻を削げ」と言いました。

鄭袖は前もって楚王の従者に「王様がなにか言ったらすぐに実行しなさい」と言っていました。従者はすぐに魏美人の鼻を切り落としました。

紹介した二つの話は少しずつ違いますが。元になった話は同じようです。

新しく来た側室を陥れて寵愛を独り占めする話です。

政治に介入

鄭袖(てい・しゅう)は後宮で争っていただけではありません。政治にも関わっています。

楚の大臣・靳尚は鄭袖を買収。政敵の屈原の誹謗中傷を広めて屈原を追放させました。

その後。秦の大臣・張儀は楚に秦の土地を譲るので斉の同盟を破棄して秦と同盟するように提案しました。喜んだ楚王は斉との同盟を破棄。ところが秦からは約束よりも少ない土地しかもらえませんでした。怒った楚王は秦と戦いましたが敗北。

紀元前311年(楚懷王18年)楚と秦は和平交渉を行いました。秦は漢中の半分の領土を楚に差し出すと提案。ところが懐王は「領土はいらないが張儀が欲しい」と主張しました。

張儀は楚に行きました。

張儀は「私は楚王に仕える靳尚と親しくしております。靳尚は楚王の寵姬・鄭袖につかえております。楚王は鄭袖の言葉に逆らわないそうです」

楚にたどり着いた張儀は投獄されました。張儀は靳尚(きん・しょう)と密かに結託。

靳尚は鄭袖に「王の寵愛を失いかけている」と言いました。

鄭袖がその理由を聞くと靳尚は「王は張儀を人質にして秦の美しい王女を娶るつもりです。秦の王女が来たら王は夢中になって、あなたは寵愛を失いますよ」と言いました。

困った鄭袖は靳尚にどうしたらいいか聞きました。

靳尚は「王様に張儀を釈放するようにお願いするのです。張儀が釈放されれば秦から王女は来ません。秦はあなたに感謝するしょう。あなたは国内でも高い地位にあり、秦とも友好を結べます。あなたの子供は太子になるに違いありません。これは他にない大きな利益ですよ」と言いました。

それを聞いた鄭袖は何度も懐王を説得しました。「秦が攻めてきたら、私は秦に殺されます。そうなる前に子供とともに南に移りたいと思います」と言い出す鄭袖に懐王も折れて懐王は張儀を釈放しました。

楚は同盟国を失い領土も得られず張儀を処刑することもできません。楚は大きな損害を受けることになってしまいました。その後、屈原が戻ってきます。

懐王の死後。鄭袖の息子・羋横が即位。楚頃襄王になります。

楚頃襄王が即位するとまた屈原は追放されます。

鄭袖がその後どうなったのかはわかりません。

鄭袖と靳尚は懐王時代の楚の王室内で暗躍、屈原と対立ていたようです。楚が衰退したのは懐王の判断ミスが原因なのですが。懐王の寵愛を集める鄭袖が調略の標的になっていたのでした。

南后と鄭袖は別人?

ドラマでは南后と鄭袖は同じ人物になってることが多いです。

「ミーユエ」では本名が「鄭袖」称号が「南后」の設定です。

でも南后と鄭袖は別人とも言われます。

「戦国策」という漢の時代に書かれた歴史書には「南后は鄭袖よりも高貴だ」「南后は千金、鄭袖は五百斤を与えられた」という記録もあります。

「南」とは王妃の姓で称号ではないともいわれます。

南后は懐王の正室。鄭袖は側室だったようです。

南后については詳しいことはわかっていません。

張儀が拘束されたときには鄭袖は生きていていましたが、南后はすでに他界していたといいます。

ドラマ

鄭袖

羋月 2015年、中国 演:袁志博

思美人 2017年、中国 演:劉芸

南后

羋月 2015年、中国 演:袁志博

思美人 2017年、中国 演:斕曦

 

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