貞純(チョンスン)王后は李氏朝鮮時代の王妃および大妃。
第21代国王・英祖の正室。
貞純王后は正祖(イ・サン)の敵として描かれることが多いです。
晩年の英祖と結婚したので、王妃より大妃時代のほうが遥かに長いのでドラマにも大妃として登場することが多いです。
史実の貞純王后どんな人物だったのか紹介します。
貞純王后の史実
プロフィール
称号:貞純王后(チョンソンワンフ)
姓:金(キム)
名前:不明
生年月日:1745年12月2日
没年月日:1805年2月11日
本貫:慶州金氏
父:鰲興府院君金漢耈
母:原豊府夫人
夫:英祖
子供:なし
主に活躍したのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に21代英祖~23代純祖の時代です。
日本では江戸時代になります。
おいたち
1745年12月2日。驪州(現在の大韓民国京畿道の南東部にある驪州市)で生まれました。
父は 鰲興府院君の金漢耈。
母は 原豊府夫人。
朝鮮一の歳の差婚・英祖の時代
1757年。貞聖王后が死去。
英祖は新しい王妃を選ぶことにしました。
英祖には何人も側室がいました。お気に入りの側室もいます。でも側室から王妃は選びませんでした。
粛宗の晩年に「側室を王妃にしてはいけない」という規則ができたからです。
1759年。揀択令を出し。良家の娘から候補者が選ばれました。
このとき英祖は王妃候補者に「この世で一番深いものは何か」質問しました。娘たちは「山」や「海」と答えます。
でも貞純王后だけは「人情が一番深い」と答え、英祖の注目をひきました。
さらに「最も美しい花は何か?」という質問に
「綿の花はたとえ粋と香りは優れていても糸を織って民を温かくしてくれる花なので最も美しい」と答え英祖を感動させました。
英祖は貞純王后を王妃として迎えました。
このとき、英祖は66歳。貞純王后は15歳でした。歴代朝鮮王の中で一番、歳の差が大きい夫婦です。
なにしろ貞純王后は英祖の子・荘献世子。その妻・恵慶宮洪氏より10歳も若いのです。
二人の夫婦仲は良かったようです。
さすがに英祖が高齢だったせいでしょうか。二人の間に子供は生まれませんでした。
英祖の末期。
貞純王后の実家・慶州金氏と恵慶宮洪氏の実家・豊山洪氏は権力争いをしました。
その中で荘献世子が死亡します。
ひっそり生きた正祖の時代
英祖が死去。孫の正祖が即位。
貞純王后は王大妃になりました。
貞純大妃の兄・金貴柱(キム・グィジュ)は漢城判尹(都知事)になりました。
正祖は洪麟漢(ホン・インハン)、鄭厚謙(チョン・フギョム)たちを粛清。彼らは父・荘献世子の死に関わっている人たちです。ドラマと違って歴史上の洪仁漢、鄭厚謙は正祖の即位には反対してなかったようです。でも正祖としては彼らを許せなかったのでしょう。
このとき貞純王后の兄・金貴柱(キム・グィジュ)は正祖に味方して洪麟漢、鄭厚謙たちの弾劾に参加しました。
意外にもこのときは正祖の味方だったのです。
兄・金貴柱が流刑になる
正祖は洪仁漢、鄭厚謙の処分が終わると、「恵慶宮の見舞いに来なかった」という理由で金貴柱を流罪にしました。
あとで英祖の時代に金貴柱が洪封漢を弾劾したのが理由だと明らかにします。洪一族の中でも荘献世子に味方していた人物です。
正祖はかつての金貴柱の行いに反感を持っていたのです。
ドラマなどでは正祖と貞純大妃は仲が悪かったと表現しています。
この時代、貞純大妃に政治的には力はありませんが。後宮内では影響力を持っていました。
正祖も祖父の妃として丁重にあつかったため。二人の対立はありませんでした。
朝廷の黒幕になった純祖の時代
1800年。正祖が死去。純祖が即位しました。
ところが純祖はまだ11歳。
そこで貞純大妃が垂簾聴政を3年間行いました。
正祖の異母弟・恩彦君、恵慶宮 洪氏の弟・洪楽任を処刑しました。
正祖は天主教(カトリック)を黙認していました。ところが貞純大妃は天主教信者を含めた南人系の実学者達を弾圧しました(辛酉邪獄)。儒教思想の強い朝鮮では、カトリックは邪教とされ儒教だけが正しいとされていました。
南人派にはカトリック教徒が多かったので南人派の弾圧の口実になりました。丁若鏞、李家煥らが粛清され、南人派と少論派が勢力を失いました。南人派と少論派はもともと老論僻派の政敵でした。カトリック弾圧を口実に南人派と少論派を粛清したのです。
貞純大妃の垂簾聴政の時代に正祖が育てた人材の多くが失われました。
金観柱や金容柱など、老論僻派の官僚を大量に採用しました。
1802年。金朝順の娘を純祖の王妃にしました。これは生前の正祖が決めていたものです。金朝順に永安府院君の称号と官職を与えました。
1803年12月に垂簾聴政を取りやめます。
すると、純祖の義父・金朝順と、正祖の側近だった金朝淳たちが政治を動かすようになります。貞純大妃が採用した老論僻派が粛清され、貞純大妃の影響力が弱くなります。
かわりに金朝順の一族・安東金氏が力を付けました。
晩年はすっかり力を失っていたといいます。
1805年、昌徳宮景福殿にて死去しました。享年61。
英祖の陵である元陵に埋葬されました。
貞純大妃の死後。
安東金氏が要職を独占、勢道政治が始まる事になります。
勢道政治とは、主義主張の違いによる派閥ではなく、血縁者集団を中心にした一族中心の政治です。一部の一族だけが出世できる世の中になり、朝鮮社会の腐敗がさらに進みます。
勢道政治を招いたのは直接的には貞純大妃のせいではありません。でも正祖が育てた有能な人材を粛清した影響で、安東金氏が力を付けてきた時期に彼らを止める勢力がいなかった。という点では貞純大妃にも責任があるかもしれません。
テレビドラマ
大王の道 1997年、 MBC 演:イ・イネ
洪国栄(ホン・グギョン) 2001年、MBC 演:ヨム・ジユン
漢城別曲 2007年、KBS 演:チョン・エリ
イ・サン 2007年 MBC 演:キム・ヨジン
正祖暗殺ミステリー8日 2007年、CGV 演:キム・ヒジョン
風の絵師 2008年、SBS 演:イム・ジウン
ペク・ドンス 2011年、SBS 演:クム・ダンビ
秘密の扉 2014年、SBS 演:ハ・スンリ
赤い袖先 2021年、MBC 演:チャン・ヒジン
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