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暗行御史(アメンオサ)朝鮮王朝で不正を暴く役人の過酷な仕事とは?

朝鮮の人々 6 李氏朝鮮の人々

暗行御史(アメンオサ)は李氏朝鮮時代に存在した地方の役人を調べて不正を摘発する役人。

韓国ドラマでは「水戸黄門」のように不正を暴いて処罰する正義の味方として描かれます。

でも現実はかなり過酷な仕事だったようです。

ドラマで描かれる美化された暗行御史ではなく、実在の暗行御史はどのような仕事だったのか紹介します。

 

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暗行御史(アメンオサ)とは

 

役目

暗行御史は国王直属の役人。普段は正体を隠して行動して地方役人を監視、必要なら免職させます。民の生活を見て王に報告する役目もありました。

「暗行」の名前があるように正規の役人ではありません。暗行御史とは別に正規の御史もいます。

歴史

朝鮮王朝は明朝をモデルに組織が作られました。太祖の時代から役人を監督する監察の役割はありました。身分を明かして行動する正規の役人です。交通が不便な地方ということもあり、中央の朝廷が地方の役人の不正を監督するのは難しいので新しい役割が誕生しました。

「暗行御史」の名が「朝鮮王朝実録」に登場したのは1555年(明宗5年)ですが、1509年(中宗4年)のころに派遣されたのが実質的な「暗行御史」の始まりと言われます。

でも反発も多く、なかなか派遣できませんでした。暗行御史の制度が派遣が多くなるのは16代 仁祖の時代からといわれます。

肅宗から正祖の時代が最も暗行御史の派遣が多かったようです。

高宗33年(1896年)に報告が出されたのが公式的な最後の記録。このときの暗行御史は74歳の正二品チャン·ソクリョンでした。

 

どんな人が派遣される?

「英祖実録」によると暗行御史は三司と侍従の中から政治行政に熟練した者を王が選ぶのが原則とされます。

捕物よりも不正を調べるのが役目なので行政に詳しい文官が派遣されます。

不正役人を取り締まる都合上。地方の役人よりも位が上の人が選ばれることが多いです。

「死亡する可能性が高いので若い役人が選ばれる」というのは正しくありません。40代、50代の暗行御史もいます。

正祖の時代に若い役人が派遣されることもありましたが、未熟なために失敗することもあり戻ってきて王から叱られてもう一度派遣されるといったこともありました。

暗行御史に任命されるのは王から信頼されているということなのですが。過酷なために嫌がる人もいました。

任命はいきなり

暗行御使は王が直接任命しました。任命を受けると、封書、事目、馬牌、鍮尺が箱や包みに入れれ使者を通して渡されました。

都の門を出ると封書を開封。「お前はこれから暗行御史だ。 〇〇道の□□村に行って首長と官吏たちの動きを監視し報告せよ」といった王命が書かれているので指示された場所に行き、任務を行います。

開封するまで赴任先はわかりませんし、任命を受けるとすぐに現地に行かなければなりません。

 

暗行御使の四点セット

暗行御使が王から与えられる道具はこのとおり。

封書:王からの任命書。

事目:派遣される場所、目的が書かれた指示書。事目が暗行御使に与えられるのは肅宗の時代から。それまでは封書が指示書を兼任していたようです。正祖の時代には内容が詳しくなって冊子のようになっていました。

馬牌(マペ):後で詳しく紹介します。

鍮尺:地方の度量衡が正しいか図るための真鍮製の定規。

四点セットの一つでも失うと辞職です。当然、王の信頼を失いその後の出世にも響きます。

 

馬牌(マペ):暗行御使のシンボル

ドラマで暗行御使が水戸黄門の印籠のようにかざしている丸い物が馬牌(マペ)。

尚書院が発行した真鍮製の円盤。表面には馬の絵があります。

本当の使いみちは地方に行く役人が駅で馬や駅卒を調達するときに使います。

馬牌に刻まれた馬の数で調達できる馬の数が決まっていて、馬の数は1~10。馬が10頭の馬牌は王専用。役人が使う馬牌は馬の数が少ないです。

本来は馬を調達するためのものですが。これを持っているのは「中央から派遣された役人」なので役人であることを証明する身分証の役目もあります。

地方に行く役人が使うものなので「馬牌を持っている=暗行御使」とは限りません。でもドラマでは暗行御使のシンボルになってます。

 

駅:地方に赴任する役人が使用するための馬を置いてある施設。駅卒(馬の世話や荷物の積み下ろし、運搬をする労働者)も常駐していざというときには駅卒を動員できます。

 

手下は複数いた

暗行御使は馬牌を使って現地の兵を動員できますが。それは身分を明かした後です。普段は自分が引き連れた手下とともに行動します。創作物語では単独行動だったり、1~2人の手下を連れていることが多いです。

実際にはもっといました。時代や人によっても違いますが。3~5人、多いときには十数人の手下を連れていました。人数がいなくては十分な調査はできません。最低一人は都に報告を届けるための従者がいます。暗行御使が都に送る報告書は機密文書なので信用できる自前の手下を使うしかないからです。

まして暗行御使が一人で行動することはありえません。

 

変装して捜査?

暗行御史は身分を隠して妓楼や居酒屋などに潜入、情報を集めました。でも暗行御史になるのは科挙を受かった両班です。王朝時代は言葉やふるまいなどが身分で違うので、平民や賤民に変装すると言動がぎこちなくてバレる危険性が高いです。そこで実際には没落両班ていどになりすまして行動することが多かったようです。

 

不正や国を裁く出道

調査の結果、不正が行われていると分かれば暗行御史は馬牌を使って駅で駅卒(兵士)を動かします。

暗行御史は兵士達とともに役所に乗り込みます。これを「出道」と言います。

現在では、出道といえば暗行御史が馬牌をかざし、武器を持った駅卒が「暗行御史の出道だ」と叫び。役所に入ると役人を捉え。暗行御史が上段に座り裁判をするイメージで演出されることが多いです。ほぼ「水戸黄門」のイメージです。

暗行御史が駅卒を引き連れ「暗行御史だ」と言いながら役所に乗り込んだ記録はありますが、物語やドラマの通りだったかどうかはわかりません。

暗行御史が兵をひきつれて乗り込むと逃げてしまう人もいたようです。

役所に乗り込んだ暗行御史は身分を明かし「王命」により役人の役職を停止して一時的に拘束。役所を調査。暗行御史が取り調べを行い王に報告します。そのとき一時的な処分を言い渡したり、民の言い分を聞くこともあります。

でも何もかも暗行御史の独断で行えるわけではありません。最終的な処罰は暗行御史の報告を読んだ王が判断します。

暗行御史のその他の役目

暗行御使の役目は不正役人を捕まえるだけではありません。

地方の民の暮らしを観察。王に報告する役目もあります。

孝行息子や貞節な妻の話など、美談を集めるのも暗行御使の役目。「朝鮮王朝実録」にある民の美談はこうして集められたものです。

 

暗行御史はつらいよ

 

赤字

暗行御史になるといくらかのお金は国から支給されますがとても足りません。

現地までの旅費・滞在費・活動費はほぼ自腹。従者も自分が用意。

馬牌があるので途中の駅で荷物を運ぶ馬や駅卒(兵士)は調達できますが。馬牌を使えば暗行御史が来たことが分かってしまうので担当地域でむやみに使う事はできません。

赴任先で誰かから援助を受けると「賄賂」とみなされるためそれもできません。

暗行御史は毎回大赤字なのです。

過酷な仕事のため。地方の役人と結託してしまう人もいました。

 

命の危険

暗行御史は過酷な仕事ですが、確かに300年の暗行御史の歴史の中で仕事中に死亡した人は何人かいます。かといって死亡率が高いわけではありません。

もし不正の発覚を恐れた地方の役人が暗行御史を殺害した場合。王の使者を殺したことになり、王への反逆とみなされます。暗行御史が帰ってこなかったら捜索が行われ、殺害したことが分かれば死刑、酷いときには三族(三親等)まで処刑です。

また暗行御史が殺害された場合、その地域を治めていた首長も責任を問われます。都から役人が派遣された義禁府に連行されます。

暗行御史は数人から多いときには10人以上の手下を連れています。彼らに知られず、知られても彼らもろとも暗行御史を殺害するのは難しいです。

だからむやみに暗行御史の殺害はできません。

とはいえ朝鮮は国土の7割が山ですから地方に行くには山道を通らなくてはいけません。山賊や猛獣に襲われる可能性もあります。冬は異常に寒いです。病気や疲労で行き倒れにる可能性もあります。それをほぼ自費で行わなければいけないのです。暗行御史は危険で過酷な仕事には違いありません。

様々な苦労

命を落とさないまでも様々な困難に遭遇することはあります。

暗行御史が馬牌を使って馬や駅卒を動員すると暗行御史が来た事がわかってしまうので。相手に逃げたり対策をする時間を与えてしまうこともあります。

ある村に暗行御史が来たことがわかると、隣の村では門を閉じて座り込みをしたり。逆に役所を空っぽにしたりして妨害することはありました。

悪質な場合は地方の役人側が兵士を派遣して暗行御史を捉えて脅迫することもありました。いくら王命で来ているとはいえ非公式な役職です。地方の役人が老練で手強い場合はなかなか言うことを聞かず、追い返されたり、妨害されることもありました。

偽物の暗行御史が出没することもありますし、逆に本物の暗行御史だとなかなか信じてもらえないこともあったようです。

 

 

 

 

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