中国ドラマ「宮廷恋仕官~ただいま殿下と捜査中~」に登場する西平公主(さいへいこうしゅ)はモデルになった人物がいます。
9世紀の唐に実在した文宗皇帝の娘・西平公主です。
ドラマ「宮廷恋仕官」のなかでも文宗皇帝の娘という立場で登場します。
歴史上の西平公主は資料が少なくどのような人物なのかよくわからない部分が多いですが。
ドラマ「宮廷恋仕官」ではうまくアレンジされて物語の重要な人物として登場します。
史実とドラマの西平公主はどのような人物なのか紹介します。
歴史上の西平公主
西平公主(9世紀~?)
唐の第14代皇帝・文宗 李昂の娘。
文宗には4人の娘がいました。その中の一人です。
生没年、本名は不明。
生母は不明。
結婚したかどうかの記録はありません。
記録には「西平公主」という呼び名しか記録されていません。
ほとんど記録がないのは幼くして死亡したからとも言われます。詳しいことはよくわかりません(成人していたら誰と結婚したかの記録があるのが普通)。
ドラマ「宮廷恋仕官」の西平公主
ドラマ「宮廷恋仕官」の西平公主は複雑な立場で。ドラマの中では直接描かれないようなことも細かく設定されています。
その伏線がドラマの中での事件に関わっていたり西平公主や家族がトラブルに巻き込まれる原因にもなっています。
ドラマ「宮廷恋仕官」の設定を紹介しましょう。
文宗皇帝の時代
宦官の派閥の北司と宰相を中心にした派閥の南衙勢が対立していました。
西平公主は文宗皇帝の娘。
母は黔中道節度使 冷沛山の妹。冷沛山の妹が文宗の側室になり西平公主が誕生しました。
冷沛山は西平公主の伯父。
西平公主の母の実家は有力な西南冷氏。そのため宦官たちは彼女を警戒していました。
剣南節度使 陳瓔之の夫人とは親友です。
御史の蕭恒と結婚。
835年。蕭瑾璃がお腹の中にいるときに「甘露の変」が起きました。
「甘露の変」では神策軍を配下に持つ宦官勢力が勝って宰相や南衙勢が壊滅。多くの者が粛清されたり処分を受けました。このとき蕭恒も行方不明になりました。
「甘露の変」の後、蕭瑾璃たちが誕生。
西平公主は蕭恒の帰りを待ちながら子どもたちを育てます。
蕭瑾璃は成長後、冷沛山のもとで軍に入りました。
蕭瑾瑜は三法司の首領になり「安郡王」の称号をもらいました。
実際には蕭瑾璃が実子。蕭瑾瑜は陳瓔之夫妻の息子です。陳瓔之夫妻は事件に巻き込まれ死亡。親友の陳夫人の生んだ子を引き取り「双子」ということにして育てました。それが蕭瑾瑜です。
冷月は冷沛山の孫娘。西平公主にとっても姪になります。
冷月の両親は長安で「甘露の変」の犠牲になったので西平公主が冷月も育てました。
宣宗皇帝の時代
宣宗皇帝の時代になると皇帝の努力もあって宦官の力は弱まって文宗時代のような強さはなくなりました。
宣宗は朝廷の役所に三司官を設置。西平公主の息子・蕭瑾瑜が刑事事件を一手に引き受けることになりました。
「甘露の変」から18年後。
「宮廷恋仕官」はこのあたりから物語が始まります。
安郡王・蕭瑾瑜は現在の神策軍の首領で宦官の秦琮側とは対立しています。
文宗時代の勢いはないとはいえ。宦官勢力はいまだに神策軍の武力をもち、権力を握るのを諦めていません。
そしてドラマは宣宗・西平公主・蕭瑾瑜の勢力対、宦官たちの争いに。そして謎の「昌王」の勢力も加わり複雑な事件へと発展します。
ここに紹介した内容は一部史実と重なる部分もありますが。ドラマの設定なので史実そのものではありません。
物語の重要なキーワードになっている「甘露の変」とは文宗皇帝の時代に実際に起きた事件です。ドラマの登場人物もこの事件で人生を狂わされた人が多いという設定です。
実際にきた甘露の変がどのような事件だったかはこちらを御覧ください。
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