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奇皇后の実話?ドラマと史実の違いと残酷な事実を解説

韓国ドラマ『奇皇后~ふたつの愛 涙の誓い~』は「高麗出身で元の皇后になった女性」の人生をモデルにした作品です。

  • スンニャンのモデルになった奇皇后は実在します
  • でもドラマに描かれる高麗を守るヒロインではありません。

この記事では、史料に残る奇皇后の生涯とドラマの設定を丁寧に比較し、「どこまで本当でどこからが創作なのか」を分かりやすく整理します。

 

この記事で分かること

  • 奇皇后の出自から皇后・北元皇太后になるまでの史実上の歩み
  • ドラマ『奇皇后』における恋愛・三角関係・ヒロイン像と史実との違い
  • 奇氏一族の専横と恭愍王による粛清、徳興君の乱など高麗側から見た評価
  • 「高麗に捨てられた貢女」としての立場と奇皇后の権力の使い方

 

 

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奇皇后は実在した人物

歴史書にも出てくる「高麗人の皇后」

奇皇后は『元史』『新元史』『高麗史』などに名前が出てくる、実在の歴史上の人物です。
高麗の名門・幸州奇氏の一族、奇子敖(き・しごう)の娘として生まれ高麗から元へ送られた貢女のひとりでした。

  • 出身:高麗・幸州奇氏
  • 父 :奇子敖
  • 夫 :元15代皇帝 トゴン・テムル(順帝)
  • 子ども:皇太子アユルシリダラ(のちの昭宗)

 

高麗の貢女として元へ送られる

貢女となった奇氏がどのように宮廷に入り、皇帝の寵愛を受けるようになったのかは元の正史『元史』にも記録されています。

初,徽政院使禿滿迭兒進為宮女,主供茗飲,以事順帝。
『元史』巻114「順帝后完者忽都」

日本語訳:
当初、徽政院使の禿満迭児によって宮女として献上されました。 彼女は主にお茶を献上する役目を担い、順帝にお仕えいたしました。
奇氏は容姿だけでなく、立ち居振る舞いと機転の良さで皇帝の目にとまり、次第に寵愛を受けるようになります。

当時、元にはすでにキプチャク系のダナシリ皇后がいましたがダナシリの父・エルテムルが失脚・死去するとその一族も没落していきます。

次皇后から皇太子の生母へ

ダナシリのあとコンギラト部出身のバヤン・クトゥクが正皇后になり、奇氏は「次皇后」になります。バヤン・クトゥクは穏やかな性格で、奇氏が寵愛を受けても嫉妬せず静かに暮らしていました。

奇氏は女孝経や史書を読み、飢饉の際には私財を投じて死者の埋葬や供養にあたったとされます。

こうしたエピソードもふくめ、宮中で存在感を増していったと考えられます。

やがて奇氏は皇子アユルシリダラを出産。

アユルシリダラは1353年に皇太子になり奇氏は「皇太子の生母」として強大な発言力を持つようになりました。

 

高麗で台頭する奇氏一族

高麗では奇氏の娘が「元の次皇后・皇太子の生母」になったことで、一族が力を持ちます。兄の奇轍(き・てつ)ら兄弟は元の権威を利用して高麗王よりも上のように振る舞い、土地や官職を握って民を虐げたと記されています。

 

恭愍王の反撃と徳興君の乱

反元政策を掲げて即位した恭愍王はこの状況を快く思いませんでした。奇氏一族は「民を苦しめる権門勢家」として批判され。高麗王によって粛清されました。

奇皇后は高麗王を恨んで恭愍王の廃位を順帝に働きかけました。1363年には、忠宣王の庶子・徳興君を新たな高麗王に立てる勅書が出され、元軍1万を伴う討伐軍が派遣されました(徳興君の乱)。

しかしこの軍は鴨緑江を越えたところで高麗軍の反撃を受けて敗退。奇皇后の目論見は挫折します。

正皇后・北元皇太后としての晩年

1365年。正皇后バヤンクトゥクが死去すると、次皇后だった奇氏は正皇后に昇格しました。

しかし元の都・大都が明軍に脅かされるようになると、順帝は奇皇后と皇太子を連れて北方へ逃れ中国本土での元の支配は終わります。

以後、奇皇后は内モンゴル方面に拠点を移した「北元」で皇太后として過ごしたとみられます。

ただし、その最期がいつどこで訪れたのか、詳しい記録は残っておらず現在もはっきりとはわかっていません。

 

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ドラマ『奇皇后』はどこまで実話?

ではドラマのどの部分が実話で、どこからが作り話でしょうか。

宮廷に入るきっかけはドラマと史実でまったく違う

ドラマではキ・ヤン(スンニャン)は貢女として連れて行かれる途中で逃げ出し、盗賊として暮らしていました。やがてタファンと出会い彼の護衛として元に渡ります。しかし女であることがバレて宮廷の雑用係になりました。

史実の奇皇后は高麗から元に送られた貢女のひとりです。はじめから「高麗から献上された宮女」として宮廷に入り、食膳の給仕をしながら順帝の寵愛を受けるようになります。

ドラマの偶然の成り行きで宮廷に入るの史実とは別物だと考えてよいでしょう。

 

高麗王との恋愛・三角関係は史実には存在しない

ドラマの大きな軸になっているのがヤン・タファン・ワン・ユの三角関係です。

でも史料には「奇皇后と高麗王の恋愛」といた記録は出てきません。二人の王に同時に愛されたという話もなく、恋愛ドラマ部分は換算な創作です。

 

ワン・ユとヤンの子・マハは完全な創作

ドラマではワン・ユとヤンの子どもとしてマハ王子が誕生。悲劇的な運命をたどります。しかし史実に「奇皇后が高麗王とのあいだに子をもうけた」という記録はありません。マハは架空の人物なのです。

 

史実では兄弟が高麗で横暴を働き、キ氏粛清が起きている

史実では奇皇后の兄・奇轍を中心とする奇氏一族は高麗で土地や官職を握り、民を搾取。そのため恭愍王によって粛清されてしまいます。

ドラマにはそのような場面はありません。むしろ父が元側の陰謀の犠牲となってしまいます。

そのためドラマの奇皇后が高麗王と対立する場面がありません。

 

キ氏粛清も「高麗を攻めよ」という進言も起きない

史実の奇皇后は兄弟を殺した恭愍王を恨み恭愍王の廃位を図ります。元軍1万を高麗に差し向けました。高麗を守るどころか攻めているのです。

しかしドラマでは、そもそも高麗王による奇氏粛清が描かれていません。そのため皇后となったヤンが「高麗を攻めて欲しい」と進言する必要も理由もなく、元軍による高麗侵攻自体がストーリーから消えています。

このように、ドラマは

  • 高麗王との恋愛と三角関係

  • 高麗を守るヒロイン像

を前面に出すために史実の「キ一族専横 → 粛清 → 元軍で高麗に報復」という流れを意図的に外していると見ることができます。

 

宮廷の権力争いは史実ベースのアレンジ

一方で、史実が元になった部分もあります。

  • モンゴル系名門(エルテムル一族など)と皇帝(トゴンテムル)の対立

  • 既存の皇后ダナシリ(タナシルリ)から疎まれる奇皇后

といった宮廷権力ドラマの部分はある程度史実をもとにしています。

 

タファン=トゴン・テムル(順帝)

タファンのモデルは元の最後の皇帝トゴン・テムル(順帝)です。

史実の彼は

  • 若くして即位し、軍閥や重臣に振り回される

  • 元末の混乱期に在位

  • 最後は明の台頭のなかで逃亡生活へ

というどこか頼りない皇帝として描かれることが多いです。晩年は奇皇后にも愛想を尽かされました。

ドラマの「弱々しいが、スンニャンに支えられていく皇帝像」とも重なる部分はありますが。史実の夫婦関係はもっと冷えていたようです。

 

ワン・ユ=忠恵王をベースにした“別人”

ワン・ユのモデルとされるのは高麗第28代王 忠恵王です。ただし史実の忠恵王は放蕩や暴力事件で悪名高く、元にも見放されて廃位されるなど問題の多い王として記録されています。

さらに忠恵王は元の権臣エル・テムルと交流があり、その娘であるダナシリ皇后とも関係が深い立場にいました。

元の宮廷ではダナシリと仲が悪かったのが奇氏一族です。ダナシリの失脚・処刑によって奇氏が台頭したことを考えると、奇皇后と忠恵王はむしろ政治的には敵対する立場です。

ドラマのように「高麗王ワン・ユ」と「キ・ヤン」が深く信頼し合い、互いのために命がけで戦う関係は史実とは正反対です。

名前や一部の設定だけ忠恵王から借りているものの、人物像としては完全に別人です。

 

タルタル=宰相トクト(脱脱)

タルタルのモデルは、元の名宰相トクト(脱脱/Toghto)です。

  • 紅巾軍との戦いを指揮

  • 黄河治水などの大事業を担当

  • 奇皇后派と対立し、最終的には失脚

といった経歴を持つ、有能な官僚・軍人でした。

ドラマのタルタルも

  • 優れた軍略家

  • 清廉で、腐敗に厳しい

  • 奇氏一族とは一線を画す立場

と描かれており、トクト像にかなり寄せて作られています。

 

ヨンチョル=エル・テムル(燕帖木児)

ヨンチョル丞相のモデルは、元の権臣エル・テムル(燕帖木児 / El Temür)です。

  • 軍閥として皇帝を擁立

  • 娘ダナシリを皇后に立てて権力を掌握

  • 専横を極め、のちに失脚・死亡

といった点でドラマの「皇帝すらおそれる暴君的な丞相」と重なります。

 

タナシルリ=皇后ダナシリ

タナシルリは、実在した皇后ダナシリ(答納失里)がモデルです。

  • エル・テムルの娘で、若くして皇后に

  • 夫(順帝)に奇氏という新たな寵姫が現れ、対立

  • 父の失脚後、謀反に連座して処刑されたと伝えられる

ドラマでは性格描写がかなり極端ですが、「エル・テムルの娘で、奇皇后と対立した皇后」という部分は史実と共通です。

 

史実モデル一覧(主要人物)

他にもドラマの登場人物にはモデルになった人がいます。ドラマ『奇皇后』に登場する主要人物のうち、「史実で誰がモデルか」がはっきりしている人物を紹介します。

ドラマ内の人物 史実・モデル 一言コメント
キ・ヤン/スンニャン 奇皇后 高麗出身で元の皇后になった点は史実。恋愛要素は創作。
キ・ジャオ 奇子敖 奇皇后の父。描かれ方はほぼ架空。
ワン・ユ 忠恵王 名だけモデルがあるが、中身はほぼ創作の架空王。
タファン(順帝) 順帝トゴン・テムル 流刑・即位の経緯は史実。スンニャンとの関係性は物語上の設定。
タナシルリ ダナシリ 史実でも皇后。悪役ぶりはドラマ強調。
皇太后 ブダシリ皇后 太后として実在。ドラマほど策士の印象は史料に薄い。
ペガン 伯顔(バヤン) 後期元の実力者。史実でも権勢を振るう。
タルタル 脱脱(トクト) 名宰相として知られる人物。学識派の描写は史実に近い。
ヨンチョル エル・テムル 元の大権臣。トゴン流罪の黒幕など立場は史実通り。
タンギセ タンキシ エル・テムルの実子がモデル。恋愛要素は創作。
タプジャヘ タラカイ エル・テムルの実子がモデル。
バヤンフト バヤン・クトゥク 第二皇后。史実では温和とされ、悪女設定は改変。
アユルシリダラ 昭宗アユルシリダラ 奇皇后の皇子で史実に登場。
マハ 皇子マハ 史実とは別人物。ドラマ独自の設定が中心。
ワン・ゴ 瀋陽王 元と結びつき権勢を求めた王族。野心家の描写は史実に近い。
忠肅王(ワン・ユの父) 忠粛王 元への従属関係を持つ王で背景は概ね史実通り。
慶華公主 伯顏忽都 モンゴル系王妃。ドラマでは役割が再構成されている。
トクマン 高龍普 キヤンを世話する宦官。史実よりよく描かれている。
パク・プルファ 朴不花 史料に登場する高麗出身宦官。忠臣化は脚色。
チェ・ムソン
崔茂宣 史実では副元帥、ドラマでは役割が違う。
パン・シヌ 方臣祐 高麗の宦官。史実では大きな力を持っていました。

 

名前の表記:カタカナと漢字名のズレ

ドラマを見て史料を調べようとすると

史実では「トゴンテムル」なのに「タファン?」、「バヤン」のはずなのに「ペガン?」、「ヨンチョル」って誰?架空?と思ってしまいがちです。でも元側の人間にもモデルはいます。

史実と名前が違うのは

元の名(モンゴル語)→漢字→現代韓国語音読み

例:ダナシリ → 答納失里 → タナシルリ  

だからです。日本の歴史書に書かれているのはモンゴル語読みが多いです。ドラマは韓国語読みなので発音が違うのです。

例えば主な人物の元の名・漢字名・現代韓国語音読を対応させるとこうなります。

  • タファン = 托歓特穆爾(トゴンテムル)の托歓の部分。

  • タナシルリ = 答納失里(ダナシリ)

  • タルタル = 脱脱(トクト)

  • ペガン = 伯顔(バヤン)

  • ヨンチョル = 燕鉄木児(エルテムル)の燕鉄の部分。 

カタカナ表記だと別人みたいな名前ですが、漢字表記が史実どおりなのです。

 

高麗での奇氏一族は“被害者”ではなく権力側

ドラマの奇皇后の家族は、

  • 陰謀に巻き込まれる

  • 権力争いの犠牲になる

といった「かわいそうな被害者」のイメージが強く描かれます。

しかし史実の高麗側の記録を見ると、奇皇后の兄・奇轍(キ・チョル)ら一族は、

皇后の威光と元の後ろ盾を頼みに、高麗で専横をふるった権門勢家

として描かれています。

  • 奇氏一族は王より上のように振る舞い、土地・財産・人事に介入

  • 貴族や官僚だけでなく、民衆からの不満も大きかった

  • 最終的に恭愍王が1356年に奇轍一派を粛清

という流れは、『高麗史』にも記録されています。

つまり、奇氏一族は

  • ドラマ :権力者の犠牲者という側面が強調

  • 史実  :一時期は「民を苦しめた側」として憎まれた権力一族

という違いがある、ということになります。

 

奇皇后は“高麗を守ったヒロイン”ではない

ドラマ終盤のスンニャンは、「民のために戦った」と語る高麗のためのヒロインとして描かれます。

でも史実の奇皇后は違います。
  • 元の皇后として、元軍を使い高麗に圧力をかけ

  • 恭愍王を追い出し、徳興君を王に立てようとし

  • 1万の元軍を高麗へ差し向けた側

でした。

1364年、高麗王・恭愍王の反元政策と奇氏一族粛清に対して、奇皇后とその一派は王族の徳興君タプス・テムルを立て、元軍1万とともに高麗へ侵攻しました(徳興君の乱)。この軍は一時は宣州を占領するものの崔瑩・李成桂らに撃退されています。

これだけを見れば、奇皇后は

「高麗を救ったヒロイン」ではなく
「元の力で高麗を攻撃した側」

と評価されても仕方がない存在です。

 

奇皇后に高麗への愛国心を期待するのは無理

でも、ここで重要なのは奇皇后自身も高麗の犠牲者だったことです。
  • 高麗は元への臣従の一環として貢女を差し出していた

  • 奇皇后も「国の都合」で貢女として元に送られる

  • 彼女から見れば「高麗」は自分を捨てた国

そう考えると、奇皇后が
  • 元の皇后としての立場に徹し

  • 自分と血縁者のために権力を使い

  • 高麗よりも元の宮廷と息子の将来を優先した

のは当然かも知れません。
現代人からみれば冷たいように思えるかもしれませんが。彼女からすれば「裏切ったのは高麗の方」とも言えます。

 

奇皇后の評価:すごさと問題点を分けて見る

史実の奇皇后をどう評価するかは難しい問題です。

出世のすごさは素直に評価していい

  • 外国出身

  • 貢女として元に送られた立場

  • 男性中心社会

というハンデを背負いながら、

  • 皇帝の寵姫から皇后へ

  • 息子を皇太子にし、

  • 一時は元の政治の中枢を握る

というところまで上りつめたのは素直に「すごい」と言っていいでしょう。

しかし、権力の使い道は「民のため」ではなかった

一方で、彼女が手にした権力は、

  • 息子の皇位継承

  • 自分の家族・一族の特権維持

  • 高麗政治への内政干渉

といった方向に使われました。

高麗の民や元末の混乱に苦しむ庶民の視点から見れば、「民のために戦った権力者」ではなかったのも事実です。

 

まとめ:ドラマは“奇皇后入門編”として楽しもう

最後にもう一度、ドラマと史実の関係を整理しておきます。

  • 奇皇后は実在する高麗出身の皇后

  • 高麗貢女として元へ行き、皇帝の皇后となり、息子を皇帝にした

  • ここまではドラマと史実の「核」の部分で共通

  • ただし、恋愛・復讐・三角関係は作り話

  • 高麗から見ると、奇氏一族は民を苦しめた権力者でもあり、元軍を率いて高麗に侵攻させた側でもある。

ドラマのスンニャンは「高麗のために戦うヒロイン」として描かれますが、史実の奇皇后は

「高麗に捨てられた少女が、異国で生き残るために掴んだ権力」

「その権力で故国をも苦しめてしまった皇后」

という、明るい面と暗い面を併せ持つ人物だったと言えそうです。

 

関連記事

奇皇后にはモデルになった史実の人物が何人も登場します。ドラマはあくまで「物語」として楽しみつつ、気になったら以下の記事もご覧ください。

『奇皇后』の世界が、さらに楽しめると思いますよ。

 

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執筆者:フミヤ(歴史ブロガー)
京都在住。2017年から韓国・中国時代劇と史実をテーマにブログを運営。これまでに1500本以上の記事を執筆。90本以上の韓国・中国歴史ドラマを視聴し、史実とドラマの違いを史料(『朝鮮王朝実録』『三国史記』『三国遺事』『二十四史』など)に基づき初心者にもわかりやすく解説しています。類似サイトが増えた今も、朝鮮半島を含めたアジアとドラマを紹介するブログの一つとして更新を続けています。

詳しい経歴や執筆方針は プロフィールページをご覧ください。
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