ソソノは韓国ドラマ『朱蒙(チュモン)』で強烈な印象を残すヒロインです。
卒本(チョルボン)の桂婁(ケル)部を率いる豪商ヨンタバルの娘として登場し、商団と軍資金を握る“経済担当”として高句麗建国を支えます。さらに百済の始祖・温祚(オンジョ)の母として、「二つの王朝を生んだ女」として描かれました。
しかし史料の中のソソノ(召西奴)は、ドラマほど多くは語られていません。
実在したのか、なぜ「百済と高句麗をつなぐ母」とされるのか──この記事では、
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三国史記・魏書などに見える召西奴の姿
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百済が「扶余出身」「朱蒙の子孫」を同時に名乗る理由
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『朱蒙』『近肖古王』でのソソノ像の違い
を整理しながらドラマと史実のソソノを紹介します。
召西奴(ソソノ)は三国史記 異伝 に現れる女性
三国史記・百済本紀 温祚王の「本伝」と「異伝」
百済の建国が語られているのは。12世紀の史書『三国史記』やその後にできた『三国遺事』だけです。
でも召西奴(ソソノ)の名前は百済本記の本文には書かれていません。召西奴(ソソノ)が登場するのは百済本紀・温祚王の中の異伝(分注)だけです。
まず本文(本伝)ではこう書かれます。
百濟始祖溫祚王,其父,鄒牟,或云朱蒙。自北扶餘逃難,至卒本扶餘。扶餘王無子,只有三女子,見朱蒙,知非常人,以第二女妻之。
(出典:三国史記 卷二十三 百濟本紀 第一)
百済の始祖、温祚王の父は、鄒牟あるいは朱蒙とも言われます。彼は北扶余から逃れ、卒本扶余に至りました。扶余王には男子がなく、娘が三人いるだけでしたが朱蒙に会い彼が非凡な人物であると知ると、第二の娘を娶らせました。
後の百済王が朱蒙と卒本扶余の王女から生まれたと書かれています。ここには召西奴の名前は出てきません。
「朱蒙が卒本に至り、越郡の娘を娶って二子が生まれた」とも書かれているので。扶余王の名前が越郡なのかもしれませんが。いずれにしても王の娘の名前はわかりません。
そのあとに続く「一云(ある説によれば)」以下の異伝で、ようやく次のように書かれます。
一云:始祖沸流王,其父優台,北扶餘王解扶婁庶孫。母召西奴,卒本人延陁勃之女,始歸于優台,生子二人,長曰沸流,次曰溫祚。
(出典:三国史記 卷二十三 百濟本紀 第一)
一説には。始祖は沸流王、その父は優台、北扶余王 解扶婁の庶孫である。母の召西奴は卒本人である延陁勃の娘、初めは優台に嫁ぎ、二人の子を生んだ。長男が沸流、次男が温祚である。
ここで初めて「召西奴(ソソノ)」の名が出てきます。
つまり三国史記の中でも、ソソノは百済本紀の異伝の中にだけ現れる人物なのです。
三国遺事・その他史料での扱い
後代の説話集『三国遺事』巻二「南扶餘 前百濟」の百済始祖伝承も、基本的にはこの三国史記・温祚王の内容をほぼ引用しており、温祚を朱蒙と扶余王の娘の子とする系譜を紹介します。
ただし、ここでも召西奴という名前は出ず、
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「温祚の父は雛牟王(朱蒙)」
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「百済の始祖温祚は扶余から卒本を経て慰礼城に都を置いた」
という骨格だけが語られます。
一方で、三国史記・温祚王紀 13 年には、
「王母が没し、年六十一歳であった」
と書かれています。後世の学者たちはこの「王母」を召西奴とみなして系譜を復元しています。
つまり、
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名前としての「召西奴」は三国史記の異伝にだけ登場
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しかし「温祚の母」「王母」としての存在は、百済の建国神話の中で重要な役割を与えられていた
ということになります。
温祚の出自をめぐる二つの説 。朱蒙の子か扶余王孫か
① 朱蒙の実子説 「オンジョ=朱蒙の子」バージョン
三国史記の本文では温祚・沸流は以下のように説明されます。
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朱蒙が北扶余から卒本に逃れてきて王となる
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扶余王の次女を妻にして二子を得る
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長男・沸流、次男・温祚
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その後、北扶余にいた朱蒙の子・孺留(琉璃王)がやって来て太子に立てられる
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沸流と温祚は「太子に疎まれるのを恐れ」、母と十人の臣下を伴って南へ
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河南慰礼城に都を置き、国号を十済 → のちに百済と改称
この流れでは、百済の始祖たちは
として描かれています。
② 優台+召西奴説:扶余王孫+卒本豪族の娘
一方、異伝(「一云」)では、温祚・沸流の出自は次のように語られます。
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父:優台=北扶余王・解扶婁(ヘブル)の庶孫
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母:召西奴=卒本人・延陀勃(ヨンタバル)の娘
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召西奴はもともと優台の妻で沸流・温祚を産んでいた
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優台の死後、寡婦となった召西奴は卒本にとどまり朱蒙と再婚。
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朱蒙が高句麗を建国する際、召西奴の内助の功があったので寵愛した。
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しかし朱蒙の扶余時代のの子が太子に立てられると、沸流・温祚は母とともに南へ下って新しい国を立てることを決意する
こちらのバージョンでは、
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沸流・温祚は「朱蒙の連れ子」的な立場
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扶余王家の血筋(優台)+卒本の在地勢力(召西奴)の結合
という形で百済の始祖を「扶余直系+卒本豪族」の子として説明しています。
③ 結局「高句麗と百済は同じ扶余出身」
三国史記・温祚王の章では最後を次の一文で締めくくっています。
其世系與高句麗,同出扶餘,故以扶餘為氏。
その家系は高句麗と同じく扶余から出た。ゆえに(百済王は)扶余を氏とした。
つまり編纂者の立場では、
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朱蒙の実子説
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優台+召西奴説
のどちらを採用するにしても
という結論になってるわけです。
ソソノは実在した?伝説上の王妃?
史料から分かる範囲
以上のことからも分かるように召西奴については分かっていることはかなり限られています。
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名前「召西奴」が出るのは三国史記・百済本紀 温祚王の異伝だけ
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高句麗本紀(朱蒙伝)には一切登場しない
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墓碑・銘文など直接の考古学的証拠は見つかっていない
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「王母が61歳で亡くなった」という記録を後の研究者が召西奴と結びつけている
つまり、
「卒本の有力者・延陀勃の娘で、沸流・温祚の母として伝えられた女性がいた可能性はあるが、どこまでが史実でどこからが神話かは分からない」
というのが正直なところです。
なぜ百済は「朱蒙の子孫」を名乗ったのか
百済は中国の史書『魏書』の上表文で、自分たちを「扶余に出自し、高句麗と同じ源を持つ」と名乗っています。つまり「うちは扶余系の王家だ」という自己イメージがありました。
そこで百済側の建国物語では、扶余系の英雄であり高句麗の始祖でもある朱蒙をあえて温祚(オンジョ)の父として取り込んでいます。扶余王孫・優台の妻だった召西奴(ソソノ)が、のちに朱蒙と結びつくという異伝は、
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扶余王家の血筋(優台)
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在地勢力の娘(召西奴)
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扶余系ヒーロー朱蒙
を一本につなげるための創作かもしれません。
召西奴(ソソノ)の役割としては
「扶余の血を引く豪族の娘であり、朱蒙と百済の始祖をつなぐ母」
という役割を与えられた存在、と考えるとドラマのソソノが分かりやすくなります。
ドラマで描かれるソソノ:『朱蒙』と『近肖古王』の違い
『朱蒙』のソソノ:商団を率いる建国パートナー
ドラマ『朱蒙』ではソソノは
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卒本連合の一つ・桂婁(ケル)部の君長ヨンタバルの娘
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若くして商団の後継者として育てられた才女
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自ら馬に乗り剣を振るう武闘派ヒロイン
として描かれます。
史料には「高句麗の建国において、大いに内助があった」といった短い言葉しか残っていませんが、ドラマはそこを徹底的に膨らませ、
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物流・軍資金・情報・人材を動かす“経済担当”
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チュモンと政治的にも対等に意見を交わすビジネスパートナー
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それでいて一人の女性として葛藤し、最後には子どもの将来を優先して身を引く母
という、非常に現代的なヒロイン像になっています。
『近肖古王』のソソノ:老年の「国祖母」とケンカ別れ
一方、百済第13代王・近肖古王を主人公にしたドラマ『近肖古王(クンチョゴワン)』では、
第1話の冒頭に老年の朱蒙とソソノが登場し、剣を交えて争った末に激しく言い争って決裂するという、かなり辛辣な「ケンカ別れ」バージョンが描かれます。
ドラマ『朱蒙』が
「互いに想いを残しながら、政治と子どものために別れる悲恋」
だとすれば、『近肖古王』は
「後継問題をめぐる深い対立と、決して埋まらない溝」
を前面に出した演出と言えますね。
百済側の視点で物語が進む『近肖古王』では、
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祖国の王妃だったのに高句麗からは排除される
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自分の息子たちとともに南へ去り、別の王朝の基礎を築く
というソソノ像は「高句麗に裏切られた国祖母」というニュアンスを伝えています。
ここに「高句麗とは違うもう一つの正統」として百済を位置づけたいドラマ側の意図も読み取れると思います。
まとめ:高句麗と百済をつなぐ「伝説の女性」
最後にソソノ(召西奴)をめぐるポイントを整理しておきます。
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史料から分かる召西奴の姿
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三国史記・百済本紀 温祚王条の異伝に登場する、卒本の有力者・延陀勃の娘。
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北扶余王孫・優台との間に沸流・温祚をもうけ、のちに朱蒙の妃となったとされる。
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百済の自己イメージ
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『魏書』によると「百済は扶余に出自し、高句麗と同源」と名乗る。
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『三国史記』は「朱蒙の子・温祚」説と「優台+召西奴」説を併記し、いずれにせよ「高句麗と同じく扶余の一族」と整理する。
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ソソノの実在性
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史料に名前は出るが高句麗本紀にはなく、考古学的証拠もない。
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そのため学界では「古い伝承を整理した半ば伝説上の王妃」として扱われることが多い。
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ドラマにおけるソソノ像
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『朱蒙』では、商団を率いる現代的キャリアウーマン兼建国パートナーとして再解釈され、「二つの王朝を生んだが、どちらにもとどまらない母」として描かれる。
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『近肖古王』では、老年の国祖母として朱蒙と剣を交え、「決定的なケンカ別れ」をする人物として登場し、百済の独自性を象徴する存在になっている。
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ソソノは史料だけ見ればごく短い記述でしか語られない人物です。
でもその少ない文章から
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高句麗と百済をつなぐ「もう一人の始祖」
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扶余ルーツと朱蒙神話を橋渡しする国母
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現代ドラマでは歴史+エンタメの格好の素材
として、さまざまなイメージが引き出されてきました。
ドラマを楽しみながら「このソソノはどの史料のどの部分を膨らませた結果なんだろう?」と考えながら見ると作品も古代史もさらに楽しめると思いますよ。

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