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高麗 光宗(クァンジョン:ワン・ソ)血の君主の生涯と謎多き死因

高麗 光宗 1 高麗の国王

王昭(ワン・ソ)は高麗王朝の初代国王・太祖(王建)の四男であり、第4代国王として高麗の基礎を築いた光宗(クァンジョン、925年 – 975年)。

その治世は王権強化のための大胆な改革と、それに伴う容赦のない粛清という二つの側面を持ち合わせていました。

韓国ドラマ「麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~」ではイ・ジュンギさんが演じるワン・ソとして描かれ、そのカリスマ的な魅力で多くの視聴者を惹きつけました。

麗・花萌ゆる8人の皇子のクァンジョン

麗 花萌ゆる8人の皇子たちのワン・ソ

 

この記事ではドラマを通して光宗(ワン・ソ)に興味を持った方にも分かりやすいように史実に基づいた光宗(クァンジョン)の生涯と業績を紹介。

そして彼が「血の君主」とも呼ばれる理由になった粛清について詳しく解説します。

 

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光宗(クァンジョン)の史実

光宗(クァンジョン)とはどんな人?

名前:王昭(ワン・ソ、おうしょう)
称号:光宗(クァンジョン、こうそう)
生年月日:925年
没年月日:975年7月4日

高麗王朝、初代国王・太祖(王健)の4男です。
日本では平安時代にあたる時代を生きました。

 

家族

父:太祖(王建)
母:神明順聖王后劉氏
正妃:大穆王后 皇甫氏
側室:
慶和宮夫人 林氏 第2代国王恵宗の娘
賢妃金氏
子供
景宗 第5代国王
孝和太子(早世)
千秋公主
寶華公主
文徳王后(第6代国王成宗の正妃)

 

 太子時代の王昭(ワン・ソ):王位継承への道

父は高麗建国者・太祖 王建

王昭(ワン・ソ)は、高麗王朝の創始者である太祖(王建)の四男として誕生しました。

母は神明順聖王后 劉(ユ)氏

母の神明順聖王后劉氏は高麗北部の有力豪族・劉兢達の娘。彼女が産んだ息子の中でも三番目にあたります。

恵宗・定宗は兄

同母の兄には王泰(後の恵宗)、王堯(後の定宗)がいたので王位継承の順位は高くありませんでした。

しかし、兄 恵宗(ワン・ム)が病弱だったこと、もう一人の兄 王泰が若くして亡くなったことから王昭は有力な王位後継者の一人とみられるようになります。

兄の王堯(後の定宗)は頑固な性格でしたが、王昭は緻密で慎重でありながら、機会を得ると大胆で勇ましく行動する性格だったと伝えられています。

兄王を支え王族の中心になる

王昭は兄である王堯(後の定宗)と共に王を支える中心人物として活躍、945年の定宗即位にも大きく貢献しました。

病に悩まされていた定宗は早くから王位を弟の王昭に譲ることを考えており、949年に定宗が崩御すると王昭が第4代国王・光宗として即位しました。

 

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光宗(クァンジョン)の時代

高麗の改革を目指す

王を脅かす豪族たちの力

光宗は太子時代に自分たちに縁のある太子を王にしようと暗躍する豪族を見て豪族が王室を脅かす存在になると考えました。

また兄たちは王になったものの重臣に実権を握られていました。そのため兄たちはたいした働きはできませんでした。

豪族に負けない王を目指す光宗

そのため光宗は強い国王を目指しました。とはいっても兄たちを操っていた重臣たちをそう簡単には服従させられません。

最初は従うフリをして力を蓄える

最初のころは重臣たちの言うことを聞きながら、強い王になるための方法を模索していました。唐の太宗が重臣たちと議論した内容が書いてある「貞觀政要」という書物を熟読して勉強しました。

王になって7年がすぎると光宗はそれまで温めていた改革案を実行に移します。

 

仏教の普及と民心安定

光宗は民心を安定させなければ、どんなによい政策も失敗すると思っていました。

そこで光宗は仏教を積極的に保護して広めました。仏教の教えを通して民心を安定させ、自身が行おうとする改革を進めやすくするための基礎を築こうとしたと考えられます。

 

科挙の実施と新たな官僚制度の確立

唐の制度を採用

958年。光宗は唐の制度を参考に科挙を取り入れました。これは学識のある人材を試験で選び、官僚に採用する制度です。

豪族たちが牛耳る朝廷を変える

それまでは豪族やその関係者が世襲的に要職を占めていました。そのため豪族たちの力関係がそのまま朝廷の政治に影響を与えてしまいます。

科挙の導入により王に忠誠を誓う新たな官僚層が増え。その結果、豪族の力は低下しました。

渡来人をブレーンに採用

さらに光宗は中国から渡来した王融(ワン・リュン)や雙冀(サン・ギ)らを積極的に登用。彼らの意見を取り入れながら改革を進めました

しかし渡来人を優遇したり科挙採用者を要職につけたため、職を失った豪族は不満を持ちました。これが後に豪族が反乱を起こす原因にもなります。

 

奴婢按検法(ノビアンゴンホブ)

豪族たちの力の元は奴婢

当時の高麗で豪族が強大な力を持っていた理由は彼らが多くの奴婢を所有し、私兵として軍事力を持っていたからです。

奴婢が増える理由

奴婢は戦で捕虜になった者や借金を返済できなくなった者がその身分に落とされた場合が多く、豪族の経済力と軍事力の元になっていました。

奴婢を平民に戻す

956年、光宗は奴婢按検法(ノビアンゴンホブ)を施行。豪族が所有する奴婢の身分を調査して不当に奴婢とされた者を解放して良民(平民)としました。

豪族の力が弱まる

奴婢が減れば私兵も減り、豪族の経済力と軍事力は弱まり、王権の強化に繋がりました。

もちろんこの政策は多くの奴婢を抱える豪族たちの強い反発を招きました。でも光宗は反対するものは解雇して渡来人や科挙合格者を採用。反対する者がいなくなっても困らない仕組みを作りました。

 

反対する豪族たち

反対する者は武力で鎮圧

光宗の進める改革は、既得権益を脅かされる豪族たちの激しい抵抗にあいました。豪族たち王族や王妃までも味方につけ、光宗に反発します。

でも民衆の支持を得ていた光宗は、反対する豪族たちを武力で鎮圧しました。奴婢按検法によって私兵を減らしていた豪族たちは王軍には敵いませんでした。

想定外の問題発生

しかし豪族たちの反発は根強く、解放された奴婢と元の主人との間で争いが起こるなど社会的な混乱も生じました。

また、光宗が重用した渡来人と従来の豪族出身の官僚との間に対立が深まりました。

結局、6代成宗の時代になって奴婢按検法は廃止になりました。以後は豪族が奴婢を持つ時代になり。李氏朝鮮まで続きます。

 

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血の君主と呼ばれた激しい粛清

激しい粛清

光宗の目指した改革は急激なものでした。反対する人々も大勢います。

このような状況の中、光宗は反対勢力には容赦のない粛清を行いました。その対象は豪族だけでなく、王族も粛清されました。王族の中には豪族と親類関係になり光宗に反対するものもいたからです。

少しでも自身の意に反する者、改革に抵抗する者はその功績に関わらず処刑されたと伝えられています。

宮廷内は常に緊張に包まれ、訴えられる者で牢獄は満員になったと記録されています。

中には無実の者まで処刑されたとも言われ、光宗は後に「血の君主」と呼ばれるようになりました。

王宮を避難

当然、光宗に反発を持つものも出てきます。光宗は王宮の改築のため離宮に引越ししました。離宮にとどまって命令を出していました。身の危険を感じていたからだとも言われています。

このように晩年は猜疑心に苛まれていたとも考えられます。

 

光宗(クァンジョン)の死因:病に倒れた晩年

史書によると、光宗は975年7月に病に倒れ、数日後に開京の宮殿で亡くなったとされています。享年51歳でした。

具体的な病名については記録されていませんが、晩年はその苛烈な急激な改革と反対勢力との対決によって心身ともに疲弊していた可能性も考えられます。

多くの敵を作っていたので反対勢力による暗殺の危険も感じていたかもしれません。そのような精神的な負担が彼の健康を蝕んだ可能性もあります。

でも51歳という年齢を考えれば当時としては十分生きたといえますね。

息子の景宗 王伷が後を継ぎ5代高麗王に即位しました。

光宗の亡骸は憲陵(京畿道開豊郡)に埋葬されました。

高宗の墓

高宗の墓

光宗の墓(出典:wikipedia)

 

まとめ:光宗は二つの側面を持つ強い王

 

光宗の治世は、多くの血が流れた一方で、高麗が中央集権国家として発展するための重要な基礎が築かれた時代でした。

光宗の行った改革はさまざまな副作用もありましが、光宗の時代に高麗の基礎が作られ王が安定した政治を行うことが出来るようになったのも事実です。

彼の強烈なリーダーシップと反対勢力に対する冷酷なまでの排除は、後の李氏朝鮮の太宗や世祖といった強力な君主たちにも共通する特徴と言えるかもしれません。強いリーダーと冷酷な権力者の二つの面を持つ点も似ています。

豪族が割拠する不安定な古代国家から、王を中心とした安定した国家へと移行するためには光宗のような強力なリーダーシップが必要だったとも考えられます。

 

テレビドラマの光宗

韓国ドラマ「麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~」でのワンソ

麗・花萌ゆる8人の皇子たち 2016年 SBS 演:イ・ジュンギ

麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~」でのワン・ソ(演:イ・ジュンギ)は、高麗の初代皇帝ワン・ゴンの第四皇子です。

幼少期に顔に傷を受け、それを容姿を理由に冷遇されて育ち孤独を抱える影のある皇子です。そのため母親の神明王后 劉氏とは仲はよくありません。

常に仮面で顔を隠し、心を閉ざして生きていますが、ヒロインのヘ・ス(演:IU)との出会い徐々に心を開き、惹かれ合っていきます。

物語が進むにつれて彼は皇位継承争いに巻き込まれ、やがて内に秘めた野心や冷酷さを見せるようになります。

ヘ・スを守りたいという強い思いと、王としての責務の間で葛藤しながらも、やがて高麗第4代皇帝・光宗へと上り詰めます。

ドラマでは、彼の孤独、愛情への渇望、カリスマ性、そして愛する人を守るための強さが、切なくも力強く描かれています。

 

その他のドラマ

太祖王建 2000 KBS 演:キム・ジェヨン
光宗大王 帝国の朝 2002年 KBS 演:キム・サンジュン
千秋太后 2009年 KBS 演:チョン・スンオ
輝くか、狂うか 2015年 MBC 演:チャン・ヒョク

 

 

 

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