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洪鳳漢(ホン・ボンハン)恵慶宮洪氏の父は英祖と正祖の信頼を得た重臣

5 李氏朝鮮の重臣

洪鳳漢(ホン・ボンハン)は恵慶宮洪氏の父親です。恵慶宮洪氏は正祖(イ・サン)の母。
つまり正祖の祖父になります。

思悼世子の義父として支えましたが、最後は死罪になるのを止めることが出来ませんでした。

その後、世孫(イ・サン)の保護者となり王になるまで支えました。英祖にも協力的で信頼を得ていたといいます。

史実の洪鳳漢(ホン・ボンハン)はどんな人物だったのか紹介します。

 

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洪鳳漢(ホン・ボンハン)の史実

いつの時代の人?

生年月日:1713年
没年月日:1778年

名前:洪鳳漢(ホン・ボンハン)
雅号:翼翼齋
本貫:豊山洪氏
派閥:老論派
父:洪鉉輔
母:任氏
妻:韓山李氏

子供
恵慶宮洪氏

彼が活躍したのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に21代英祖~22代正祖の時代です。

日本では江戸時代の人になります。

恵慶宮洪氏の父親です。

左議政をつとめた洪麟漢は異母弟になります。

 貞明公主(ジョンミョンコンジュ)と洪柱元(ホン・ジュオン)の5代あとの子孫です。洪国栄(ホン・グギョン)も遠い親戚になります。

父の洪鉉輔は大司憲などを歴任した重臣。生母の任氏は若くして亡くしました。父は再婚し、継母から弟の洪麟漢(ホン・インハン)が産まれています。

1735年。成均館の学生になりましたが、成績がよくなかったので5年間は科挙の受験が許されませんでした。さらに父が死亡して3年の喪に服したため、8年間科挙に受験できませんでした。

父の喪があけると、蔭補(推薦)で下級役人の参奉に採用されました。

1743年。娘が世子嬪に選ばれました。英祖の命令で娘に小学、内訓などを教えました。

1744年。科挙に合格して史官になりました。
その後、いくつかの役職をヘて廣州府尹になりました。

思悼世子を巡って重臣たちが対立

1752年。娘婿の思悼世子が代理聴政を行うようになると老論派内部でも意見が分かれます。

洪鳳漢は思悼世子を助けて力を得ようとしました。しかし金尚魯(キム・サンノ)らは思悼世子と反発していました。

15歳と若い思悼世子は義父の洪鳳漢に悩みなどを相談することがよくあったようです。思悼世子に頼まれて、国の制度を書いた本や朝鮮の地図を贈ったこともありました。思悼世子から信頼を得ていたことがわかります。

1755年。句管堂上、平安道観察使などを歴任。

1759年。世孫師になりました。

1761年。思悼世子が王に無断で平壌に行くという事件が発生。
洪鳳漢は英祖にばれないように隠しましたが、貞純王后の兄・金在魯(キム・サンノ)が知り英祖に伝えました。

この事件で領議政の李天輔、閔百祥(ミン・ベクサン)などが責任をとって自殺しました。

その後、洪鳳漢は領議政になりました。老論の非外戚勢力の洪鳳漢への攻撃は更に激しくなりました。

思悼世子の死

さらに、思悼世子が人を殺した、尼を宮中に入れた、謀反を企んでいるなどの思悼世子の問題行動を非難する訴えが起こりました。

英祖は謀反は信じませんでしたが、他の問題行動は世子も認めたため激怒します。

さらに思悼世子の実母・映嬪李氏が、世子の非行を訴え罰するように訴えると英祖も世子を呼び出して自害を命じました。思悼世子は床に頭を打ち付け許しを得ようとしますが英祖の怒りは収まりません。その場にいた洪鳳漢も止めませんでした。

英祖の怒りは凄まじく止めることが出来ないと思ったのでしょうか。普段から娘の恵慶宮洪氏が暴力をふるわれているなどの訴えを聞いていたので、かばうつもりもなくなっていたのでしょうか。

1762年。思悼世子が死罪になりました。

思悼世子の問題行動を隠したとして洪鳳漢や申晩を批判する上訴が殺到しました。洪鳳漢、申晩は彼らを弾劾して流刑にしました。

思悼世子の死後、英祖は自ら祭祀をおこないます。息子が悪くで殺したわけではないようです。洪鳳漢も祭祀に出ることを申し出て洪一族も思悼世子の棺桶を引っ張って祭祀に参加しました。

世孫の保護者になる

英祖は世孫を後継者にしました。洪鳳漢は世孫の祖父として英祖の信頼を得ました。老論派では思悼世子に批判的な僻派(ピョク派)と同情的な時派に分裂しました。洪鳳漢は世孫の保護者として老論僻派の攻撃から世孫を守りました。

英祖は派閥を公平に扱う蕩平策を実施していました。洪鳳漢は蕩平策を支持しました。

1768年。鬱陵島の史跡を調査して本を作りました。朝鮮が領有権を主張する根拠になります。

1771年。韓鍮の弾劾を受けて辞任。
鄭厚謙(チョン・フギョム)や金亀柱(キム・ギジュ)の訴えで、思悼世子の庶子・恩彦君と恩信君を援助していることが問題にされました。

英祖からは世孫のかわりに王につけるつもりではないかと疑われました。英祖は恩彦君と恩信君を流刑しました。

その後、洪鳳漢は朝廷に復帰しています。

正祖即位後

1776年。正祖が即位した後、鄭履煥(チョン・イファン)から弾劾をおこされます。

洪麟漢とともに思悼世子を陥れ権力を乱用したというのです。

しかし正祖が洪鳳漢をかばったため罪には問われませんでした。

洪麟漢が貞純大妃派になり正祖と対立したおかげで洪鳳漢はたびたび批判にされされましたが、そのたびに正祖がかばいました。

洪麟漢は弾劾を受けて死罪になります。

1778年。洪鳳漢も死亡しました。享年66。

テレビドラマ

大王の道 1998年 MBC 演:ハン・インス
ホン・グギョン 2001 演:パク・グァンナム
イサン 2008年 MBC 演:シン・チュンシク
ペク・ドンス 2011年 SBS 演:バク・イルギュ
秘密の扉 2014年 SBS 演:キム・ミョングク

 

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