羅閤(ナハプ)は李氏朝鮮時代末期の女性。
哲宗の時代に権力を持っていた領議政・金佐根(キム・ジャグン)の妾です。
羅閤(ナハプ)はあだ名で本名はわかっていません。
梁氏、羅閤 梁氏ともよばれます。
羅閤は妓生出身で両班の妾になった人。公的な権力を持っていたわけではありませんが。交流関係が広く、当時としてはかなり知られていた女性のようです。有名と言ってもあまり良い評判ではありません。
史実の羅閤はどんな人物だったのか紹介します。
羅閤(ナハプ) 梁氏の史実
いつの時代の人?
生年月日:1612年2月5日
没年月日:1645年5月21日
姓: 梁
あだ名:羅閤 (ナハプ)
本貫:全州 梁氏
父:不明
母:不明
夫:金佐根(キム・ジャグン)
彼女が生きたのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に25代哲宗、26代 高宗の時代です。
日本では幕末~明治時代になります。
羅閤 (ナハプ)の意味
姓は梁氏。本名はわかりません。羅閤 (ナハプ)はあだ名です。
羅閤は「羅州閤下」の略称。
羅州は羅閤の出身地から。
夫の金佐根が三政丞(領議政、左議政、右議政のこと)を務めた大物政治家でした。三政丞の地位にある人につける敬称が「閤下」でした。そこから梁氏のことを「羅州閤下」の意味で「羅閤」と呼ばれるようになりました。
でも夫が高官にあるだけでは普通はそこまで言われることはありません。羅閤本人もそれだけ目立っていて偉そうにしていたということです。
羅閤の人生
羅閤 (ナハプ)がいつ生まれたのか。親は誰なのかはわかりません。
羅閤 (ナハプ)は全羅南道出身の妓生。
当時、権力をもっていた金佐根に気に入られて妾になりました。
金佐根は23代国王 純祖の妃 純元王后の弟。朝鮮後期に力をもっていた安東金氏の中心になった人物です。
羅閤は金佐根に会ったときは礼儀正しかったといいます。金佐根は羅閤に夢中になりました。金佐根は羅閤と政治の話をすることもあったといいます。金佐根のヤッたことの中には羅閤との会話の中で生まれたものもあったようです。
ところが羅閤は金佐根の妾になった後も金佐根以外の男とも会って不倫していました。羅閤と付き合っていた人は多かったと言います。
不倫現場を夫に見られて「占い」でごまかす
あるとき、羅閤は参判のチョ·ヨンチャンを招待して会っていました。そこに金佐根がやってきて「なぜお前がここにいるのだ」と言いました。すると羅閤が笑いながら「大監はもう観相をみてもらいましたか?私も見てもらおうと思っているのですよ」と言いました。すると金佐根も手を叩いて「そうか、そうか」と言って部屋から出ていきました。
羅閤の度胸もたいしたものですが、金佐根も羅閤には甘かったというか口車にのせられていたようです。
観相とは人相占いのようなもの。顔のパーツだけでなく骨格まで含めて判定します。当時の朝鮮では本当に信じられていました。
ちなみに当時、チョ·ヨンチャンは本当に観相をみていたといいます。
興宣大院君のゆすりのネタ
こんなエピソードもあります。
高宗が即位した後の話。
興宣大院君は金佐根の暮らす水洞別荘を訪問。金佐根の妾・全州 梁氏(つまり羅閤)の行いにケチをつけて、宮廷再建費10万両(朝鮮では両は重さの単位)と高宗の嘉礼碑(即位や婚礼に必要な費用)10万両を金佐根からせびり取ったという話があります。
興宣大院君は貧しかったときから金佐根からもらっていたといいます。ユスリタカリに近いものがあったかもしれません。羅閤の行いはユスリの口実になるくらい有名だったようですが。だからといって金佐根と羅閤の仲が悪くなったという話は聞きません。
金佐根は羅閤のことがよほど好きだったのでしょう。
羅閤は公的な人ではないのでエピソードが幾つか伝わっているだけで詳しい記録はありません。それでも当時の人々の間では有名だったようです。
テレビドラマ
風と雲と碑 2020年TV朝鮮 演:ユン・アジョン 役名:ナハプ
キム・ジャグンの妾。すでに力をもっていてかなり偉そうにしています。ヒロインのイ・ボンリョンを監視します。でもボンリョンのことは利用価値のある人物だと思っていて、敵かと思えば助けたりもするといった複雑な役どころです。
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