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南誾(ナム・ウン)は朝鮮建国後に李芳遠と対立して命を落とした

朝鮮重臣 5 李氏朝鮮の重臣

南誾(ナム・ウン)は高麗末期から李氏朝鮮初期の重臣。

貴族たちが権力を牛耳る高麗の政治に幻滅して高麗王朝を打倒。鄭道傳(チョン・ドジョン)たちと一緒に李成桂(イ・ソンゲ)を担いで新しい王にしました。

ところがその後、李芳遠(イ・バンウォン)と対立、処刑されてしまいます。

兄に李氏朝鮮で領議政になった南在(ナム・チェ)がいます。

史実の南誾(ナム・ウン)はどんな人物だったのか紹介します。

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南誾(ナム・ウン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1354年
没年月日:1398年10月6日

名前:南誾(ナム・ウン)
称号:
本貫:宜寧南氏
父:南乙蕃(ナム·ウルボン)
母:崔氏
妻:江陵 金氏

子供
南景壽、南景祐、南景福、南景祉

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に12代仁宗~13代明宗の時代です。

日本では江戸時代の人になります。

おいたち

幼い頃から記憶力が良く。文章が上手でした。

武人気質もありました。

1373年(恭愍王22年)。推薦で文官になりました。

1374年(恭愍王23年)。科挙の文科に合格。

1380年。社稷壇直に任命されました。元寇が終わってしばらくは倭寇の活動が活発な時期がありました。三陟(現在の韓国江原道三陟市)の小さな町は守るのが困難でした。

南誾は三陟郡事になりました。南誾の在任中に倭寇が攻めてきたので騎兵を率いて倭寇を撃退しました。

その後、南誾は都に呼び戻され司僕寺正になりました。

高麗の腐敗した権門士族(貴族)政治に嫌気がしていました。

改革派の李成桂(イ・ソンゲ)、鄭道傳(チョン・ドジョン)、鄭夢周(チョン・モンジュ)たちと親しくなり、李成桂を支えるメンバーの中心になりました。

1388年。禑王の時代。権門士族の主導で遼東征伐が決定。明は高麗に鉄嶺以北の領土を差し出すように要求していました。

明の要求に高麗国内は意見が割れます。

南誾たちは「明を怒らせることなる」と猛烈に反対しました。

最終的に反明派の意見が勝って明の要求を拒否して遼東に出兵することになりました。高麗軍を率いるのは李成桂たちです。

高麗軍が威化島に到着すると南誾は趙仁沃と共謀して、李成桂に軍を戻すように提案。

このときすでに南誾は李成桂をかついで王位を奪おうとしていました。でも、李成桂は用心深く賛成しませんでした。

威化島に戻った南誾は李芳遠にそのことを話しました。すると李芳遠は「そのことは話すな」と言ったといいます。

その後、禑王が廃位され、恭譲王が即位しました。

南誾は三司右尹監門衛上護軍に任命されました。

1392年。鄭道傳が弾劾をうけ羅州に追放になりました。

南誾は上書を書き、鄭道傳の開放を訴えましたが失敗しました。逆に金震陽の弾劾をうけ追放されてしまいました。

その直後、鄭夢周が暗殺され南誾は呼び戻されました。知密直司事になりました。

南誾は鄭道傳、趙俊、趙仁雄たち52人と共謀して李成桂を担ぎ、高麗王を廃位。李成桂が高麗王(このときはまだ高麗)になりました。

南誾は李氏王朝の開国功臣一等、宜寧君の称号を与えられました。さらに、領地や奴婢25人が与えられました。

その後、「宜城君」に改称。参賛門下府事になりました。

後継者問題で李芳遠と対立

鄭道傳たちとともに神徳王后康氏の息子・李芳碩(イ・バンソク)を世子にしようと活動。世子になる野望をもっていた李芳遠と対立します。

1395年。父の喪を理由に退職しました。

儒教では親が死亡すると仕事を休んで3年間の喪に服さなければいけません。

でも兄の南在とともに特別扱いを受け。1396年。参賛門下府使と判尚瑞司事になりました。鄭道傳たちとともに北西の軍事力を強化、遼東を朝鮮の領土にしようとしましたが失敗しました。

第一次王子の乱で死亡

1398年。李芳遠(イ・バンウォン)が反乱を起こして世子の芳碩和(イ・バンソク)と鄭道傳が暗殺されました。「第一次王子の乱」です。

南誾は仲間の河景と崔沄を連れて都の水門から逃げて都の外の城壁に隠れていました。

見回りの兵士がいたので助けを求めようとしました。2人は見つかったら殺されると引き止めましたが、南誾は「鄭道傳には敵がいたが、自分にはいない」といって出ていきました。

ところが兵士に捕まって処刑されてしまいます。見回りの兵士は李芳遠側の兵士だったのです。

李芳遠は芳碩和支持派の重臣たちを非難して処刑しました。南誾もその一人でした。

でも太祖・李成桂は彼らを守ることができませんでした。すでにそのくらい李芳遠の権力が大きくなっていたのです。

李芳遠は南誾を恨んでいました。そこで南誾の家族からは領地を奪いましたが、連座で処刑はしませんでした。南誾の兄弟や息子たちはその後も朝鮮に仕えました。

世宗の時代に名誉が回復。「領議政」の追封を受けています。

兄に南誾と同じように朝鮮建国に貢献した南在がいます。弟と違って南在は李芳遠と対立はせず、太宗時代に領議政を務めています。

テレビドラマ

鄭道伝 2014、KBS 演:イム・デホ
六龍が飛ぶ 2015年、SBS 演:チン・ソンギュ
私の国 2019年、JTBC 役名:ナム・ジョン 演:アン・ネサン

「私の国」に登場するナム・ジョンは南誾(ナム・ウン)がモデル。家族構成が大幅にアレンジされているので名前が変えられていますが。優秀な兄弟がいて将来領議政になるところ、新しい国を作るためイ・ソンゲを支えるところ。後継者問題でイ・バンウォンと対立して死亡するなど。大まかな流れはだいたい同じです。

「私の国」ではナム・ジョンには優秀な兄弟がいて、ナム・ジョン自身は劣等感を持っていることになってます。この優秀な兄弟になるのが太宗時代に領議政を務めた南在です。

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