韓国ドラ「王女ピョンガン・月が浮かぶ川」は高句麗時代を舞台に、王族や貴族たちの権力闘争が繰り広げられます。作中に登場する桂婁部族、灌奴部族、消奴部族、絶奴部族、順奴部族といった有力貴族の部族名は、「高句麗五部」と呼ばれる、実際に高句麗の支配者層を構成した五大部族がモデルとなっています。
この記事ではドラマの背景にある歴史、高句麗を支配した「高句麗五部」とはどのような人たちだったのか、その詳細と変遷をドラマとの比較を交えて詳しく紹介します。
この記事でわかること(150文字以内)
- 高句麗を支配した五大部族(高句麗五部)が、どのような歴史を辿ったのかがわかります。
- 各部族(桂婁部、絶奴部、消奴部など)の初期の地位や役割、王族との関係がわかります。
- ドラマ「王女ピョンガン」の登場人物が、どの部族がモデルでどのような設定で描かれているかがわかります。
高句麗五部の概要と変遷
高句麗五部とは
高句麗五部とは、高句麗を形成したいくつかの部族のうち、部族連合の中心となった五つの部族のことです。
これは、紀元3世紀に書かれた中国の史書『三国志』の「魏書・東夷伝」に出てくる涓奴部、絶奴部、順奴部、灌奴部、桂婁部の5部族を指します。
【補足情報】
『三国史記』では、涓奴部、絶奴部、順奴部、灌奴部はそれぞれ、沸流那部、椽那部、桓那部、貫那部と書かれることもあります。
初期の政治体制
部族連合の長は、中国の漢王朝から「高句麗王」の称号をもらっていました。初期のころの「高句麗王」は、独裁的な力を持つ君主ではなく、部族連合の代表のような立場でした。
行政単位としての五部への改編
9代・故国川王(こくせんおう)のころ、この5つの部族は行政的五部(東・西・南・北・中)に改編されました。
さらに中国から伝わった陰陽五行説を取り入れ色にちなんだ名称も使われるようになりました。
- 王族の桂婁部(中、黄部)を中心に、
- 涓奴部(西部、右部、白部)
- 絶奴部(北部、後部、黒部)
- 順奴部(東部、左部、青部)
- 灌奴部(南部、前部、赤部)
という名前で呼ばれることもありました。
部族名の意味
いくつかの部族名には「奴(ノ)」や「那(ナ)」がついています。「那(ナ)」は、河川の辺の土地を意味する「川」や「壤(土)」のような意味です。満洲語の「ナ」とも通じる言葉です。
このことから高句麗初期の「ナ」集団は河川や川辺の土着勢力だった可能性が考えられます。
高句麗五部族の役職
古雛加(コチュガ)
高句麗の王族に与えられる称号です。王族の桂樓部では、各家の嫡統長者を指しました。
桂樓部以前に力があった消奴部や、王の妃を出した妃族の部族長も古雛加と呼ばれます。
大加(テガ)
高句麗五部族の部族長のことです。高句麗の中心勢力である五部族(涓奴・絶奴・順奴・灌奴・桂婁)の指導者(部族長)は、一般に大加と呼ばれました。
五つの部族の詳細
桂婁(ケル)部
部族の概要
桂婁部は高句麗五部の中心になった部族であり、高句麗の王族を輩出しました。黄部、内部とも呼ばれました。
『三国史記』などでは、北扶餘からやってきた東明聖王(朱蒙)の一族が桂樓部であり、高句麗を建国したとされます。
桂樓部はもともと豆満江流域に住んでいました。東明聖王(朱蒙)は卒本扶餘(後に高句麗)を建国後、有力者の娘・召西奴(ソソノ)を娶り、さらに沸流国王・松譲(ソンヤン)を倒して沸流国(消奴部)を征服。これにより、部族集団のリーダーは消奴部から桂樓部に移りました。
桂樓部の大加である王族は、すべて古鄒加(コチュガ)と呼ばれました。
名称の由来
「桂婁」は、高句麗語で溝(みぞ=ほり)や樓(やぐら)を意味します。溝樓とは、つまり城(城塞都市)を意味し、高句麗の「句驪(クリ)」も同じ意味といわれています。
婚姻関係
桂婁部は代々、椽那部(絶奴部)と結婚を重ねました。
【ドラマ「王女ピョンガン」の登場人物】
- 一族の姓は 高(コ)
- 国王・平原王、ウォン王子、コンム王子、ピョンガン王女
- 古雛加コ・ウォンピョ
- コ・ゴン
- コ・サンチョル
王族は桂婁部の設定です。王の家族ではありませんが、コ・ウォンピョやコ・ゴンも祖先が同じ一族です。彼らが王になる可能性は、王家に跡継ぎがいるかぎりかなり低いため、クーデターや陰謀によって王座を狙うという展開が、ドラマの核となっています。
絶奴(チョルロ)部
部族の概要
絶奴部は、提那部、椽那部とも、また行政的には北部、後部、黒部とも呼ばれました。
桂婁部の次に有力な部族であり、王妃は代々絶奴部から選ばれることが多かったようです。そのため、絶奴部は王族に劣らない待遇を受けました。
扶余(プヨ)出身とも言われ、絶老部の大加(部族長)も古鄒加(コチュガ)と呼ばれました。王家の娘(公主)を絶奴部に嫁がせることもありました。
【ドラマ「王女ピョンガン」の登場人物】
- 一族の姓は 延(ヨン)
- ヨン王妃
- ウォルガン
史実通り、国王の正妻は絶奴部出身という設定ですが、ドラマ内ではあまり力がないという設定です。史実では王妃に「椽氏」の名もみえます。
消奴(ソノ)部
部族の概要
涓奴部、沸流部とも、行政的には西部、右部または白部とも呼ばれました。
『三国志・魏書東夷伝』によると、東明聖王(朱蒙)が来る以前にこの地域を治めていた部族です。沸流国の王・松譲(ソンヤン)は東明聖王(朱蒙)と戦って敗れ、配下になった後、桂樓部に主導権を奪われました。
消奴部は宗廟(祖先を祀る施設)を別に持っていました。これは、桂樓部とは異なるという意識があったためと考えられます。元有力部族だったので、消奴部の大加(部族長)は古鄒加と呼ばれました。
故国天川王と消奴部の反乱
179年、故国天川王が即位した際、王になれなかった兄・抜奇(パルギ)が反乱を起こし、消奴部もこれに加わりました。反乱は敗れ、このとき3万の消奴部の民が高句麗を逃れて漢の公孫氏に投降し、沸流川に住み着きました。高句麗王家とは因縁のある部族です。
【ドラマ「王女ピョンガン」の登場人物】
- 一族の姓は 海(ヘ)
- 大加(部族長) ヘ・ジウォル
- ヘ・モヨン(養女)
ドラマでは力のない部族という設定ですが、部族のリーダーの座を奪われて200年近く経っているため、やむを得ない状況でしょう。消奴部族長が史実でも海氏だったかは不明です。『三国史記』では東明聖王(朱蒙)に敗れた沸流王の松譲は松氏と記されています。
順奴(スンノ)部
部族の概要
桓那部とも書かれ、沸流国の一部だったといわれます。行政的には東部、左部または青部とも呼ばれました。
【ドラマ「王女ピョンガン」の登場人物】
- 一族の姓は 温(オン)
- 大加(部族長) オン・ヒョプ
- オン・ダル
順奴族長が史実でも温氏だったかは不明です。オン・ダルのモデルになった「温達(オン・ダル)」は、史実では順奴部の部族長の息子ではなく、所属不明の人物です。
灌奴(クァンノ)部
部族の概要
貫那部ともいいます。沸流国の一部だったといわれ、行政的には南部、前部、赤部とも呼ばれました。
【ドラマ「王女ピョンガン」の登場人物】
- 一族の姓は 陳(チン)
- 大加(部族長) チン・ピル
- チン王妃
- ヒョン王妃
妃を出して権力を握ろうとしているという設定です。灌奴部族長が史実でも陳氏だったかは不明です。
まとめ
韓国ドラマ「王女ピョンガン・月が浮かぶ川」は、ドラマには様々な部族が出てきます。高句麗五部の歴史的な関係性をもとに緊迫感のある物語を作り上げています。
歴史的な背景を知ることで桂婁部の王族としての重みや絶奴部が代々王妃を輩出したプライド、そして消奴部が主導権を奪われた後の屈辱といった、各部族の立場や登場人物たちの行動原理がより深く理解できます。
登場人物たちがこのような歴史的背景を持つ集団に属していると知ればドラマをさらに楽しめると思いますよ。
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