韓致義(ハン・チヒョン)は仁粋大妃の従兄弟。世祖時代に役人になり、兵曹判書にまで出世しました。
王の母方の親族なので、いわゆる外戚になります。
史実の韓致義(ハン・チヒョン)どんな人物だったのか紹介します。
韓致義(ハン・チヒョン)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1434年
没年月日:1502年
名前:韓致亨(ハン・チヒョン)
父:韓(ハン・ジル)
母:チョ氏
妻:全州李氏(讓寧大君の娘)
子供:娘
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に7代世祖~10代成宗の時代の人です。
日本では室町時代の人になります。
父・韓(ハン・ジル)は仁粋大妃の父・韓確(ハン・ファク)の兄弟です。
ハン・チヒョンは仁粋大妃の従兄弟になります。
1455年(世祖1年)。蔭位で司正兼尚瑞録事になりました。蔭位とは身分の高い人の推薦による仕官のことです。本来は民間に埋もれている優秀な人材を登用するために作られた仕組みだと言われますが。実際には重臣の身内を取り立てるのに使われることが多かったようです。コネで役人になったのです。でも蔭位で入った人には出世できる官位に制限があるので、あとで科挙を受けることもあります。
1456年。科挙に合格。
1463年。通禮門奉禮郎になりました。
1467年。訓鍊院都正になり平安道に赴任して女真族の侵入に備えました。
1469年(睿宗1)。慶尚左道兵馬節度使などを歴任しました。
1470年(成宗1)。外戚として重用されました。漢城府座尹となり、明へ使者として向かいました。
右武承旨、左部承旨を歴任した後。
1472年。兵曹判書になりました。
しかしその後、病気になり辞任しました。
1773年。病気で亡くなりました。享年34歳。
仁粋大妃が世子の嫁になったことから、取り立てられた身内の1人でした。成宗を支えた重臣の一人です。しかし仁粋大妃が大妃となり王の外戚として力を持てるようになりましたが病気で亡くなります。成宗が王になるまでは仁粋大妃や成宗のために働いたと思われますが詳しい記録は残っていません。手足となって裏で動いていたのかもしれませんね。
テレビドラマ
チャンノクス KBS 1995年 演:チェ・ジョンフン
王と妃 KBS 1998年 演:キム・ジョンギョル
インス大妃 JTBC 2011年 演:キム・ハギュン
コメント