韓流時代劇「チャン・ヨンシル」や「大王世宗」に登場する李蕆(イ・チョン)は実在の人物。
李氏朝鮮の武人であり技術者でした。
武人として倭寇や女真族と戦う一方で、チャン・ヨンシルとともに、科学技術の発展に貢献しました。
史実の李蕆(イ・チョン)はどんな人物だったのか紹介します。
李蕆(イ・チョン)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1376年
没年月日:1451年11月8日
名前:李蕆(イ・チョン)
父:李竦
母:廉氏
妻:
子供:
長男:李孝老
次男:李忠老
彼は朝鮮王朝(李氏朝鮮)の3代太宗~4代世宗に仕えました。
日本では室町時代の人になります。
おいたち
李蕆(イ・チョン)は禮安李氏。王室の李氏(全州李氏)とは血縁関係はありません。
1393年(太祖2年)。推薦で役人になりました。
1402年(太宗2年)。武科で合格。
1415年(太宗15年)。軍器監正になり、平安道、永吉道に派遣されました。
1418年(世宗即位年)。工曹参判になりました。
1419年(世宗1年)。倭寇征伐のため対馬攻撃に参加。その功績が認められ兵馬節度使(従二品)となりました。
1420年(世宗1年)。工曹参判になりました。
新しい活字を作りました。
1422年(世宗3年)。工具を改良し荷物を運ぶための四輪車を作りました。
1424年(世宗6年)。使者となって明の都。北京に行きました。
1425年(世宗7年)。兵曹参判になりました。
1426年(世宗8年)。工曹参判になりました。平安道地方の城を調べて回りました。
1433年(世宗15年)。渾天儀を作りました。
1434年。蒋英実(チャン・ヨンシル)らとともに甲寅字(銅製の活字)を作り、印刷技術の向上に貢献しました。
1436年。平安道(朝鮮北西部)に派遣されました。
1437年。8000人の兵士を引き連れ女真族を討伐。北方の守りを担当しました。60歳を過ぎても最前線で指揮をとりました。
1440年には職務を怠ったとして弾劾を受けましたが、翌年釈放されました。
その後、知中枢院事、軍器監正。兵器や設備の製造、改良に携わりました。
1451年。死亡しました。享年76。
世宗は平和的なイメージが強いですが、北方の領地拡張にも熱心でした。イ・チョンは世宗の信頼が厚く、女真族との戦いでは最前線に立ち武人として前線で活躍しました。
その一方で、兵器の開発製造にも関わりました。さまざまな設備や道具を作る技術者としても活躍しました。
兵器だけでなく、日時計、水時計を作り、チャン・ヨンシルらとともに印刷用の活字や観測機器も作り、科学技術の発展にも貢献しました。
テレビドラマ
大王世宗 KBS 2008年 演:チョン・ヒョン
チャン・ヨンシル KBS 2016年 演:キム・ドヒョン
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