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蕭承煦(しょうしょうく)は実在する?モデルになったドルゴンとは?長安賢后伝

長安賢后伝 2 ドラマ人物

中国ドラマ「長安賢后伝」でヒロインを愛しながらも一緒になれない蕭承煦(しょう しょうく)にはモデルになった人物がいます。

それが清朝の摂政王ドルゴンです。

ドルゴンはヌルハチの十四男。
ホンタイジの異母弟です。

清朝の人物がモデルになってるのは「長安賢后伝」が「孝荘秘史」のリメイク作品だから。「孝荘秘史」は後金から清朝の時代が舞台でした。「孝荘秘史」を唐のような中華王朝に置き換えたドラマが「長安賢后伝」です。

蕭承煦のモデルになったドルゴンとはどのような人物だったのか紹介します。

 

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ドラマ「長安賢后伝」の蕭承煦(しょう・しょうく)とは

演:成毅(チョン・イー)
子役:周奧運

蕭尚遠の第九王子→燕王→大晟摂政王→開義仁皇帝(追封)

蕭尚遠と沐王妃の息子。
蕭承軒の同母兄弟。蘇玉盈、可蘭の夫。

賀蘭茗玉とは相思相愛でした。

しかし父の死後、母は殉葬されました。そして兄の蕭承睿が即位。不審に思いつつも尊敬する兄・蕭承睿を信じる蕭承煦。
その後、蕭承耀の裏切りで命を落としかけたり、賀蘭茗玉を奪われてしまいます。ようやく戻った蕭承睿でしたが、すでに茗玉は蕭承睿の側室になっていました。

戦場から戻った蕭承煦は母の死の真相と父の遺言を知ったことから復讐のため大晟国の権力を得ようとします。

蕭承睿の死後、茗玉の子・蕭啓元が即位。

蕭承耀は摂政王になりますが。蕭啓元や茗玉の間に溝ができてしまいます。

 

蕭承煦(しょう・しょうく)のモデル・ドルゴンとは?

ドルゴンは後金から清朝初期の人物。
日本では江戸時代初期になります。

ドルゴンは1612年。後金のハン(王)ヌルハチの十四男として生まれました。
「長安賢后伝」ではヌルハチは「蕭尚遠」になります。

母は第四王妃のアバハイです。
「長安賢后伝」では「沐王妃」ですね。

1626年。ヌルハチが死亡するとヌルハチの遺言で母アバハイは殉葬されました。その後、新しいハンになったのはホンタイジです。
ホンタイジはもちろん「蕭承睿」

ドルゴンが次の王になる予定だった?

ホンタイジが遺言を捏造してアバハイを殺した。
ヌルハチはドルゴンを後継者にしようとしたけどホンタイジが遺言を握りつぶした。などの噂話は昔からありました。

ドラマ「長安賢后伝」というか「孝荘秘史」もこの説を採用していますね。

ヌルハチには4人の正妻がいました。でもヌルハチの晩年には3人はすでに他界。生きていたのはアバハイだけです。

アバハイにはアジゲ、ドルゴン、ドドの三人の息子がいました。ヌルハチが亡くなった時、アバハイの子で成人して独立していたのはアジゲだけ。ドルゴンとドドはまだ成人していませんでした。

アジゲはすでに実戦に参加して手柄もたてていました。ヌルハチもアジゲをかわいがっていました。ここでアバハイが我が子を即位させようと思ったらアジゲが第一候補になるはずです。

それに既に他界している正妻の子にはダイシャンやホンタイジがいます。彼らは後金の建国に十分貢献しています。

当時の状況を考えれば、血筋もよく実績のある兄がいるのに若くて実績のないドルゴンが次のハンになるのは考えられません。

実際にはホンタイジとドルゴンは20歳の年の差があるので競争相手にもなりません。

「ドルゴンが摂政王になった」という結果から逆に組み立てて作ったお話だからそうなってしまうのですね。

有力武将になったドルゴン

ホンタイジのもとでドルゴンは有能な武将に成長しました。数々の戦場で手柄をたてホンタイジが亡くなる頃には最も有力な皇族の一人になりました。

1643年。ヌルハチ同様ホンタイジは後継者を決めずにこの世を去りました。君主に後継者を決める権利はなく王族会議で新しい君主を決めるのが満洲人の習慣だったからです。

会議ではドルゴンとホンタイジの長男ホーゲが有力候補になりました。

結局、二つのグループが対立すると清が分裂してしまうのでホンタイジの九男フリン(順治帝)が即位しました。順治帝はわずか6歳でした。

順治帝をモデルにしてるのが「賀蘭茗玉」の息子「蕭啓元」

幼い皇帝を支えるためドルゴンが摂政になりました。

1644年。北京が李自成たち順軍に攻め込まれ。明の最後の皇帝・崇禎帝が紫禁城の裏山で首を吊って自殺。明は滅亡しました。

「明」の「崇禎帝」は「長安賢后伝」では「梁」の「明徳帝」になります。

その後、明から裏切り者が出たこともあり。ドルゴンが清軍を率いて山海関を突破して北京を占領。順治帝が紫禁城の主になりました。

やがてドルゴンは一緒に順治帝を支えていたホーゲやジルガランを排除。順治帝はホーゲやジルガランをかばいますが、ドルゴンを止めることはできません。

権力を手にしたドルゴンは「摂政王」「叔父摂政王」「皇父摂政王」などと名のっています。だんだん傲慢になっているようです。

ドルゴンは狩りの最中に死亡しました。

ドルゴンの死後。押さえつけられていた反ドルゴン勢力の不満が爆発。一番不満が溜まっていたのが順治帝です。ドルゴンは罪人にされ、墓は破壊され。ドルゴンの配下だった者も粛清されました。

 

ドルゴンとブムブタイは再婚した?

ホンタイジの死後。ブムブタイの子フリンを次の皇帝にする代わりに、ドルゴンとブムブタイは結婚した。という話があります。

ブムブタイをモデルにしたのが「賀蘭茗玉」。

清朝の記録にはどこにも二人が再婚したとは書いてません。

ドルゴンが「皇父摂政王」と名乗ったのでそういう噂ができたのでしょう。称号として名乗るのと実際に皇太后と再婚するのは違いますし。ドルゴンが皇太后の夫として扱われた形跡はありません。

満洲人の支配を嫌う漢人や朝鮮では「ドルゴンと皇太后が結婚した。前王の妻を娶るのは野蛮人の野蛮な習慣だ」と悪意を込めて噂を広めていたようです。

確かに、遊牧民社会では新しい王が前の王の妻や側室を娶る習慣はあります。女真族にもその習慣はありました。でもホンタイジが禁止しました。

ドルゴンの死後。順治帝はドルゴンを罪人として扱い称号を剥奪、墓を壊したりしています。でもブムブタイは全く反対していません。夫婦や恋人関係ならブムブタイは順治帝の行いに文句を言うはずですが。そんな記録は一切ありません。

ドルゴンやホンタイジなど清朝にはこのような噂話が多いです。様々な原因で作られた作り話は現代まで残りました。

今でもよくドラマや小説のネタになります。なんといっても作り話のほうが面白いですからね。ドラマにするならこれほどいい材料はありません。

そうした噂話を集めて作ったのが「孝荘秘史」というドラマ。それを架空王朝におきかえたのが「長安賢后伝」です。

 

・ドルゴンのさらに詳しい説明はこちら。

 

・中国ドラマ「長安 賢后伝」登場人物紹介キャストまとめ

 

 

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