和寧翁主(ファリョンオンジュ)は、朝鮮王朝第21代王・英祖の娘として生まれ、波乱に満ちた生涯を送りました。
母は淑儀文氏。思悼世子を死に落としれた人物の一人と言われていました。そのため1776年に正祖が即位すると、母・淑儀文氏が処刑されるという大きな悲劇が訪れます。
でも正祖は臣下からの訴えにも関わらず、和寧翁主とその妹の地位を守りました。
そして純祖時代の1821年まで生きて68歳でその生涯を閉じました。
史実の和寧翁主はどのような生涯をおくったのか紹介します。
和寧翁主(ファリョンオンジュ)の史実
プロフィール
姓:李
名:不明
称号:和寧(ファリョン)
生年月日:英祖29年(1753年)3月2日
没年月日:純祖21年(1821年)9月3日
享年:67
日本では江戸時代になります。
家族
親
姉妹
夫
子供
・次女(徐慶輔の妻)
和寧翁主(ファリョンオンジュ)の生涯
誕生
1753年(英祖29年)旧暦3月2日。英祖と淑儀文氏の長女として生まれました。
英祖の娘としては九女。
1754年(英祖29年)。同母妹の和吉翁主が誕生。
1764年(英祖40年)旧暦10月16日。沈正之の息子・沈能建(シム·ヌンゴン)との婚姻が決定。
このとき和寧翁主は12歳。沈能建は13歳。
沈能健は靑城尉の称号が与えられました。
翁主と沈能健は旧暦12月20日に嘉礼(婚礼)を行いました。
英祖が生きている間は華やかな王族としての生活ができました。
1776年。英祖が死亡。正祖が即位。
苦難の正祖の時代
母が処刑・翁主にも処分を求める声が殺到
正祖は即位すると母・淑儀文氏から称号を剥奪。庶人に落として宮廷から追い出し、淑儀文氏の兄・文聖國(ムン・ソングク)を奴婢に落とし、母を済州島に流罪にしました。
臣下達は淑儀文氏たちの処分だけでは収まりません。
淑儀文氏の娘・和寧翁主と和吉翁主の称号も剥奪するように訴えました。
でも正祖は彼女たちには罪はないとして、和寧翁主の罪を求める上奏を全て却下しました。
英祖の国葬の後、淑儀文氏は賜死となりました。
和寧翁主は母を失ってしまいます。このとき和寧翁主は24歳。
夫の不祥事
こうして正祖の気遣いもあり、和寧翁主は翁主として暮らし続ける事ができました。
ところが今度は夫が不祥事を起こしてしまいます。
1781年(正祖5年)。夫で文氏の婿でもある沈能健(シム·ヌンゴン)が文氏の生前の財産を勝手に処分したことが発覚。弾劾を受けて辞職する騒ぎになりました。
そうした浮上時もありましたが、和寧翁主と沈能健の間には1男2女が誕生。しかし長男は幼くして死亡したので、沈宜寬を養子として迎えました。
和寧翁主の最期
母が処刑。自分にも処分を求める訴えが何度も起こったり、夫の不祥事、長男の死亡など、成人後の和寧翁主は苦労もありましたが。
その後の和寧翁主夫婦は無事に暮らしました。
夫の沈能健は1817年に死亡。享年66歳
和寧翁主は純祖の時代まで生きて
純祖21年(1821年)9月3日に死亡しました。享年68歳。
当時としては長生きしたほうです。
テレビドラマ
大王の道 1998年、中国 演:パク·ジミ
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