王恩(ワン・ウン)は高麗の初代国王・太祖王建の10男。実は「ウン」というのは架空の名前。歴史書には名前が載っていないのです。そのかわり廣州院君という名前が伝わっています。
歴史上は祖父の王規(ワン・ギュ)が反乱を起こして処刑され、廣州院君は消息不明みたいなあつかいになってます。
でも、ワン・ヨ(定宗)たちに殺害されたのではないかといわれているのです。
史実の廣州院君はどんな人物だったのか紹介します。
王恩(ワン・ウン)の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:不明
名前:王・名前は不明
称号:廣州院君
父:太祖王健(ワン・ゴン)
母:小廣州院夫人王氏
妻:不明
高麗王朝、初代太祖王建の息子です。
日本では平安時代になります。
ドラマではワン・ウンとなっていますが、記録には「廣州院君」とあるだけで名前は載っていません。ワン・ウンは架空の名前なんですね。
母は高麗建国功臣の娘
母は太祖王建の第16妃・小廣州院夫人王氏。
小廣州院夫人の父は王規(ワン・ギュ)。太祖王建とともに高麗を建国した重臣です。もともとは咸規(ハム・ギュ)と名乗っていましたが、手柄を立てたので王建から”王”の名字をもらいました。以後、王規(ワン・ギュ)と名のるようになりました。
祖父はワン・ギュの乱で処刑
945年(恵宗2年)。恵宗(ワン・ム)の寝所に暗殺者が入りました。そのときは恵宗が返り討ちにしました。その後も何度か暗殺者が入りましたが全て失敗しました。
ワン・ギュはワン・ヨとワン・ソが王の命を狙っていると言いましたが、恵宗はワン・ヨ達を処刑しませんでした。
やがてその年の9月。ワン・ギュはワン・ヨとワン・ソによって捕らえられ流刑になり、流刑先で暗殺されました。
ワン・ヨたちは暗殺者はワン・ギュが送ったものだと言いました。ワン・ギュが孫の廣州院君を王にするために恵宗を暗殺しようとしたというのです。
祖父はワン・ヨ達に殺された?
誰が暗殺者を送ったのかは本当のところはわかりません。高麗の記録ではワン・ギュが暗殺者を送った事になってます。しかし現代の研究者の間ではワン・ギュが反乱を起こすのは不自然だという人もいます。
廣州院君には子供もなく、家柄も高くはありません。「後継者は長男にする。長男が不適切な場合は次男・・・」という太祖王建の遺言にも反します。第10王子ではかなり優先順位が下です。
しかも、劉一族、皇甫一族、柳一族といった有力豪族が王位を狙っているのに、ワン・ギュに味方してくれる豪族がいるとは思えません。
つまりワン・ヨ、ワン・ソ、劉一族がワン・ギュに濡れ衣を着せて葬り去ったのではないかといわれています。
ワン・ギュは恵宗を支持している豪族でした。恵宗に長くいてもらってはこまるワン・ヨ達が、恵宗の側近を消したのではないかといわれています。
恵宗の側近が流刑になった後の恵宗は死亡しました。高麗の記録には恵宗の死因は書いてません。恵宗は暗殺されたのではないかといわれています。
ドラマ「麗・花萌ゆる8人の皇子たち」でも、この説に近い内容でドラマ化されています。
実はワン・ウン(廣州院君)も処刑していた?
廣州院君と母・小廣州院夫人の記録はありません。「どのように死んだのか知ることはできない」と書かれているのみです。ワン・ギュの処刑と共に、廣州院君と小廣州院夫人も処刑されたと考えられています。
ワン・ギュが廣州院君を担いで反乱をおこしたことにすれば廣州院君を処刑する口実にもなるからです。
ドラマ「麗・花萌ゆる8人の皇子たち」でワン・ウンは危ないところで助かっていますが、妻を亡くしたウンはワン・ソに自分も殺してほしいと頼みます。そこでワン・ソが仕方なくワン・ウンを殺したという展開になってます。
廣州院君に妻はいなかった?
ドラマではワン・ウン(廣州院君のドラマでの名前)の妻は大将軍パク・スンギュの娘パク・スンドクということになっています。
パク・スンギュの娘は太祖王建の28番目の妃・夢良院夫人朴氏しか記録にありません。夢良院夫人朴氏をパク・スンドクにしてしまうと歴史と辻褄があわなくなってしまいます。パク・スンドクは架空の存在の可能性が高いですね。
他の主要な王子は歴史の記録にかなり近いのですが。ワン・ウンはかなりアレンジされています。記録がないだけに自由に作れるのでしょうね。
テレビドラマ
太祖王健 KBS 2000年 演:キム・ヨンチャン
帝国の朝 KBS、2002年 演:チェ・ジェソン
輝くか狂うか MBC 2015年 演:リュ・スンス
麗・花萌ゆる8人の皇子たち 2016年 SBS 演:ホン・ジョンヒョン
”麗・花萌ゆる8人の皇子たち”では、ヘ・スに可愛がられる年下の王子という設定。定宗に殺されそうになります。
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