姜邯賛(カン・ガムチャン)は契丹と戦い高麗を救った英雄だった

2017年7月8日

千秋太后で、ソ・ヒとともに契丹に立ち向かう頼りになる武将カン・ガムチャン(姜邯賛)は実在の人物。韓国では千秋太后よりも有名な人物だといわれています。

史実のカン・ガムチャンはどんな人物だったのか紹介します。

 

姜邯賛(カン・ガムチャン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:948年
没年月日:1037年

名前:姜 邯賛(きょう かんさん、カン・ガムチャン)
父:姜弓珍

彼が生きたのは948年~1037年。高麗王朝の6代成宗~9代徳宗の時代に活躍した人です。日本では平安時代の人になります。

おいたち

948年。高麗の役人・姜弓珍の息子として生まれました。

983年(成宗3年)。36歳で科挙に合格。文官になりました。戦での活躍が多いので武将だと思われがちですが、もともとは文官なんです。

遼の第2次侵入では徹底抗戦を主張

1010年。遼(契丹)が8代国王・顕宗の即位を不忠の行いだとして40万の大軍で攻めてきました。カン・ジョが高麗軍を率いて戦いましたが敗退。都の開京も危なくなります。重臣たちは契丹に降伏を主張しましたが、カン・ガムチャンは降伏に反対。重臣たちを説得して王を避難させました。

開京は占領され荒廃しましたが、楊規(ヤン・ギュ)、河拱辰(ハ・ゴンジン)らの活躍もあり契丹は撤退しました。遼は和議を申し入れてきましたが顕宗は拒否しました。カン・ガムチャンはその後、要職を歴任しました。

遼の第3次侵入を撃退

1018年。上元帥になりました。
遼は10万の大軍で高麗に攻めてきました。このとき、カン・ガムチャンは川の水をせき止めました。遼軍が川を渡ろうとするところを水を流して遼軍の進軍を止めました。そこに高麗軍で攻撃をかけ、遼軍に大きなダメージを与えました。遼の陣取る周辺の食料を移動させ井戸も埋めて食料が手に入らない用にしました。

遼軍は食糧不足と毎日のように行う高麗軍の攻撃に疲れ果て撤退しました。鴨緑江(アムノッカン)の亀州平原で撤退途中の遼軍に総攻撃をかけ、勝利しました。

この戦いの後、遼は高麗攻撃をあきらめて和睦しました。

1020年。カン・ガムチャンは官職を退きました。

1030年。再び官職につきました。9代目国王・徳宗が即位すると要職を務めました。

1037年。亡くなります。享年84。

 

ドラマ「千秋太后」では千秋太后と一緒に戦場で戦ったり、親しそうにしています。でも実際の姜 邯賛は千秋太后と同じ戦場にいたことはありませんし(というか千秋太后が戦場に出ることはなかったはずです)。特に親しいというわけではなかったようです。ドラマでの演出なんですね。

姜 邯賛は大国から国を守った武将として現代でも韓国では有名な武将ですね。

 

テレビドラマ

姜邯賛 KBS、1974年 演:チュ・ヒョン
千秋太后 KBS、2009年 演:イ・ドクファ


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