端敬王后 慎氏は李氏朝鮮王朝・第11第国王中宗の最初の妃です。
王妃になってわずか7日で位を奪われてしまいました。
朝鮮史上もっとも在位期間の短い王妃です。
廃妃になったとはいえ慎氏はなにも悪いことはしていません。燕山君の親戚だったという理由だけです。家柄が大切な朝鮮では本人の行いに関係なく処分されることがあるのです。
しかし若い頃からともに暮らしていた中宗はなかなか慎氏のことが忘れられません。中宗は慎氏の暮らす山を眺めていたといいます。
それを知った慎氏も中宗から見えるようにチマ(スカート)を岩にかけたという話もあります。
史実の端敬王后 慎氏はどんな人物だったのか紹介します。
端敬王后 慎氏(タンギョン王妃シン氏)の史実
いつの時代の人?
生年月日:1487年2月7日
没年月日:1557年12月27日
名前:慎氏
称号:端敬王后(タンギョンワンフ)
父:益昌府院君 信度公 慎守勤(チン・スグン)
母:永嘉府夫人 権氏
夫:中宗
子供:なし
彼女が生きたのは朝鮮王朝(李氏朝鮮)の主に10代燕山君~13代明宗の時代です。
日本では戦国時代の人になります。
おいたち
1487年。益昌君・慎守勤 の娘として生まれました。
慎守勤の父・慎承善は燕山君の義理の父でした。
慎守勤と燕山君の妃は兄妹になります。
母は世宗の四男・臨瀛大君の子孫でした。
1499年。 13歳のとき、晋城大君(チンソンテグン・後の中宗)と結婚しました。
王妃になってすぐに廃される
1506年。燕山君に対して反乱が起きました。重臣たちに担がれる形で11代中宗が即位。権氏も王妃になります。
ところが父・慎守勤の妹が燕山君の妃でした。反乱が起こる前、慎守勤は左議政でしたが、反乱に加わろうとはしませんでした。そこで朴元宗(パク・ウォンジョン)に殺害されていました。
反乱のあと領議政になった柳洵、右議政・朴元宗たち重臣が「反乱のときに慎守勤を殺したのは大義のため。しかしその娘が王妃になると民心が安定しません。国の安定のため王妃を追放してください」と中宗にうったえました。
朴元宗たちが王妃の追放を求めたのは、王妃慎氏の父・慎守勤を殺していたため。王妃慎氏がそのまま居続ければ、慎一族から復讐される可能性があります。そこで自らの保身のために民心を持ちだして王妃を追放させたのでした。
重臣たちが「民心」という言葉を使うときは、たいてい自分たちのために利用しているにすぎません。
中宗は「いいたいことはわかるが、糟糠の妻(まずしいときから寄り添ってきた妻)をいきなり追い出すことはできない」と反対します。
ですが重臣たちには逆らえません。結局、その日のうちに王妃の廃妃と追放を決断します。
中宗は別れたくなかったでしょう。でも重臣たちに担がれて王になった中宗は力なく、重臣たちの言いなりになるしかありません。
慎氏は王妃になって7日後に廃妃になり、後宮を追放されてしまいます。
チマ岩伝説
とはいっても中宗は慎氏が忘れられません。
中宗は高台に登って慎氏が住んでいる仁王山の家を眺めることが多くなりました。その噂を知った慎氏は、中宗からもよく見えるように王妃時代に使っていた赤いチマ(スカート)を仁王山の岩の上にかけて見えるようにしました。
後世の人たちはそのいわをチマ岩とよんだということです。
その後の慎氏
慎氏が追放されたあと側室の淑儀尹氏が王妃になりました。これが章敬王后尹氏です。
1515年。章敬王后尹氏は若くして亡くなります。潭陽副など一部の人達が慎氏を王妃に戻すように上訴しましたが、重臣たちの反対で実現しませんでした。
慎氏の問題は反乱に功績の会った重臣・勲旧派と、彼らに対立する士林派の派閥争いの道具になりました。そうなると批判合戦になってまともな政治ができなくなります。中宗は仕方なく慎氏の復位を訴えた人達を流刑にしました。
その後、王妃になったのは文定王后尹氏です。
慎氏が廃妃になったあと、どのような生活をしていたのかはわかりません。
12代仁宗の時代には「廃妃宮」という名前の屋敷を与えて生活を助けていたようです。
1557年(明宗12年)。13代明宗の時代に亡くなりました。71歳でした。王妃を追われ恵まれない一生でしたが、意外と長生きしています。
慎氏は廃妃になっため諡号はありません。
長い間、廃妃愼氏あるいは愼妃と呼ばれていました。しかし、第21代国王英祖の時代に王妃の位がもどされ、端敬王后(タンギョンワンフ) 慎氏と呼ばれるようになりました。
英祖の時代まで王妃として認められなかったのです。
テレビドラマ
王朝の暁〜趙光祖伝 1996年 KBS 演:キム・ヘリ
女人天下 2001年 SBS 演:キム・ヒヨン
宮廷女官チャングムの誓い 2003年 MBC
師任堂(サイムダン)、色の日記 2017年 SBS 演:ユン・ソクファ
7日の王妃 2017年 KBS 演:パク・ミニョン、パク・シウン
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