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ホジュンを推薦した重臣ソンインチョルのモデル 柳希春とは?

朝鮮重臣 5 李氏朝鮮の重臣

柳希春(ユ・ヒチュン)は16世紀の李氏朝鮮の政治家。

ドラマでもおなじみの許浚(ホ・ジュン)を内医院に推薦した人です。

柳希春がいなければ許浚は内医院で医官になってなかったかも知れません。

韓国ドラマ「ホジュン・宮廷医官への道」「ホジュン・伝説の心医」に登場するソン・インチョル(成仁哲)のモデルになりました。

ドラマではホジュンは科挙に合格して医官になったことになってるので、ソン・インチョルの役目が減ってしまったのですが。そのぶん、他の部分で出番が増えています。

ドラマ「ホジュン」のソン・インチョルとモデルになった柳希春(ユ・ヒチュン)を紹介します。

 

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ドラマ「ホジュン」のソン・インチョル(成仁哲)

ドラマ「ホジュン・宮廷医官への道」「ホジュン・伝説の心医」はどちらも原作「小説 東医宝鑑」が同じなので登場人物も同じです。

ドラマのソン・インチョルは右議政にまでなった重臣。一度、朝廷を離れて昌寧で暮らしていました。

このときソン・インチョルの妻が中風になり山陰にいる名医ユ・ウィテの治療を求めました。でもユ・ウィテはホ・ジュンを派遣。

ソン・インチョルは最初はユ・ウィテが来ないことに起こりましたが、息子の勧めもありホ・ジュンに治療を任せました。その結果、妻が立てるように回復。すっかりホ・ジュンを信頼したソン・インチョルは彼に褒美を与え、内医院の推薦状を書きました。

ところがソン・インチョルがホ・ジュンに渡した推薦状はユ・ウィテに燃やされてしまいます。

その後、ホ・ジュンは科挙に合格して医官になりましたが、恵民署に配属されました。

ソン・インチョルも朝廷に復帰。左議政になりました。内医院の都提調(トジェジョ 正一品相当)を兼務。ホ・ジュンと再開。朝廷内におけるホ・ジュンの理解者のひとりになりました。

宣祖の後継者争いが激しくなったときは光海君に味方しました。

 

柳希春(ユ・ヒチュン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1513年
没年月日:1577年

名前:柳(ユ)
称号:希春(ヒチュン)
本貫:善山
字:仁中(インジュン)
号:美岩(ミアム)

 

父:柳桂鄰
母:耽津崔氏
妻:洪州宋氏

子供:柳景濂

彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の時代です。

日本では室町時代の人になります。

 

1517年(中宗8年)。全羅道海南郡出身で柳希春(ユ・ヒチュン)が誕生。

両親は不明。

中宗時代の代表的な儒学者で政治家の金安国(キム・アングク)の弟子になり、教えを受けました。金安国は「東医宝鑑」ので名医・許浚(ホ・ジュン)の母方の親戚です。

1538年(中宗33年)。科挙の別試文科丙科に合格。

礼曹参判、工曹参判、吏曹参判などを務めました。

東宮(後の仁宗)の師父を務めたこともあります。

 

明宗の時代・尹元衡によって流罪になる

明宗の時代になると明宗の母:文定大妃の一族が力を持ちました。

大尹派(仁宗の母方の派閥)と小尹派(明宗の母方の派閥)が対立、文定大妃を支持する小尹派が勝利。大尹派は多くが処分されました。

柳希春は仁宗の師父だったこともあり、大尹派とは近い関係でした。そのため大尹派と小尹派の争いに巻き込まれます。文定大妃の弟・尹元衡(ユン・ウォニョン)によって済州島に流罪になりました。この事件を乙巳士禍といいます。

 

宣祖の時代

1567年。明宗が死去。宣祖が即位しました。
宣祖は16歳。明宗の妃・仁順大妃 沈氏が垂簾政治を行いました。

宣祖と仁順大妃は明宗時代に追放された臣下を釈放しました。

柳希春も釈放されて戻ってきます。

柳希春は副提学·大司諫などを務め。

吏曹参判などを務めました。

 

許浚との出会い

時期は不明ですが柳希春が副提学(正三品)だったとき、妻の宋氏が病気になったので医師の許浚(ホ・ジュン)を漢城府の自宅に呼んで治療を受けさせました。

柳希春がいつ許浚と知り合ったのかは不明。

柳希春の師匠の金安国は許浚の母方の親戚なので、金安国の関係者から許浚の評判を聞いたのかも知れません。

1569(宣祖2年)。許浚は婦人の病気を治しました。許浚の腕前に感心した柳希春は 吏曹(正二品)の洪曇(ホン・ダム)に許浚を紹介。

吏曹は人事担当の役人です。

許浚は内医院の医官になりました。

ドラマでは許浚はソン・インチョルの推薦状をもらったのに推薦で内医院に入ることができず。科挙を受けて合格していますが。許浚が科挙に合格したという記録はありません。

1570年(宣祖3年)には許浚は柳希春の病気も治し、漢城の高官の間にも許浚の名声が広まりました。

その後、柳希春は引退して故郷の全羅道海南郡に戻りました。

1577年。死去。

死後、左賛成に追贈されました。

ドラマのソン・インチョルは先の左議政の設定ですが。モデルになった柳希春は左議政になったことはありません。左議政よりワンランク低い左賛成になったのも死後です。

一部、ネット上で柳希春が嬪宮の父と書いてあるものがありますが。嬪宮の父は文化柳氏の柳自新。柳希春ではありませんし、柳希春は善山柳氏なので氏族も違います。嬪宮柳氏の一族とは関係ありません。

 

テレビドラマ

ホジュン・宮廷医官への道 1999年、MBC 演:ピョン・ヒボン
ホジュン・伝説の心医 2011年、MBC 演:キム・ビョンギ

 

 

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