王旭(ワン・ウク)は高麗の初代国王・王建の8男とも5男ともいわれる人物。
「輝くか狂うか」では第5王子という設定になっています。
王建には王子が多く、激しい後継者争いが行われました。
優先順位の低かった王旭(ワン・ウク)は王にはなれず。光宗の時代に行われた王族の粛清で、ワン・ウグと妻は若くして亡くなってしまいます。
しかし2人の娘は5代国王・景宗の后となりました。その娘のひとりが千秋太后です。息子は6代国王・成宗となりました。孫も国王になりました。
自身は王になることは出来ませんでしたが、後に続く高麗王家の血筋はワン・ウグの血統が引き継ぐことになりました。
史実の王旭(ワン・ウク)はどんな人物だったのか紹介します。
王旭(ワン・ウク)の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:969年11月
名前:王旭(ワン・ウク)
称号:戴宗(追尊)
父:太祖(王建)
母:神静王后皇甫氏
妻:宣義王后柳氏(追尊)
子供
長男:孝德太子
次男:成宗(6代王)
三男:敬章太子
長女:献哀王后皇甫氏(千秋太后)
次女:献貞王后皇甫氏
高麗王朝、初代国王・太祖(王建)~4代光宗の時代に生きました。
日本では平安時代の人になります。
おいたち
彼は高麗王朝の初代国王・太祖(王建)の8男です。
でも5男~8男までは産まれ年がはっきりしません。本当に8番目に産まれた王子なのかわからないのですね。
「麗〜花萌ゆる8人の皇子たち」で第4王子ワン・ソと第8王子ワン・ウクが同じ年に生まれたという設定になってるのもそのせいかもしれません。
「輝くか狂うか」では第5王子という設定です。
ワン・ソ(4代国王・光宗)の王妃・大穆王后皇甫氏(ファンボ氏)とは実の兄妹になります。
ワン・ウクは異母兄妹の柳氏と結婚しました。
太祖(王建)は味方を増やすため多くの豪族の娘と結婚しました。そのため豪族たちの発言力が強くなってしまい王の力が弱まってしまいました。
そこで王建は王家の力を強めるため息子たちには王族同士結婚させることが多くなりました。以後、高麗王朝では異母兄妹の結婚があたりまえのようになります。
柳氏との間には3男2女をもうけました。
ワン・ウクも柳氏も若くして死んでしまいます。
4代国王となった光宗は晩年多くの王族や豪族を粛清しました。
ワン・ウク達が命を落とした理由はよくわかっていませんが、王族粛清の犠牲になったと考えられます。
高麗史に名を残した子どもたち
子どもたちは母方の実家で育てられました。育ての親になったのが、神静王后皇甫氏です。ドラマ「千秋太后」にも出てくるファンボ・ス姉妹の祖母ですね。
ワン・ウクは王にはなれませんでした。でも子どもたちは王家と非常に強いつながりがあります。
長女 献哀王后皇甫氏は5代国王・景宗の第3王妃。
次女 献貞王后皇甫氏は5代国王・景宗の第4王妃。
次男 ワン・チは6代国王・成宗になりました。
献哀王后の息子は7代国王・穆宗になり。献哀王后は千秋太后とよばれました。
献貞王后の息子は8代国王・顕宗になり、以後高麗の家系は顕宗の血筋になります。
自分自身は早くに亡くなりました。でも子どもたちは高麗の歴史にとって重要な人物になりました。
なぜワン・ウクがワン・ソ(光宗)のライバルとして描かれるの?
ワン・ウク自体は歴史にはあまり名前が出てきません。
それでも高麗を扱ったドラマでは光宗(ワン・ソ)のライバルとして登場します。
ワン・ウク自体は後継者争いには負けたのかもしれませんが、彼の子どもたちが高麗王朝の中心的な血統になります。
それに対して光宗は国王になり強い権力を持ちながら子孫が途絶えてしまいました。ワン・ウクと光宗は対象的なのです。そのためドラマの題材として使われるのでしょうね。
テレビドラマのワン・ウク
輝くか、狂うか 2015 MBC 演:イム・ジュファン
麗・花萌ゆる8人の皇子たち 2016年 SBS 演:カン・ハヌル
ワン・ウクが登場するドラマは”麗・花萌ゆる8人の皇子たち”
礼儀正しい王子だったワン・ウク。ヒロインのヘ・スとの出会いで愛情を抱き、王位争いにまきこまれることに。やがて王位を狙うようになるが・・・
右端の人物がワン・ウク
「輝くか狂うか」でも、女性をめぐって第4王子ワン・ソと争います。このドラマでは第5王子という設定です。
後に光宗に殺されるワン・ウクですが。子どもたちが生き残り高麗国王の座を独占するので宿命の対決みたいな扱われ方をされるんでしょうね。
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