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韓国史

国王

高宗 (コジョン) 李氏朝鮮王朝 最後の国王

高宗 (コジョン)は李氏朝鮮26代国王、最後の国王です。李氏の王朝は27代純宗の時代まで続きますが、高宗の時代に大韓帝国と名前を変えます。王になるまでの名前は、李載晃(イ・ジェファン)。王位後継者に決まった後、李熙(イ・ヒ)と名を変えました...
高麗の国王

高麗 禑王 は李成桂に殺害され高麗の滅亡を早めた国王

禑王(ウ王)は高麗の32代国王です。父・恭愍王の死後、若くして王になりました。当時の高麗王朝は混乱の時期でした。元が倒れ明が新しくできたことで、高麗国内も元派と明派に分裂していました。古くから力を持っていた重臣たちと新しく台頭した士大夫(儒...
重臣

李爾瞻(イ・イチョム)は光海君を凌ぐ力を持った大北派の重臣

李爾瞻(イ・イチョム)は李氏朝鮮の光海君時代の重臣。華政などのドラマでは権力欲の強い人物として描かれます。歴史上の評価も、悪の重臣の代表といった評価になってしまいます。確かに、多くの人々を陥れて殺害しました。イ・イチョムの影響力は国王を凌ぐ...
王子

定遠君(ジョンオングン)は息子・仁祖のおかげで王の名を与えられた

定遠君(ジョンオングン)は仁祖の父。死後に「元宗」の諡を与えられました。朝鮮史上初の庶子で死後に王の名を与えられた人物です。史実の定遠君はどんな人物だったのか紹介します。定遠君(ジョンオングン)の史実いつの時代の人?生年月日:1580年没年...
王子

永昌大君(ヨンチャンテグン)は蒸殺?それとも毒殺?

永昌大君(ヨンチャンテグン)の生涯。宣祖の嫡子として生まれて次の王と期待され。光海君たちと対立。流罪となり最期は蒸殺処刑されたといわれます。朝鮮王朝史における永昌大君の波乱の生涯を詳しく解説します。
朝鮮の人々

南師古(ナム・サゴ)は朝鮮の預言者?

南師古(ナム・サゴ)は華政などで名前が出てくる預言者です。伝説的な預言者となっていますがそのような人はいたのでしょうか?実はナムサゴは実在する人物なのです。明宗時代の役人でした。占いにも凝っていたようです。史実の南師古(ナム・サゴ)はどんな...
重臣

金昌集(キム・チャンチプ)延礽君を王にしようとした老論派の重臣

金昌集(キム・チャンチプ)は李氏朝鮮の粛宗から景宗の時代の政治家。延礽君(ヨニングン)を王世弟にするなど、老論派(西人派)の重要人物として政治に関わりました。昭顕世子と嬪宮姜氏の名誉回復にも勤めています。若い頃は父が政争で命を落としましたが...
高麗の王族

明徳太后(ミョンドクテフ)元出身の妃と対立した高麗の王妃

明徳太后は高麗の27代忠粛王の妃です。諡から恭元王后ともいいます。忠恵王、恭愍王の母親でもあります。元出身の王妃との不仲や、王位を継いだ子どもたちとの考えの違いもあってトラブルの多い王妃でした。それでも当時としては珍しく83歳まで生き、多く...
高麗の重臣や人々

李仁任(イ・イニム)はイ・インギョムのモデルになった高麗貴族の首領

李仁任(イ・イニム)は高麗末期の政治家。李成桂(イ・ソンゲ)の最大の政敵とされ、奸臣ともいわれます。李仁任は権門勢族とよばれる高麗に仕えた貴族の首領でした。高麗末期には権門勢族は富や権力を独占し高麗朝廷は腐敗が進んでいました。元にかわり力を...
高句麗

淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)は高句麗の英雄か逆賊か?

淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)は、高句麗末期の英雄と言われますが。反逆者という評価もある人物。性格的にはかなり難のある人物だったようですが、人をまとめるのは得意だったようです。クーデターを起こして対立する王を殺し、権力を手にしました。それでも強...
重臣

金 玉均(キム・オッキュン)朝鮮の近代化を目指した革命家

金 玉均(キム・オッキュン)は李氏朝鮮末期の政治家。朝鮮ではいちはやく、文明開化の必要性を感じて国を改革しようとした人物でした。しかし金玉均の試みは失敗し日本に亡命。朝鮮からは追われる身となります。最後は朝鮮の暗殺者に殺害されました。韓国で...
朝鮮の人々

申師任堂(シン・サイムダン)の本当の姿

申師任堂(シン・サイムダン)は李氏朝鮮時代の儒学者、画家、作家、詩人でした。「チャングム」で主人公を演じたイ・ヨンエの復帰作ということで注目を集めましたね。日本ではサイムダンは知らなくてもチャングムを知ってる人は多いと思います。「師任堂・色...
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