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高麗契丹戦争 ドラマと史実の違い

高麗契丹戦争の史実 1.2 高麗

韓国ドラマ『高麗契丹戦争』は、壮大なスケールと感動的な人間ドラマで話題になりました。

でもドラマで描かれている出来事はどれだけ「史実」と一致しているのでしょうか?

この記事では、ドラマと実際の歴史との違いに焦点を当て、高麗と契丹の激しい戦いをわかりやすく解説します。

 


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高麗契丹戦争 ドラマに隠された史実の真実とは

大ヒットドラマ『高麗契丹戦争』は、KBS公営放送50周年を記念した大河ドラマです。総制作費は270億ウォン(約28億円)にもなり『KBSが社運を賭けた作品』とまで言われたほどです。キル・スンスの小説小説『高麗契丹戦争:高麗の英雄たち』が原作。

このドラマは高麗第8代王 顕宗が未熟な王から威厳ある為政者へと成長する過程を丁寧に描きました。彼の政治の師である姜邯賛(カン・ガムチャン)将軍との固い絆も大きな見どころです。迫力ある戦闘シーンも大きな特徴です。

ドラマは視聴者が感情移入しやすいように、顕宗の成長を強調しています。この演出が多くの議論を呼びました。

この記事ではドラマと史実はどう違うのか?に注目して紹介します。


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史実の高麗契丹戦争・高麗を揺るがした三度の激戦

ドラマにも描かれた高麗と契丹の戦争は史実にもあったできごとです。史実の高麗契丹戦争は993年から1019年にかけて高麗と契丹(遼)の間で起こりました。

当時の契丹は契丹は遊牧騎馬民族国家として強大な軍事力を持ち、東アジアの覇権をかけて宋やチベットと争っていました。高麗はこの複雑な国際情勢に巻き込まれる形で戦争に突入しました。

 

第一次侵攻:外交官・徐熙の知略が光る江東六州獲得

戦争には必ず理由があります。契丹と高麗が戦う事になった理由は、高麗の北進政策(北方に領土を拡大したい)と親宋政策(宋と仲良くしたい)が背景にあったとされています。

最初の戦いは993年でした。契丹の将軍 蕭恒徳(しょう こうとく)が高麗に侵攻。この和睦交渉で活躍したのが高麗の外交官徐熙(ソ・ヒ)でした。彼は決死の覚悟で契丹の陣営に乗り込み粘り強く交渉します。徐熙の巧みな交渉により、高麗は現在の北朝鮮西北部に位置する江東六州の支配権を獲得しました。

ところがこの地域は女真族の居住地域。この一時的な和睦は後の衝突の火種にもなりました。

残念ながらドラマでは描かれません。

 

第二次侵攻:顕宗の苦難と楊規将軍の壮絶な抵抗

第二次侵攻は1010年です。ドラマはここから描かれます。
高麗では重臣の康兆穆宗を殺害して顕宗を即位させました。すると契丹皇帝 聖宗は40万と称する大軍を率いて高麗に攻め込みます。康兆は戦死。契丹軍は高麗の首都 開京を陥落させます。国王 顕宗は命からがら南に避難しました。

高麗には勇敢な将軍楊規(ヤン・ギュ)がいました。彼は興化鎮などで粘り強く契丹軍に抵抗し高麗の防衛線を守ります。さらに撤退する契丹軍を巧みに追撃。大きな打撃を与え、多数の捕虜を奪還しました。楊規は戦死しましたが、彼の壮絶な奮戦は高麗の士気を高めました。

相次ぐ戦闘と武臣の反乱

契丹は顕宗の入朝(契丹皇帝に会いに来ること)を条件に撤退しましたが。高麗は約束を守りません。すると1014~1017年にかけて契丹軍と高麗軍の国境付近で何度か戦闘が起こりました。

さらに国内では金訓、崔質ら武官らが待遇不満に怒りを爆発させて反乱を起こしました。顕宗も一時は彼らの要求を呑まなければいけないほどです。

しかし最終的には彼らを騙し討ちにして抹殺。後の武臣時代のような武官の独走は止められました。

 

第三次侵攻:文官・姜邯賛の活躍と亀州大捷

最後の戦いは1019年です。契丹は依然として高麗が宋との関係を維持して朝貢の約束を果たさないことを理由に、蕭排押(しょう はいおう)率いる10万の大軍を再び送りました。

高麗の顕宗姜邯賛(カン・ガムチャン)を総司令官に任命し20万の大軍で迎え撃ちました。姜邯賛は文官出身ですが軍事の才能に非常に優れていました。

姜邯賛は、待ち伏せと川の水をせき止めて増水させるなど、地形を巧みに利用した戦術で契丹軍を壊滅させました。

さらに姜邯賛は契丹軍の主力が首都・開京へ向かうことを予測し、主要な道に伏兵を配置し、周辺の村や町を焼いて略奪ができないようにして敵の補給を断ちました。

これにより食糧不足と高麗軍の奇襲で疲弊した契丹軍は退却を開始。姜邯賛は退却する契丹軍に追撃を命じ、亀州で契丹軍を包囲。激しい戦闘の末、契丹軍は壊滅。高麗が勝利しました。

これが歴史に名高い亀州大捷(クジュデチョプ)です。その後、契丹の侵攻はなく。平和が戻りました。

とまあ、高麗契丹戦争は輝かしい勝利で終わりを迎えたように語られがちです。でも歴史はそれでは終わりません。

 

その後

契丹の聖宗は契丹軍の敗北に激怒。次の遠征軍の準備を命じました。

一方、勝った高麗も国内は大きな被害を受けており、高麗の朝廷は戦い続けるのは不可能と判断します。

1020年。高麗契丹の臣下になるのを申し出て契丹朝貢国となり、宋との関係を断絶。背後が脅かされる心配がなくなった契丹は高麗への再出兵を中止

その後は両国の交易も盛んになり、ようやく高麗に平和が訪れました。

実は「高麗」ー「宋」ー「契丹」の関係は、後の「李氏朝鮮」ー「明」ー「清」の関係と全く同じ。朝鮮半島の国は大陸の大国との付き合い方が重要というのがよくわかります。

 


ドラマ「高麗契丹戦争」と史実の違い

ドラマ『高麗契丹戦争』は史実を基にしつつ、ドラマチックな脚色が加えられています。特に史実と違う点を紹介しましょう。

1. 王の描かれ方。史実の顕宗は即位前から強かった?

ドラマの顕宗は弱々しい王子から威厳ある君主へと成長する姿が強調されます。物語の主人公としての成長がメインテーマの一つだからです。

ところが原作小説の作者がドラマでの顕宗の描写は「デタラメだ」と批判、韓国内でも批判が起きました。というのも韓国では顕宗は偉大な王とされているからです。

現実的には顕宗が即位できたのは康兆の反乱のおかげですし、経験を積んで偉大に王になるのは別におかしな描写ではありません。若いころから有能だったというのは買いかぶり過ぎ。ドラマの演出は誇張されてはいるのの、エンタメ作品の範囲内かな。とも思いますが評判はよくありません。

 

2. 国内の内輪もめ

途中、第二次と第三次侵攻の間、ドラマでは国内で対立する人間模様が細かく描かれます。史実にはなかった架空の豪族の反乱まで起きます。

国内の揉め事が延々と続くので「どこが高麗契丹戦争なのか?」と疑問を持つ人も多かったようです。顕宗の描写の件もあり、韓国では大ブーイング。「歴史ドラマのKBS」の名声が傷つくほど批判を受けています。

現実には武官の反乱の他にも国境付近では戦闘が起こり、平穏ではありませんでした。豪族の反乱は架空にしても、顕宗のリーダーシップのもと高麗が一致団結していたわけではないのは確かです。

でもドラマタイトルを「高麗契丹戦争」にしたなら内輪もめの描写は少なくても良かったかもしれませんね。

 

3. 戦争の描写・個人の武勇か集団戦か

ドラマの戦闘シーンでは主要な武将の個人的な武勇が強調される描写が多く見られます。一騎打ちや少人数での奮戦がみどころとなりました。

特に武将の楊規(ヤン・ギュ)の活躍は華々しく、このドラマで一番のヒーローと言っていいでしょう。それまで韓国内で高麗契丹戦の英雄と言えば姜邯賛(カン・ガムチャン)で、楊規はあまり知られていなかったのですが。これで人気が沸騰したようです。

もちろんエンタメが作品ですからアクションも必要です。でも実際の高麗契丹戦争は大規模な集団戦や地形を巧みに利用した戦略。村や町ごと焼いてしまう焦土作戦が非常に重要でした。

個人や少数の将兵の力ではなく、組織的な戦術が勝利をもたらしたのです。

 

4. 国際情勢の解釈・高麗の外交と現実

ドラマでは高麗と契丹は単純な敵対関係として描かれがちです。でも史実の国際情勢はもっと複雑でした。

高麗は伝統的に宗主国と仰ぎ、契丹を頭から野蛮人と見下し敵視しています。そのため必要以上に強硬姿勢になりがちです。

契丹は遊牧民なので土地への執着はあまりありません。侵攻目的も高麗を征服するためではなく、高麗に宋との国交を断ち切らせ、中華世界の主として認めさるためのものでした。戦術的な勝敗に関係なく、高麗が宋との関係を断ち契丹の臣下の国になればその時点で契丹の勝利です。

でも、このような複雑な国際関係はドラマでは省略されがちです。

 


なぜ違いが生まれるのか? ドラマの創作意図

エンタメ性とメッセージ性

歴史ドラマは記録映画ではありません。視聴者に感動や興奮を与えるため、面白さを優先することがあります。特に『高麗契丹戦争』は「韓民族の精神」といった国民的なメッセージを伝える目的もあったとされます。

この場合は史実の正確さよりも物語が伝えるメッセージが重視されるのです。民族が団結して困難に打ち勝とう。というのが大事なのでしょう。

内輪もめが多すぎる印象もあるかもしれませんが、それも現代の韓国が乗り越えるべき課題というメッセージがあるのかもしれません。

 

現代の反中感情が影響?

KBSは韓国の公共放送です。NHKと違い国の方針の影響を受けます。近年、韓国では反中感情が高まっており中国系の国家を敵として描くドラマも増えました。

契丹(遼)は漢民族の国ではありません。でも大陸側の国ですし北京(燕京)を領土にしています。

『高麗契丹戦争』は契丹(遼)を仮想中国にすることで、現代の世相を反映している可能性があるのです。

 


まとめ:高麗契丹戦争は現代的なテーマのドラマ

この記事ではドラマと史実の違いを紹介しました。ドラマ『高麗契丹戦争』は歴史を題材にしていますが、現代的なメッセージドラマ性を重視したエンタメ作品でした。

史実とのズレに批判の声もあるものの、ドラマはあくまで脚色された物語。史実の高麗契丹戦争にはドラマとは違う複雑な背景や奥深い戦略が隠されています。

史実を知ることで、より深く作品を味わうきっかけとなれば嬉しいです。

 

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