韓国時代劇「奇皇后」にはワン・ユという王様が登場します。
しかしワン・ユという王様は実在しません。ドラマの設定と同じ時期に高麗の王様だったのは忠恵王。歴史上は淫らな行いをして人々を困らせた酷い王様だと記録されています。
設定ではワン・ユの父は忠粛王なので忠恵王と同じです。
ワン・ユと忠恵王は性格はかなり違いますが、意外と共通点があります。
歴史上の忠恵王について紹介します。
実在した忠恵王の史実
いつの時代の人?
生年月日:1315年
没年月日:1344年
在位期間:
1330~1332年
1339~1344年
名前:王禎(ワン・ジョン)
称号:忠恵王
モンゴル名:宝塔実利
父:忠粛王
母:恭元王后
妻:貞順淑儀公主
子供
彼は高麗の28国王です。一度退位した後、再び王に成りました。
日本では鎌倉時代~室町時代の人になります。
おいたち
1328年。王世子となり元で人質として暮らしました。
父の忠肅王は王暠(ワン・ゴ)に命を脅かされていました。忠肅王はワン・ゴを追放した後、1330年に世子の禎に譲位しました。
ところが当時15歳と若かった王禎は、政治に興味を持たず狩りをしたり遊び暮らしていました。
1332年。あまりにもの素行の悪さに元は王禎を配位して忠恵王を復位させました。
王禎は元に呼び戻されました。
1339年。忠肅王が死去すると王暠を王にしようと曺頔らが反乱を起こしましたが鎮圧されました。
再び王禎が高麗王になりました。ところが、荒々しい性格はなおってませんでした。
即位したその年の5月には父の後宮・壽妃權氏、8月には父の第3王妃・慶華公主を酒によった勢いで襲い愛妾にしました。
美人なら近親や既婚者、身分に関係なく襲って強姦しました。
王禎は性欲が強くなる薬をつかっていたといいます。王禎と関係をもった女性には淋病(感染症)にかかることが多かったといいます。
1343年。周囲の反対を押し切って新しい宮殿を建てました。王禎は乱暴をはたらくだけでなく、重い税をかけたり、民の土地や奴婢を略奪したりしました。そうして集めた財産は自分の楽しみのためだけに使いました。
さすがに王禎の行いは元でも問題になったようです。1344年。王禎は廃位になり元につれていかれました。流刑地にいく途中で死亡したといいます。毒薬を飲んだともいいます。
忠恵王とは違いすぎるワン・ユ
忠恵王はドラマのワン・ユとは全く正反対の酷い人物でした。
忠恵王がワン・ユのモデルになったと紹介されることもあります。モデルにしたのは確かでしょう。
でも性格は別人です。
確かに忠恵王と奇皇后も同じ年代の人です。
時代設定や元の人質になったとか2回王になったという境遇が共通しているというだけなのです。
忠恵王と似た境遇にありながら大幅に脚色されたのが奇皇后に登場するワン・ユなんですね。
コメント