PR

星漢燦爛:三皇子のモデル 明帝 劉荘とは?共通点と違いを比較

星漢燦爛 三皇子のモデル 2 ドラマ人物

 

中国ドラマ「星漢燦爛」に登場する三皇子凌不疑とも関わりのあるキャラクターです。

三皇子は文帝と越妃の息子。

ドラマの三皇子のモデルになったのは、後漢の光武帝の四男・劉荘(りゅうそう)。劉彊も母 陰麗華が側室から皇后になり、自らも皇太子の座に就くことができました。

この記事では星漢燦爛の三皇子と史実の劉荘を解説。共通点や違うところも紹介します。

この記事のポイント
  • 太子の性格や行動。
  • 太子のトラブル。
  • モデルになった劉彊とは?
  • ドラマの太子と劉彊の比較。

なおこの記事はネタバレを含みますのでご注意下さい。

PR

星漢燦爛の三皇子とは

星漢燦爛 三皇子

 

名前:不明
通称:三皇子→太子
父:文帝
母:越妃
同母妹:二公主、三公主

演:高寒

文帝と越妃の長男。

名前は設定されていません。

母は越妃

三皇子の生母は文帝の愛する越妃(越姮)。

越姮は文帝の幼馴染みで若いころは好きあっていました。文帝が鞍王と同盟したため鞍王の姪・宣神諳も文帝と結婚。

越姮は宣神諳に皇后の座を譲り、自らは側室の地位に留まりました。しかし文帝の寵愛は衰えず。越妃は後宮でも大きな影響力を持ち、皇帝の決断を左右することもあります。

反太子派の支持

三皇子はそんな越妃の息子。

宣皇后の息子が太子となっていますが、ちょっと頼りない太子と違って三皇子はなかなか有能。太子が何度か失敗をしでかすこともあり。朝廷内部では太子を廃して三皇子を新しい太子にという意見もあります。

越妃の実家はもちろん、太子を支持する重臣は他にもいるため太子派にとっては侮れない勢力になっています。

表向きは凌不疑と仲はよくないものの

凌不疑は宣皇后に可愛がられたこともあり太子のサポートをしています。

そのため三皇子と凌不疑は表向きは仲良さそうにはしていません。

でも三皇子は過去に凌不疑に助けられたことがあり、恩義に感じています。そのため所属する派閥は違うものの裏では協力し合っています。

ドラマ終盤。反乱勢力との戦いでは凌不疑とともに戦ったり、凌不疑を助けたりと。頼もしい活躍を見せてくれます。

 

太子になる

太子は様々な事情が重なり地位が危うくなっていました。重臣からは太子を廃そうという意見も出ています。宣皇后は太子を守るため自ら降格を願い出て、太子もその座を降りることになりました。

変わって越姮が新しい皇后になり。三皇子が新しい太子になります。

 

モデルは後漢の明帝 劉荘

明帝 劉荘

父は光武帝、母は皇后 陰麗華

父・文帝のモデルは後漢の光武帝 劉秀(りゅう・しゅう)。

母の越妃のモデルは劉秀の妻で後に皇后になった陰麗華(いん・れいか)。

三皇子のモデルは光武帝と陰麗華の息子になりますね。

ズバリ、三皇子のモデルは後漢の二代皇帝 明帝 劉荘(りゅう・そう)です。

遠征先で生まれる

劉秀は

光武帝が中華統一のため自ら軍を率いて遠征しました。そのとき遠征先に陰麗華を同行させていました。遠征先で生まれたのが劉秀です。

劉荘は頭がよく、光武帝からもたいへん可愛がられました。

皇太子になる

当時の皇后は郭聖通。皇太子は郭皇后の息子・劉彊でした。

光武帝に嫌われた郭皇后が廃され、母 陰麗華が皇后になりました。皇太子 劉彊はしばらくはその地位に留まりました。

臣下からは「陰皇后の息子を皇太子にすべき」という意見が出ます。

劉彊は皇太子を辞退。劉荘が新しい皇太子になりました。

ドラマもこのへんの経緯をモデルにしています。

光武帝の死後。劉荘が即位。明帝と呼ばれます。

明帝

明帝 劉荘は光武帝 劉秀が築き上げた後漢をさらに安定させ、国力を増強させた優れた皇帝といわれます。

西域進出とシルクロード交易

父・光武帝は中華を統一、国の基礎を固めました。明帝は領土の維持では満足せず、積極的に領土拡大を進めます。

前漢の武帝以来となる西域遠征を行って西域から匈奴を追い出して支配下におきました。

シルクロード貿易を行いローマ帝国に使者を派遣しています。

明帝の功績

外交的には父とは違う方針でしたが。国内の政策は 父の光武帝の路線を引き継ぎました。主な政策は以下のとおりです。

  • 儒教の普及:儒教経典の学習を奨励、儒教を国家の思想として確立しました。
  • 外戚・親族の抑制: 皇帝の権力を強化するため、外戚や親族が政治に関わるのを厳しく制限しました。これにより権力闘争を防ぎ、政治の安定化を図りました。
  • 国力の増強: 農業の振興、治水事業の実施、西域との貿易を行い国の財政を安定させました。
  • 仏教の伝来: 明帝の時代に西域から仏教が中国に伝来しました。白馬寺を建立しました。

後漢の最盛期を作る

明帝の時代は次の章帝の時代とともに後漢の最盛期とされます。

章帝から後の時代は幼い皇帝が多かったこともあり、権力争いが続き後漢は衰退。やがて三国志の時代になります。

共通点と違うところ

星漢燦爛三皇子後漢の明帝劉荘はをモデルにしていますが。ドラマの内容に合わせてアレンジされているところもあります。似ているところと違うところを比較してみましょう。

共通点

  • 聡明で有能な人物像:
    • 三皇子:文武両道に優れ、政治的な感覚も鋭い。周囲から期待され後継者として注目されています。
    • 劉荘: 聡明で幼い頃から漢文を読み。父 光武帝から愛されました。
  • 母は皇帝の寵愛を受ける妃
    • 三皇子:生母の越妃は文帝の幼馴染みで結婚を誓う仲でした。妃になってからも文帝に愛されています。
    • 劉荘:母の陰麗華も劉秀が皇帝になる前から愛した女性。光武帝は政治的な理由で郭聖通を皇后にしたものの。後に理由をつけて陰麗華を皇后にしています。
  • 前の太子が廃されて後継者になる
    • 三皇子:宣皇后が皇后を辞退、それとともに太子は降格になり。三皇子が太子になりました。
    • 劉荘: 郭皇后が配されると、劉彊も皇太子を辞退。劉荘が皇太子になりました。
  • 周囲からの支持:
    • 三皇子: 実家である越氏の支持だけでなく、有能さを評価する多くの臣下から支持されています。
    • 劉荘: 母の実家の陰家やその仲間だけでなく、多くの臣下から後継者として支持されました。

違うところ

  • 順番
    • 三皇子:呼び名どおり文帝の三男。
    • 劉荘:光武帝の四男。
  • 活躍の舞台:
    • 三皇子:宮廷内の政治闘争や反乱軍との戦いなど。皇子のころから活躍。君主としての手腕は未知数。
    • 劉荘:王子の時代は頭が良かったことは伝わっていますが。戦で手柄を立てたなどの武勇伝はありません。しかし皇帝になってからは国家運営、領土拡大、国力アップなど、広範囲にわたって活躍しました。

まとめ

ドラマの三皇子は凌不疑との友情や反乱勢力との戦いを通じて成長しています。

歴史上の劉荘も父・光武帝が築いた基礎を継ぎ西域遠征やシルクロード交易、国力の強化など様々な分野で活躍。後漢を最盛期へと導きました。

星漢燦爛の三皇子は史実を参考にしていますが、ドラマオリジナルの要素が加えられ魅力的なキャラクターとして描かれていますね。

星漢燦爛に登場する三皇子は活躍が後半に限られますが。モデルになった劉荘との共通点は相違点を比較することで、キャラクターの深みや物語の面白さをより深く理解することができると思いますよ。

 

リクエスト歓迎!

アジアのドラマで知りたい歴史上の人物は他にいますか? 人物以外にも出来事・事件や文化・時代背景・民族や国など。アジアの歴史ならOK。中国・韓国以外でもできるだけお答えします。 必ず記事にできるとは限りませんが、できるだけお応えします。コメント欄に書き込んでくださいね。 (リクエストはコメント欄に表示されません)

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました