1 李氏朝鮮

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1.3 李氏朝鮮の王子・王女

和緩(ファワン)翁主は思悼世子の迷惑行為に悩まされ正祖と対立した?

和緩(ファワン)翁主は李氏朝鮮国王・英祖の娘です。英祖がとくに可愛がっていた娘だといわれます。 ドラマでは思悼世子を陥れたり、世孫(正祖:イ・サン)と対立する悪女として描かれています。しかし当時の記録を見るとむしろ思悼世子の行いに迷惑して...
1.4 李氏朝鮮の重臣

趙泰耉(チョ・テグ) 代理政聴を命がけで防いだ少論のリーダー

趙泰耉(チョ・テグ)は李氏朝鮮の重臣です。19代粛宗~20代景宗の時代に活躍し臣下としては最高位の領議政になりました。 少論派に所属して景宗を支持して老論と対立しました。しかし極端な処分をもとめる少論の強硬派とは違う意見の持ち主でした。 ...
1.4 李氏朝鮮の重臣

李頤命(イ・イギョム) 延礽君を支持した老論4大臣の一人

李頤命(イ・イギョム)は金昌集(キム・ジャンチプ)、趙泰采(チョ・テチュ)、李健命(イ・ゴンミョン)らと並ぶ老論4大臣の一人。 王の後継者に延礽君を支持して少論派と対立しました。 史実の李頤命はどんな人物だったのか紹介します。 李頤命...
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1.2 李氏朝鮮の妃・側室

宣懿王后魚氏:20歳で大妃、薄命だった景宗の妃

宣懿王后魚氏(ソニ王妃オ氏)は李氏朝鮮王朝20代景宗の妃です。 14歳のとき当時世子だった景宗の2人目の妃になりました。景宗が短命だったため20歳で大妃になってしまい若くしてこの世を去りました。 史実の宣懿王后はどんな人物だったのか紹介...
1.4 李氏朝鮮の重臣

李光左(イ・グァンジャ)英祖を支えた少論の穏健派

李光左(イ・グァンジャ)は李氏朝鮮の重臣。少論とよばれる派閥の実力者でした。当時の少論にも様々な考えの人がいておもに穏健派と強硬派に分かれていました。李光左は穏健派になります。英祖時代には少論穏健派のリーダーでした。 史実のどんな人物だっ...
1.4 李氏朝鮮の重臣

閔鎭遠(ミン・ジノン)英祖と対立と和解を繰り返した老論の過激派

閔鎭遠(ミン・ジノン)は李氏朝鮮王朝の粛宗から英祖時代の重臣です。 名前が表によく出るのは英祖時代ですが、景宗時代から老論派の実質的なリーダーでした。 史実の閔鎭遠はどんな人物だったのか紹介します。 閔鎭遠(ミン・ジノン)の史実 い...
1.3 李氏朝鮮の王子・王女

密豊君(イ・タン)は李麟佐の反乱で担がれ処刑された

密豊君(ミルプングン)李坦(イ・タン)は昭顕世子の子孫です。 密豊君(ミルプングン)は景宗の時代に外交使節になって朝廷のために働いていました。しかし英祖の時代になって少論派の李麟佐(イ・インジャ)が反乱を起こします。密豊君は李麟佐たちに担...
1.4 李氏朝鮮の重臣

金一鏡(キム・イルギョン)は老論派と激しく対立した少論の強硬派

金一鏡(キム・イルギョン)は李氏朝鮮の重臣。19代粛宗から21代英祖の時代に活躍しました。強行的な少論派で何度も老論派と対立しました。 史実の金一鏡はどんな人物だったのか紹介します。 金一鏡(キム・イルギョン)の史実 いつの時代の人?...
NO IMAGE 1.2 李氏朝鮮の妃・側室

恭嬪金氏・宣祖の寵愛をうけた光海君の母

恭嬪金氏(ゴンビンキムシ)は光海君と臨海君の母親です。 仁嬪金氏とともに宣祖の寵愛を争いました。しかし光海君を産んで2年後に死亡したため、ドラマに登場することはあまりありません。 史実の恭嬪金氏はどんな人物だったのか紹介します。 恭嬪...
1.5 李氏朝鮮の人々

楊禮壽(ヤン・イェス)、御医をつとめた許浚(ホ・ジュン)の上司

楊禮壽(ヤン・イェス)は李氏朝鮮時代の医者。 ドラマでは許浚(ホ・ジュン)の上司として出てくることが多いです。 明宗、宣祖の信頼も厚く御医をつとめました。 許浚の著作として有名な「東医宝鑑」は最初は楊禮壽を中心としたプロジェクトチーム...
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