平岡公主(へいこうこうしゅ)は高句麗の王女。
ドラマ「ピョンガン王女」のヒロイン。ピョンガン王女のモデルになりました。
夫の温達との逸話が朝鮮半島最古の歴史書「三国史記」に載っています。
平岡公主は25代高句麗王の平原王の娘。親が決めた結婚相手とは結婚せずに、貧乏な暮らしをしている温達と結婚しました。そして平岡公主の機転で温達は出世、高句麗の武将として活躍して・・・
というお話。
お話といったのは「三国史記」という歴史書に載ってるものの内容があまりにもできすぎて、全てが史実とは思えないから。
でもそういう人がいたから逸話も生まれたのでしょう。
逸話として伝わる平岡公主とはどういう人物なの紹介します。
ちなみに。
「平岡」を現代の韓国語で発音すると「ピョンガン」。
高句麗時代は今の韓国語とは発音が違うので、高句麗時代の平岡公主は「ピョンガンコンジュ」とは発音してないはずです。
日本語の音読み(とくに呉音)は漢やそれ以前の発音を元にしています。意外と「へいこうこうしゅ」の方が当時の発音に近いかもしれませんね。
平岡公主 の史実
いつの時代の人?
生年月日:不明
没年月日:不明
姓 :高 氏
名称:不明
国:高句麗
地位:公主(王女)
称号:平岡公主(へいこうこうしゅ)
父:平原王
母:延王后
夫:温達
子供:なし
彼女は高句麗の25代国王平原王の娘です。
平岡公主
日本では飛鳥時代になります。
おいたち
平岡公主(へいこうこうしゅ)は平原王の娘。
名前の「平岡公主」は父・平原王の別名「平崗上好王」にちなんでつけられたもの。
平岡公主の本名はわかりません。
平岡公主の生年は不明。
父・平原王は太子になったのが557年。在位期間が西暦559~590年。死亡したのは590年。
平岡公主は6世紀の人物のようです。
幼いころはよく泣いていたといいます。
その度に平原王が「そんなに泣いていたらいい所の妻にはなれなぞ。馬鹿の温達に嫁がせるぞ」と言ってからかいました。
温達は王も名前を知ってるほど有名な人物だったようです。温達は老母とともに山で貧しい生活をしていて物乞いをしていました。そのため街の人々は「馬鹿の温達」と言ってからかっていました。
平岡公主が16歳の時。平原王が王族の高家に嫁がせようとしました。
すると、平岡公主は「大王は常日頃、私を温達の妻にすると言ってました。なぜ今になってそれを変えるのですか?私は大王の命令には従えません」と言いました。
平原王は怒って「私の命令に従わないなら私の娘ではない。もう一緒には暮らせない。勝手にするがよい」と宮殿から追い出してしまいます。
平岡公主は何十個もの高価な腕輪を身につけて一人で宮廷を飛び出しました。
平岡公主は温達の家にたどり着くと盲目の老母に温達の居場所を尋ねました。
老母は「私たちの家は貧しく、息子は醜いので、とても高貴な方とはいられません」と言いいました。
「でも、あなたは良い香りがして、手は綿のように柔らかです。天下一の高貴な方ですね」と話し。
「でも私の息子は、空腹のため楡(ニレ)の皮を取りに行ったままなかなか返ってきません」と言いました。
平岡公主が家を出て丘を下ると、ちょうどニレの木の皮を背負ってきた温達と出会いました。
温達も「ここは若い女性がいる場所ではない。狐や死霊の仕業に違いない。私に近づかないでほしい」と強く拒否して振り返りもせずに去っていきました。
翌日。平岡公主は翌朝早くから母子を説得しました。
母は「私の息子は醜いし、私たちの家は貧しいです。あなたの居場所にはふさわしくありません」とあらためて言いました。
でも平岡公主は
「昔の人は言いました。
たった一斗の粟でも臼でついて食べることができる。
たった一尺の布でも縫うことができる」
これは漢の時代に書かれた「史記」にある言葉の引用です。
史記ではこのあと「それなのに兄弟は不仲であった」と続くのですが。平岡公主は違います。
平岡公主は続けました「心が一つになっているのなら、どうして貴賤や富を心配する必要があるのでしょうか?」と続けました。
つまり
2人の心が一つなら身分や財産を気にする必要がない。
ということです。
平岡公主の説得に温達母子も負けて、平岡公主は温達と結婚しました。
平岡公主は持ってきた高価な腕輪を売って、家・田畑・牛や馬、必要な物を買いました。
そして平岡公主は温達に言いました「馬は商人から買うのではなく、国が見放した病気で痩せた馬をもらってきてください」
温達はそのとおりにしました。
そして平岡公主は熱心に馬を世話したので馬は太って強くなりました。
温達はその馬に乗って北周との戦にでかけ、大きな功績を立てて出世しました。
王も温達の活躍に娘婿と認めました。
時が変わって陽岡王(平岡公主の兄)の時代。
590年。温達は阿丹城で新羅と戦って戦死しました。温達は棺に入れられました。棺を移そうとしても動きませんでした。
平岡公主がやってきて棺を撫でながら「すでに死は決まっているのです。帰りましょう」と言ってやっと棺を移して埋葬することができました。
その話を聞いた陽岡王は深く悲しみました。
以上。
その後、平岡公主がどうなったのかはわかりません。
「三国史記」の「温達伝」に載っているお話なので平岡公主そのものの話は中途半端になってます。
平岡公主と温達は実在したの?
「馬鹿の温達と平岡公主」の物語は民間伝承にもあるようですが。内容は「三国史記」の「温達伝」と変わりません。
「温達伝」は歴史書に載っているというものの。内容は空想話のようで、すべてが実話とは思えません。
高麗時代に三国史記を書いた編集者が民間伝承をまとめて載せたのでしょう。
でも、伝承のもとになった出来事はあったかもしれません。
有力一族でない青年が王女と結婚した。
王女と結婚した婿は戦いで活躍して有名になった。
ところが婿は新羅との戦いで戦死してしまった。
それを悲しんだ人々が物語をドラマチックにして語り継いだのかもしれません。
実際にはそれほど低い身分でもなかった人でも。語り継がれていく間に話に尾ひれがついて、極端に貧乏な人だったことにされることはあります。
人々の願望がそうさせたのでしょう。
テレビドラマ の平岡公主
天下無敵イ・ピョンガン 2009年、韓国KBS 演:ナム・サンミ 役名:ピョンガン王女(イ・ピョンガンの前世)
ドラマのほとんどは現代が舞台。ヒロインのイ・ピョンガンの前世がピョンガン王女という設定。ピョンガン王女は夫のオンダルを叱咤激励?して戦場にかりたてる怖い妻として描かれます。
ピョンガン王女・月が浮かぶ川 2021年、韓国KBS 演:金所泫 役名:ピョンガン王女
ドラマのピョンガン王女は逸話にある平岡公主とはかなり違います。
伝承の平岡公主は子供のころは泣き虫でしたが、高い教養を持ち知略で夫をコントールして出世させました。
ドラマのピョンガン王女は王になるのに憧れる活発な王女。子供のころ刺客に襲われて行方不明、記憶を失って暗殺者集団に育てられました。王室に戻った後はオンダルと共に高句麗を守る勇ましい戦士として描かれます。知恵で人生を切り開いていく伝承の平岡公主とは違い、武力で活躍するヒロインになっています。
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