『大王世宗』のイ・スのモデルは太宗・世宗時代に実在した文官の李隨です。
史実では王子教育に関わりつつ官職を重ね、最期は落馬事故でなくなりました。
この記事では史実とドラマとの違いをわかりやすく紹介します。
この記事で分かること
- イ・ス(李隨)が実在の人物なのかどうか。
- ドラマ版イ・スの役割
- 史実の李隨の生涯
- 「定界碑」「毒殺」などドラマの脚色ポイント
【大王世宗】イ・スは実在した人?
イ・スはドラマ「大王世宗」に登場し、忠寧大君の師匠として印象深い人物ですよね。創作人物のような描かれ方をするのですが李隨(イ・ス)は実在した人物です。
歴史書『世宗実録』には、李隨がどんな役職に就きどのように人生を終えたのかが詳しく記されています。決して物語のために作られた架空のキャラクターではないのですね。
ドラマと史実、ここが大きく違う
でもドラマのイスと実際の李隨は「役割」や「亡くなり方」がかなり違います。
ドラマでは王子の師匠として活躍。王子を陰謀から守ったり、ある石碑(定界碑)を見つけたせいで毒殺されるという、非常にドラマチックな最後を遂げます。
でも実際の記録では王子の教育には関わっていましたが、政治的な事件に巻き込まれて亡くなったわけではありません。
次にドラマのイ・スはどんな描かれ方をしているのか紹介します。
『大王世宗』のイ・スとは?
ドラマ『大王世宗』のイ・スは忠寧大君(のちの世宗)と孝寧大君に学問を教える師として登場します。
権力にもなびかない堅物な儒学者です。それでいて単に本を開いて教えるだけの人物ではなく、王子が追い詰められたときに弟子を守るために自ら行動します。学者なのにかなり積極的な人物として描かれます。
どんな師匠なのか?
忠寧が判断に迷う場面ではイ・スは優しく慰めるよりも、まず何が起きているかを考えさせ、事件をどう理解すべきか、誰が傷つくのか、どんな結果になるのかを順番に話して考えさせます。
忠寧が曖昧な言い方をしたときは、その曖昧さを残さずに何をするべきか言わせようとします。
イ・スは王子が自分で必要な判断ができるよう導いて行くのです。
陰謀を暴き弟子を守る師匠
ドラマのイ・スは王子を陰謀から守るためにも動きました。
4辛5話ではミン・ムグとミン・ムジルが忠寧大君の筆跡を真似した怪文書を作る事件が起こります。怪文書には忠寧が企んだように読める内容が書かれ、朝廷は忠寧を疑い処罰すべきという意見が出ます。
ここでイ・スは忠寧が罪人になる前に真相を探り世子(譲寧大君)に事情を伝えます。
すると世子は忠寧ではなくミン兄弟に刀を向け、忠寧は命を落とさずに済みました。
イ・スは王子に学問を教えるだけではなく、王子が間違った裁きを受けようとしたときには、真相を探り王子を助けたのです。
イ・スの最期 :なぜ彼は命を落とさなければならなかったのか
ドラマ『大王世宗』ではイ・スの死も重要なシーンです。主人公の師匠が亡くなるというだけでなくて、彼自身が国境をめぐる争いや明との外交問題に関わり、世宗の決意をさらに後押しする役回りとなっているからです。
イ・スが命を懸けた「石碑」の正体
世宗は王位に就くと、北方の守りを固めるために動き出します。そのための根拠となるのが、高麗時代に建てられたといわれる「定界碑」という石碑でした。
この石碑には「どこまでが自分たちの国の領土か」という証拠が刻まれています。イ・スは世宗の命を受けて険しい山を越えてこの石碑を探し出すという重要な任務に就きました。
ようやく石碑を見つけたイ・スはそこに刻まれた文字を丁寧に写し取ります。「この場所を死守せよ」と仲間に言い残し、一刻も早く世宗に報告するため急いで都へと引き返しました。
この情報が国境を定める根拠になると信じていたからです。
なぜ「殺害命令」が出されたのか
ここで立ちふさがったのが、明の権力者である王振(おう・しん)です。
彼は朝鮮が北方の領土を自分たちのものだと主張することを、ひどく嫌いました。
ドラマの王振は朝鮮を管理下に置くことで権力を維持しています。もしここで朝鮮が明が定めたものとは違う国境を主張し始めると、自分は朝鮮を管理できていないと皇帝に思われる可能性があります。そこで王振は朝鮮の主張が皇帝に届くのを阻止しようと「石碑を壊し、イ・スも消してしまえ」と命令を下したのです。
石碑だけでなく、それを見たイ・スという証人も消してしまわなければ事実を隠し通せないと考えたわけです。
ドラマで描かれた、壮絶な最期
王振の息がかかった密偵たちは容赦なくイ・スを追い詰めました。
-
毒を盛られる:山中で捕らえられたイ・スは薬と偽った毒を飲まされてしまいます。体中の力が抜け呼吸もままならないほど苦しい状態に陥りました。
-
執念の帰還:それでもイ・スは諦めませんでした。毒に侵された体で馬にしがみつき意識が遠のくなかでも「世宗に伝えなければ」という一心だけで都を目指します。
-
最後の言葉:宮殿にたどり着いた瞬間、彼は世宗の目の前で崩れ落ちます。そして「石碑の写しはここにある」「朝鮮の未来を託した」という言葉を絞り出し静かに息を引き取りました。
彼の死が残したもの
王振は石碑とイ・スを消すことで朝鮮の主張を消し去ろうとしました。でもイ・スの死は世宗の心に火をつけることになります。
世宗にとってイ・スの死は「もう二度と明の圧力に屈してはいけない」「師匠が命をかけて守ったこの国を、何としても強くしなければならない」という強い決意を固めることになったのです。
史実のイ・ス(李隨)はどんな人物?
ドラマのイ・スのモデルになったのがは朝鮮前期の官人・李隨(り・ずい/이수)です。官職を重ね最終的には兵曹判書まで昇りました。『世宗実録』には、彼の生涯の経歴が書かれています。
プロフィール
- 名前: 李随(イ・ス)
- 別名: 字:択之、号:深隠・寛谷、諡号:文靖
- 生年月日: 1374年
- 没年月日: 1430年4月17日
- 国籍: 朝鮮
- 経歴: 1396年 生員試に首席(壮元)合格
本名と出身
李隨の姓は「李」ですが、王族(全州李氏)ではありません。
本貫は鳳山です。姓が同じでも、朝鮮では本貫が違うと家系は別になるので李隨は王族とは無関係です。
経歴
『実録』の卒記には、李隨の評価と経歴が書かれています。
-
若い頃から学問を好み、科挙で頭角を現した
-
官職に就き、政務に携わる
-
各地の行政と軍事に関わる役職を務めた
-
晩年には 兵曹判書(国の軍務を統括する長官)に任じられた
政治の中心に立つ大臣級の官人で王族に近い立場ではありませんが、朝廷から信頼される人物だったことが読み取れます。
王子たちの教育に関わった記録
ドラマのイ・スは王子の師匠でした。史実の李隨も太宗11年。37歳のときに諸大君(王子たち)に学問を教える役を命じられたことが書かれています。このときの大君たちといえばもちろん忠寧大君と孝寧大君になります。
史実でも王家の子弟教育に携わったことが分かります。
ドラマでイ・スが忠寧大君の学問の師として描かれるのは、この史実があるからです。
史実の最期は「落馬死」
史実とドラマで一番違うのは死因です。
ドラマでは毒殺として描かれますが、史実では次のように記録されています。
-
李隨は酒に酔って馬を走らせた
-
手綱の扱いを誤って落馬
-
そのまま死亡(享年57)
『世宗実録』は李隨の死を淡々と記し、事件や陰謀があったとは書かれていません。
世宗の弔い
それでも李隨の死は世宗にとっても衝撃だったようで、『世宗実録』には 「世宗が深く悲しみ、弔いを厚くした 」と書かれています。
これは通常の臣下の記録ではあまり見られない書き方です。公式記録でここまで書かれるということは実際の王の心情はもっと強かった可能性が高いでしょう。
だから臣下というより師匠を失ったという思いがあり丁重な儀礼が行われたのではないでしょうか。
李隨は世宗の少年期~青年期に直接関わった数少ない大人
王子が幼いときにそばにいた人物は、ただ学問を教えるだけではなく人格形成に関わる存在になります。
特に忠寧(世宗)は、
- 王位に興味を示さない
- 本の虫と言われるほど学問に熱心
- 三男なのに周囲の重臣に後継者候補として見られる
という複雑な立場でした。
その中で、派閥争いにも巻き込まれず、安定してそばにいた学問の師
という存在はとても貴重です。
世宗が李隨に感じた信頼は儒学的な「師弟」関係を越えるものがあったのではないでしょうか。それが亡くなったときの手厚い扱いになったのだと思います。
ドラマと史実の違い
ドラマのイ・スと史実の李隨には共通点もありますが、ドラマとして大きく脚色された部分がいくつもあります。
1) 死因がまったく違う
-
ドラマ:定界碑を発見したあと、王振の命令で毒を盛られ都へ戻った直後に死亡。
-
史実:酒に酔った状態で馬を走らせ落馬して死亡。事件性は記録されていない。
死に方は最も大きな違うところです。ドラマは政治の緊張を高めるために口封じの犠牲者として描かれています。
2) 定界碑をめぐる行動は創作
-
ドラマ:イ・スが北方へ赴き国境を示す定界碑を発見。その情報が世宗の政策に影響するため命を狙われる。
-
史実:李隨の記録には定界碑や国境探索の記述はない。官歴と落馬死が中心。
ドラマの「定界碑発見→暗殺」は、物語上の緊張を作るための脚色。
3) 師匠としての働きは創作
-
ドラマ:怪文書事件で世子に真相を伝え忠寧大君を救う。危険な場面では自ら動いて弟子を守る。
-
史実:王子の教育に関わった記録はありますが、陰謀や政治的な事件に関わった記録はありません。
ドラマは「王子を守る師匠」という役割を強め、人物像に物語的な厚みを持たせている。
まとめ:ドラマと史実、どちらのイ・スが本当?
ドラマのイ・スと歴史上の李隨は同じ名前を持っていますが、生き様はかなり違います。
ドラマのイ・ス
位置づけ:王子を守って導き、国家の秘密を握った殉職者
- 役割: 王子時代の世宗を支えて導く教育係。
- 死因: 国境の証拠となる石碑を見つけたため明の陰謀に巻き込まれ毒殺される。
- 印象: 世宗の生き方や覚悟を決めるきっかけを作る、非常にドラマチックな重要人物。
史実の李隨(イ・ス)
位置づけ:着実にキャリアを積み、国を支えたエリート官僚
- 役割: 実際に王子の教育を担当した経験はあるが、その後は軍事部門のトップ(兵曹判書)まで登り詰めた。
- 死因: 政治事件で殺されたわけではなく、移動中の落馬事故が原因で亡くなった。
- 印象: 王に信頼され国のために実務で力を尽くした「立派な政治家」。
なぜここまで違うのか
ドラマの製作者は実在した「王の師匠」という記録を元に、ドラマをより面白く盛り上げるために、彼に「国境問題の証拠を握る」という役目を与えました。
歴史上の人物をそのまま描くのではなく「もし、世宗の師匠が命懸けで何かを遺したとしたら?」という想像を膨らませて作り替えたわけです。
ドラマではそれによって世宗の覚悟も変わってきます。
実際には様々な要素が重なって世宗の北方政策が決まったわけですが。ドラマでは分かりやすい演出にすることで、なぜ朝鮮の国境はあのようになったのか?が伝わるようになっているといえますね。
FAQ
Q1. イ・スは実在する?
A/します。史実名は 李隨。『世宗実録』に記録があります。(「朝鮮王朝実録・世宗実録」조선왕조실록)
Q2. 史実でも毒殺?
A:毒殺ではありません。実録は「酒に酔って落馬」とされます。(조선왕조실록)
Q3. 定界碑を見つけたのも史実?
A:史実ではありません。少なくとも李隨の記録には書かれていません。
Q4. ドラマでイ・スを殺したのは誰?
A:命令は 王振、加担は ヘ・ス。王振は実在する人物です。
Q5. ドラマでイ・スを演じた俳優は?
チョ・ソンハ です。
『華政』では主人公たち最大の敵 カン・ジュソンを演じています。こちらも印象深い役です。
Q6. イ姓だけど王族と関係あるの?
A: 李隨(イ・ス)は確かに李(イ)姓ですが、王族ではありません。
朝鮮の王家は全州李氏。李隨は鳳山李氏なので別の一族です。
関連記事

コメント