朝鮮ドラマ『朝鮮弁護士〜カン・ハンス〜』を見ていると、
「これっていつの時代?」「外知部って本当にいたの?」と気になる人が多いと思います。
このドラマの舞台は、朝鮮前期・成宗(ソンジョン)の時代ごろの15世紀後半と考えるのが一番しっくりきます。
ここでは、ドラマに出てくる「経国大典」「外知部」「勲旧派」「院相」を中心に、ドラマを見る人向けに時代背景をまとめました。
この記事でわかること
- 『朝鮮弁護士』の時代背景はいつ頃か
- 「大妃の夫・世祖が経国大典を作った」というセリフの意味
- 経国大典とは何か(ドラマ的に必要なポイントだけ)
- 外知部(ウェジブ)はどんな存在だったのか
- なぜドラマのように勲旧派や院相が強く描かれるのか
- ドラマと史実の「近いところ」と「盛っているところ」
カンハンスの時代背景はいつ?
成宗の時代(15世紀後半)がモデル
ドラマの王はイ・ヒュル。
イ・ヒュルという名の王は史実にはいませんが
劇中では、
- 大妃の夫・世祖大王が経国大典を作った
- 先の王が若くして亡くなり世継ぎがいない。
- 勲旧派や院相が強い力を持っている
- 大妃が影響力を持っている。
といった描写が出てきます。このあたりの出来事は世祖~成宗の時代の出来事に似ています。
史実は以下のような時代でした。
- 経国大典は
「世祖の命令で編纂が始まり、成宗の時代に整えられていった法典」 - 世祖の後を継いだ次男・睿宗は若くして病死。
- 睿宗の没後に世祖の孫(長男の子)成宗が即位した。
- 成宗は若くして即位したので大妃が垂簾聴政を行った。
- 大妃を院相たちが補佐する政治体制だった。
そのため、ドラマの舞台は朝鮮前期・成宗のころ(15世紀後半)と重なります。
ドラマの中でも世祖が経国大典を作ったという意味のセリフがありました。実際には世祖の代では完成せず。成宗の時代に完成しています。
成宗の名前は李娎(イ・ヒョル)なのでヒュルの元ネタになったのは間違いないでしょう。
家系図にすると以下のようになります。

世祖~成宗時代の家系図
この家系図で、成宗がドラマのイ・ヒュル。睿宗が先の王、貞熹王后がドラマの大妃になります。
年表
ドラマの舞台となるのは主に成宗時代と考えるとよいでしょう。
- 1450年代〜:世祖の時代
クーデターで王位をつかみ、経国大典の編纂を命じる。 - 1469年:睿宗が急死
(カンハンスの父が死んだのもこのころ) - 1469年:成宗が若くして即位
祖母の大妃が垂簾聴政。院相との共同運営。 - 1476年:院相を廃止。成相による政治が始まる。
(ドラマの最終回のクライマックスはこのあたり)
- 1470〜1480年代:成宗政権が安定
法典の整備、官僚組織の整え直しが進む。
勲旧派がまだ強くのちに士林派との対立が深まっていく。
(ドラマエピソードの時代)
経国大典とは?ドラマの「法」の土台
経国大典=国を動かすためのルールブック
経国大典は、朝鮮王朝で作られた基本法典(法律の集まり)です。
一つの法律だけで成り立っているのではなく。
- 王と官僚の役割
- 役所のしくみ
- 身分制度
- 税、刑罰、裁判の手続き
こうした様々な法律の集まりになっています。とくに身分や朝廷の組織・制度が経国大典できっちり決められていて。ここで朝鮮王朝の形が完成したと言えます。
ドラマでカン・ハンスが「法」を武器に権力者と戦えるのは、この時代にこうしたルールが一応“形”になっていたからです。
なぜ「世祖が作った」と言われるのか
史実の流れはおおまかに、
- 世祖が編纂を命じる(着手)
- しばらく時間をかけて内容を整える
- 成宗の時代に、内容が整えられ正式に施行される
という段階を踏みます。
そのため日本国内で入手できる朝鮮王朝の書籍には世祖が経国大典を作ったと書かれていますが。実際には完成させて正式運用が始まったのは成宗の時代です。
だから成宗は国の根幹を完成させた王として「成宗」と呼ばれるのです。
成宗についてはこちらで詳しく紹介しています。
成宗(ソンジョン王):朝鮮王朝の完成者の生涯と功績
外知部(ウェジブ)は実在する?ドラマとの違いは?
ドラマの外知部:法廷で戦う“弁護士”
主人公のカン・ハンスは架空の人物です。このカン・ハンスは外知部の設定。
『朝鮮弁護士カンハンス』では外知部はほぼ現代の弁護士のように描かれます。
カン・ハンスは
- 依頼人から事情を聞く
- 証拠を集める
- 法廷で鋭く弁論する
- 権力者の不正を暴く
といった活動をしています。内容としては「現代の法廷ドラマの主人公」を朝鮮王朝に移したようなものです。
史実の外知部:中心は「代書+手続きの代理」
でも史実の外知部は違います。
実際の仕事は
- 訴状(ソジャン)などの書類を代わりに作る
- 役所に出す書類を、依頼人の代わりに提出する
- 手続きの順番を教えたり、付き添ったりする
といった実務的な役割が中心だったとされています。
当時、庶民の多くは漢字が読めません。法律用語や役所の書式も難しかったので「文字と法に強い人」が間に入る必要があったのです。
そういった意味でも「外知部=弁護士」ではなく、役所に提出する書類を作り手続きをする「行政書士」や「司法書士」に「弁護士」の役目も兼ねている人のイメージです。
でもドラマのサイトやガイドブックでは、外知部は現代の「弁護士」と書いてあることが多いです。
これは視聴者に「この主人公は裁判で戦う人なんだ」とすぐ分かってもらうための“キャッチコピー”としての表現。実際には弁護士と同じ存在とは言えません。
史実の外知部と「現代の弁護士」の違いをまとめるとこうです。
共通しているところ
- 法令・判例に詳しい人
- 訴訟の場で依頼人の味方をする
- 文字や法律に弱い人を助ける
この意味で「裁判のプロ」的なイメージは重なります。
大きく違うところ
① 仕事の中心
- 外知部
→ 訴状を書く、文書を整える、手続きの段取りをする「代書・手続きのプロ」こちらが本職。 - 現代の弁護士
→ 裁判・交渉そのものを引き受ける「代理人」としての役割が大きい。
② 立場
- 外知部
→ 正規の官職ではない。法的根拠も資格もない。自称法律の専門家であり、批判の目も強い。立場上は手続きを代わりに行っている人。 - 弁護士
→ 国家資格で、役割や責任が法律で決まっている職業
③ 裁判での役割
- 外知部
→ 書類を通して主張を組み立てることが中心。
訴訟を煽る・長引かせると問題視され、禁止令が出た時期もある - 弁護士
→ 裁判での弁論・証人尋問が「本業」。これをやること自体が制度で認められている
法廷で弁論した外知部もいた
でも一部では
- 裁判の場で発言したり
- 依頼人の代わりに主張したり
といった今の弁護士に近い動きをした人も記録には残っています。
つまり、実際の外知部は「代書人・訴訟代理人」が中心ですが。法廷で戦う外知部もゼロではなかったというイメージです。
ドラマはここを大きく脚色して「弁論に強い外知部」を主人公にしているのです。
なぜ外知部は問題視されたのか
庶民にとってはありがたい外知部ですが、役人からは嫌われ禁止令が出たこともありました。
外知部が増えると、
- 訴訟が増える
- 訴訟が長引く
- 権力者にとって都合の悪い訴えが増える
こうした理由から外知部は役所や支配層にとって“厄介な存在”になりやすかったと言われます。
ただし「庶民の味方」としてだけ見るのも美化しすぎかもしれません。史料には、
- 報酬目当てで人をそそのかして無理な訴訟を起こさせる。
- 法条文をねじ曲げて悪事を正当化する。
- 公文書を偽造する。
などで問題になった外知部も記録されています。
現代でも、依頼人のために犯罪行為を正当化・矮小化する弁護士、脱税行為を教える税理士はいます。
この時代にも善良な法律家と悪徳弁護士がいたようです。そのため、外知部を規制する命令や禁止令も出されています。
外知部についてはこちらで詳しく紹介しています。
裁判はどこで行われた?
都(漢城/ハンソン)の中心には、漢城府(ハンソンブ)という役所がありました。現在の東京都庁。江戸時代なら江戸町奉行所みたいなものです。
漢城府の仕事は
- 都市の行政を担当
- 治安維持
- 簡単な裁きや取り調べ
ドラマのような大きな訴訟になると、
- 当事者が訴え出る(ここで外知部が書類を作る)
- 役所が事件を受理する
- 取り調べ・証言
- 判決・刑罰
という流れになります。
外知部はこのうち①〜②の部分で強く関わる人でした。
ドラマのカンハンスは、さらに③〜④の「弁論」部分まで踏み込んだ姿として描かれています。
イ・ヨンジュは実在?モデルは?
イ・ヨンジュは史実の人物?
ドラマのヒロインはイ・ヨンジュ。彼女は先王の娘です。
史実には「イ・ヨンジュ」という名前の王女は存在しません。
さらにヨンジュ(ソウォン)は、
-
身分を隠し「ソウォン」と名乗る
-
ソウォン閣という宿泊施設を作り、庶民と共に暮らす
というキャラクターですが。これも現実にはありえません。
モデルは誰?一番近いのは顕粛公主
ドラマの「前王」は、
-
世祖の息子
-
即位期間が短く病弱のまま若くして死去
という設定なので睿宗(第8代王)がモデルと考えられます。
睿宗には顕粛公主という娘がいて名門両班・任光載と結婚しています。
というわけで、
-
「早死にした王(睿宗)」の娘
-
正式な公主として扱われる
という部分はイ・ヨンジュ=顕粛公主に近いと言えます。
でも顕粛公主は、
-
宮中で育ち
-
王女として冊封され
-
両班と婚姻して家門を築く
というごく「普通の」王女の人生を歩んでいます。
身分を隠して偽名を名乗り、町で宿を経営するといった要素は一切ありません。
そのためイ・ヨンジュは「睿宗の娘」という立場だけ顕粛公主に近いものの、
生き方やソウォン閣の設定はほぼ完全に架空のキャラクターといえそうです。
公主が宿を経営するのは有り?
ドラマではイ・ヨンジュは「ソウォン閣」という旅人が止まる宿を経営しています。
もちろん史実の朝鮮王朝で、公主(王女)が自分名義の宿を作り、庶民と一緒に現場で経営するというのはありません。
実際の朝鮮王朝で実現できない理由は三つあります。
-
王女は宮中で厳重に管理される
-
王女の居住場所・婚姻相手・外出はすべて王家と官僚が管理
-
「前王の娘」は政治的に利用価値が高く、勝手に町で生活させるリスクが大きい
-
-
女性、とくに王族女性は外で働かない
-
王妃・大妃・公主は基本的に敷地内での生活が前提
-
公共空間で庶民と日常的に交わり、商業施設を運営することは想定されていない
-
-
救済施設はあっても運営主体が違う
-
濟生院や惠民署などの救済・医療機関、義倉などのは存在します
-
でもこれらを運営するのは官庁・地方官・寺院・有力家門です。「○○公主が建てた宿」のような形では存在しません。
-
劇中のソウォン閣は、
-
尚宮が女将
-
武官が常時護衛
-
王女本人が偽名で庶民の前に出て活動
という「視聴者には分かりやすいものの、史実的には不可能」な内容です。
イ・ヨンジュの設定はヒロイン要素満載
カン・ハンスの父は役人で本来なら前王に直接届くはずだった書状を書きました。ところがその手紙は王の手には届かず、たまたま王女イ・ヨンジュの手元で止まってしまいます。結果として、ハンスの父は救われずに命を落としました。
そのためイ・ヨンジュは
-
「王女として、主人公の父の死に間接的に関わってしまった人物」
-
「何もできなかったことへの負い目を抱え続ける人」
という立場になります。
さらに
- イ・ヨンジュが身分を隠し「ソウォン」と名乗って町で暮らす
- ソウォン閣という宿を拠点に、カン・ハンスと“町のヒロイン”として出会う
- 主人公ハンスと恋仲になる
のですが。のちに「実は前王の王女で、かつてハンスの父の手紙を握りつぶしてしまった本人」だと明かされます。
「ヒロインの正体が、主人公の父の死と深く結びついていた」
という大きなドラマの山場になります。有りえない背徹底ですが、ドラマとしては
-
主人公とヒロインに強い因縁を持たせる
-
恋愛と復讐劇を一つのドラマにできる
-
正体バレによる感情の爆発(信頼の崩壊と再生)を描きやすくする
という役割が与えられています。
さらに
- 王に味方する者を探している
- 院相の息子と結婚の約束があった
- 王の政敵を抑えるために院相の息子と結婚の話が進む
- 王女の死が院相を追い詰める決定打になる
という政争側にも思い切り絡んでいて。恋と戦いの両方で重要な人物になっています。
イ・ヨンジュ/ソウォンはヒロイン要素満載のドラマならではの存在と言えますね。
勲旧派と院相がなぜ強い?時代の事情
院相とは?
劇中に出てくる院相(ウォンサン)は、幼い王を支えたり、王の代わりに政務を取り仕切ったりする重臣です。
という、ドラマ向きの「大物ポジション」です。
『朝鮮弁護士』でも、院相は裁判や政治の流れを左右する人物として描かれます。王の最大の敵で、カン・ハンスの“敵”にも“交渉相手”にもなります。
院相についてはこちらで詳しく紹介しています。
院相とは?朝鮮王朝で幼い王を支えた朝廷の影の権力者
勲旧派=王を立てた功臣グループ
院相は勲旧派に所属しています。
勲旧派(フング派)は世祖~燕山君の時代にいた政治家の派閥。主に世祖のクーデターと政権を支えた“功臣たち”を中心にしたグループです。
王位を奪って新しい政権を作るとき、世祖は味方を集めるために多くの功臣たちに
- 高い官職
- 土地や財産
- 政治への発言力
を与えました。
その結果、世祖の時代から成宗の時代にかけて勲旧派の一族は長く要職を独占しやすい立場になっていきます。
官職・土地・婚姻で力が蓄えられた
勲旧派は、
- 高い地位の官職を回し合い
- 土地や財産を蓄え
- 一族どうしの婚姻で絆を固める
ということを行い仲間内で力を強く保つしくみを作りました。
だからこそ、裁判や人事の場面でも、
- 「あの家の息子だから有利」
- 「あの一族の敵だから不利」
ということが起こりやすくなります。
成宗が若いため大妃と院相が支えた
成宗は13歳で王になりました。そのため即位してしばらくは
- 祖母の慈聖大妃が垂簾聴政を行う
- 大妃の信頼する申叔舟、韓明澮が院相となり政務を補佐する
という状態になりました。とはいえ実際に大妃が政治を行うわけではなく、院相たちが中心になって政治が行われます。この時代は勲旧派に対抗できる勢力はいないので。どうしても勲旧派が政治を動かしているようになってしまいます。
ドラマと史実はどこが重なる?どこが違う?
近いところ(ベースになっている部分)
- 舞台が朝鮮前期・成宗の時代ごろ
- 経国大典という法典が整いつつある時期
- 勲旧派が強く、院相や大妃が政治に大きく関わる
- 法律が「弱者の味方にもなりうるが、権力者の盾にもなる」という二面性
こうした部分は史実とよく重なります。
違う所(ドラマらしい脚色)
- 外知部が現代の弁護士のように法廷で激しく弁論する。
- 一人の外知部が連続して大事件の裏側を暴き続ける
- 院相や勲旧派が作品の都合で「わかりやすい悪役」として描かれる
史実にも「訴訟代理」「口の立つ外知部」はいましたが、ドラマはそこを大きく広げてエンタメとしての爽快感を優先しています。
かんたんFAQ
Q.『朝鮮弁護士』の時代背景はいつ?
A. 朝鮮前期・成宗の時代(15世紀後半)ごろと考えるといいでしょう。
Q. 大妃の夫・世祖は本当に経国大典を作ったの?
A. 世祖が編纂を命じ、後の王たちの時代に整えられていきました。完成は成宗の時代です。
Q. 外知部は本当に弁護士なの?
A. 実際は訴状を書いたり役所への提出を代わりにしたりする代書・手続きの専門職が中心でした。でも法廷で発言することもまったく無かったわけではありません。
Q. 勲旧派って何?
A. 世祖の政権を支えた功臣たちを中心にしたグループです。
高い官職と土地を握り、長く強い影響力を持ちました。
Q. 院相はどんな立場?
A. 幼い王を支えたり、王の代わりに政務を見たりする重臣です。
大妃と組むことで、王よりも力を持つように見えることもありました。
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